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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「聾」を考える

福島民報(4月13日)日曜論壇で、玄侑宗久氏が「なんのための改名か」と題して、聾学校が「聴覚支援学校」に改名する事への疑問を述べているのを読んだ。

その中で、彼等は「聾」という言葉に誇りさえ持っているとしていたが、そのことに心当たりがある。

 子どもの難聴の問題を考えた事がある。
 これは、完全な聾の問題ではなく、中途の状態の問題だが、これに関わると氏のいう聾の問題にぶち当たる。しかも、それは聾をそのまま受け入れるか、解消しようとするのかという選択の問題が派生する。
 氏の言う聾ではないが、聞きにくいという状態をそのまま受け入れて生き方を考える選択肢がある。それから、補聴器という器具の力を借りて音が聞こえる状態にするという選択肢がある。更には、手術をして骨伝導を使って、音が聞こえる状態にするという選択肢がある。

 この3番目の選択肢がでてきた事で、幼児期の選択で親は悩む。幼い体にメスを入れること、そして、その決断は早くなければ効果が期待できないという側面がある。認知にかかわるからだ。音の認知、音の変化には意味があることの認知、概念との結びつきという細かいステップを踏んで、私たちは聞こえるという状態なのだと改めて思い知らされる。
 更には、この選択は、状態の選択ではなく認識の選択であり、コミュニケーション手段の選択とも深くかかわるものなのだ。

 モデル的な言い方をすると、完全な聾の人は、音と概念の関連をせずに、世界観を作り上げている存在だ。難聴の人は、聞こえる音と概念の関連性があるものもあるし、ないものもあるという状態ではないかと想像する。
 ここに聞こえるようにするという行為は、聞こえる音が今までの状態に無理やり入ってくるということでもある。しかも、その音と概念の認知にはかかわりがない状態が出発点だ。もっと言えば、音は入り込んでいるが、聞こえている事すら認知できない状態だってありえるということだ。

 聞こえないということをそのまま受け入れれば、何の混乱も無く手話または唇の動きを読み取る方法などで、コミュニケーションができる。ところが、聞こえる状態にするという手段を選ぶと、音が聞こえている事を学習する事が必要になるし、その聞こえているという状態が認知できるようになると、音には意味のある配列があり、それが概念とかかわる事の学習が必要になるのだ。
 更には、骨伝導を生かす方法では、幼い赤子に大きな手術が必要になる。しかも迷う時間はない。このコミュニケーションと関わる部分は、決断が早ければ早いほど自然な受け入れになるからだ。

 これを支援ということから考えると、誰もが必要な学習のほかに、聞こえない状態のハンディを補助する手段が必要になる。一つは、聞こえている事と概念を結びつける学習の支援が必要になる。更に、そのことと絡んでコミュニケーション手段の学習支援が必要になる。そして、当然、聾学校あるいは聴覚支援学校とのかかわりの中で、それらは解決していくのだから、聾という言葉に誇りさえ持っている方々とのつきい方を学ぶ必要も出てくるのだ。

 どの選択が正しいのかは置かれた環境によって違うような気がする。さとった人も素晴らしいし、迷いながらもそれぞれの状態を選択した生き方も素晴らしい。自分には力のなさであることは承知のうえだが、モデル的な正解が見えない。
by shingen1948 | 2008-04-25 05:09 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
Excite エキサイト : 社会ニュース

  06年度の文科省・子どもの体力調査結果を「毎日新聞」が報じている。
  50メートル走能力下げ止まりの見出しで、50メートル走とボール投げなどが下げ止まったことを報じた。しかし、持久走持久走や立ち幅跳びは依然として低下傾向をしめしているという。
  調査した内藤久士順天堂大学准教授は、下げ止まりを「運動をしない子ども達のライフスタイルが定着したことと体力向上の施策の効果」と見ている。そして、「体育の授業で補うべきだ」と指摘する。

  同じ毎日新聞に発信箱というコラム欄がある。ここで玉木研二氏が「力の限りか」という題で子どもの体力調査結果を使って論を展開している。この考察に説得力を感じた。

 簡単に言うと、みんな力を出し切っているのかというなげかけだ。本気で、がむしゃらに走り、力の限り投げたのかと疑問符をつける。そして、本気でやることを恥ずかしがったり、人が頑張るのを笑ったりする風潮と絡ませて批判する。それを、「力の限りか」と訴えている。
 
  「力の限りか」との訴えに納得してしまうこちら側の理由がもう一つある。
  普段は、本気と思っていても、本当には力を出し切っておらず、本能的に能力の余力を残しているのではないか。能力を全部出し切れるというのは、鍛えられる中で開発される一つの能力ではないかという思いだ。
  簡単に、全力を出し切るというが、本当は、これは肉体的な苦痛との戦いだ。そして、意識するかどうかは別にして、運動の場合は、その苦痛はひょっとすると生命的な危険にまでは及ぶかもしれないという不安との戦いでもある。大丈夫ということの限界は、何度か全力を出し切った経験則として獲得するものだと思う。
 この乗り切った感覚は、忘れているが、大人はみんな経験していると思う。

しかし、子どもにその経験をさせることには、社会的な躊躇がある。
  大人側がもっとも恐れるのは、万が一の事故である。限界までというのは、安全の許容量をあなたは、どこまで減らす熱意がありますかという問いかけなのだ。責任問題がある。訴訟である。そういった環境の中で、全力を出し切らせるのには、勇気がいる。

 恐れることはない。環境が整っている。だから、「体育の授業で補うべき」だというふうに、理由をつけて考察していただけると説得力が増すように思う。

毎日新聞記事内容
by shingen1948 | 2007-10-12 05:07 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
司馬遼太郎の「街道をゆく」は、興味を持ちながらも、なかなか手にすることはなかった。それは、もしこれを読んでしまったら、それに意識が縛られてしまうような気がしたからだ。

先日、古本屋でこの本をみつけ、つい手にしてしまった。いくつかある中から、二冊選んで購入した。街道をゆく③「陸奥のみち、肥薩のみちほか」街道をゆく33「白河・会津のみち、赤坂散歩」である。
期待したのは、「会津への道」の「伊達政宗」と「戊辰戦争」の散策を深めることであった。

しかし、実際に手にしてみると、別の観点からも参考になることが多そうだ。
変わった読み方かもしれないが、まずは、司馬遼太郎氏の「風の人」としての自分の位置のおき方である。そこには、優しい東北への目があった。

街道をゆく③「陸奥のみち、肥薩のみちほか」の冒頭では、以下のように述べている。
奥州というと、私のように先祖代々上方だけを通婚圏や居住権としてきた人間にとっては、その地名のひびきを聞くだけでも心のどこかに憧憬のおもいが灯る。

街道をゆく33「白河・会津のみち、赤坂散歩」の冒頭では、奥州こがれの記として、平安貴族の陸奥ブームを説明する。
  そして、平安朝の貴族文人が、奥州~みちのおく・陸奥・おく~に対していかにあこがれたかを理解せねば、かれらの詩的気分が十分にわかったとはいえないと結ぶ。
  具体的に、次のイメージについての説明があり、松尾芭蕉が歩く奥の細道の心情を思い描くことができる。
宮城野・名取川に込められるイメージについて、連想の展開を具体的に示す。そして、信夫に込められるイメージを以下のように説明する。
  千々にみだれる恋の心・乱れ模様の絹布・都では、信夫捩摺(忍摺)と呼ばれていた。
  源融は上記のことを詩的レベルに高めた経緯も説明し、以下の歌にその集約を見る。

 陸奥のしのぶもぢつり誰ゆえに乱れんと思ふわれならなくも(古今和歌集「恋歌」4)

  そして、みちのくのしのぶときけば、ここまで連想が展開しなければ、本物の教養人ではないという伝統を受継いだのが芭蕉だとのこと。芭蕉は、平安朝の詞華史につらなる末裔の人とのことだ。

ちなみに、郡山の平安人のイメージは、安積の沼であったという。特に、その水辺に咲く花菖蒲に似た花を花かつみとよんで珍重したが、都人は花の実物を知らずにイメージの美しさを愛していたのだと。だから、芭蕉は次のように描いたというのだ。

  沼を尋ね、人に問ひ、「かつみかつみ」と尋ね歩きて、日は山の端にかかりぬ。
明くれば、しのぶもぢ摺りの石を尋ねて、信夫の里に行く
仙台に入るときも、単に仙台にはいるのではなく、「名取り川を渡って」と冠を付けることに注目する。
 陸奥にありといふなる名取川なき名とりては苦しかりけり(壬生忠岑「恋歌」三)

  今まで、奥の細道として散策した所を思い返して楽しみなおすことができる。
by shingen1948 | 2007-07-03 20:38 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)
戊辰戦争は、一般的に、いくつかの段階に分けて認識しているようだ。
a0087378_18234344.jpg その中で、自分の身近なフィールドの関係から、松平容保の処分の問題に起因する会津戦争の段階を中心に確認している。特に、二本松城が落城し、母成峠の戦いで旧幕府軍の防衛線が突破され、新政府軍は若松城を包囲するあたりを中心に確認していた。
  そこには、日本を改革するという正義の名目とは縁遠い、私憤によって世の中を動かそうとする傲慢が勝ち誇る歴史が見えてくる。※写真は二本松大隣寺の少年隊の碑である。

  そんな中、2007.6.23の「福島民報」書評に佐高 信著「西郷隆盛伝説」~《敗者から見た人間像》について鈴木由紀子氏の書評が目に付いた。

  会津と同じように、徳川幕府を支えた東北の雄藩でありながら、庄内藩は無血開城していることに触れているからだ。書評によれば、そこには、西郷の寛大なる処置があったという。以来、庄内藩は西郷に傾倒し、西郷を慕って鹿児島に渡り、西南戦争で命を散らせた若者もいたというのだ。

 作品で描きたかったことも、書評したかったことも、以下の西郷の心情だろう。

 戊辰戦争の前、西郷は薩摩藩邸の浪士相楽総三らに江戸を攪乱させ、江戸の警備に当たった庄内藩は挑発に乗って薩摩藩邸を焼き討ちにした。
西郷はこれで戦端が開けたと喜んだという。そして、西郷は謀略にはまった庄内藩へは温情をかけ、相楽総三らの「赤報隊」は見捨てる。
  薩摩藩が幕府を敵視し、幕府側から戦争を起こさせて大義名分を得てから、葬り去ろうという作戦であり、現代から見れば騙しあいである。
  西郷がいかに軍事的手腕に卓越した人材であったかということでもある。

 しかし、会津の悲劇との対比という観点からは、薩摩の西郷は、策略としては「赤報隊」を利用しながらも、最後の正義の判断としては、相楽ら赤報隊を「偽官軍」として葬るという大きな視野の正義を採用する対応をしたことである。長州藩の大将達は、世羅に代表される近視眼的私憤による対応であり続け、会津に向かう薩摩や長州兵の残虐行為を抑えるリーダーがいなかったということである。

先日の安倍首相はそのへんも見込んで頭を下げる度量あるリーダーぶりを発揮したのだろうか。それとも、選挙に勝ちたい一心だったのだろうか。
by shingen1948 | 2007-06-30 18:32 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)
「毎日新聞(2007.4.22)」に、月末訪米をひかえて沈静化を図る目的で、従軍慰安婦に安倍首相が、「我々に責任」との発言が記事になっていた。その記事によると、以下のような謝罪とのことだ。
 人間として心から同情同情するそうだ。首相として大変申し訳思っていると改めて陳謝した上で、彼女達が慰安婦として存在しなければならなかった状況につき、我々は責任があるとのべたそうだ。

 記事についてのコメントは控えるが、彼の歴史問題の発言の目的が、自分が都合よく行動するためであり、深く考えている結果ではないということが残念である。

 会津で戊辰戦争にかかわり、選挙応援の都合上謝罪したことを記事にしたところだが、思わぬところで関連記事を発見したので触れておきたい。

  「毎日新聞」の[日曜クラブの、「あの人に会う」~日本近代史を訪ねて]という特集は、本日は、野口英世の四回目の紹介記事だった。彼のゆかりの地は会津若松の中心地である。その中の青春どおりについて、協議会事務局の大須賀隆さんから取材したことが記事になっている。
 「前の戦争」の記憶と題して、会津では、前の戦争とは戊辰戦争であることにふれていた。
 
「古い建物があまりない」という古い建物とは、江戸時代以前の物で、それが失われたのは、幕末の戊辰戦争で焼かれたことである。
 この戦争で街はほとんど焼失・官軍による略奪や虐殺もあったという。大須賀さんの祖祖父も家を焼き払われた。
 戦後も会津側から見れば差別的な政策が続く。藩は福島県の一部に転落、県内ではじめて市政が敷かれた都会でありながら、鉄道も明治末まで通らない。
だから、恨みは深い。80年代、長州藩の末裔である山口県萩市に姉妹都市協定を呼びかけられたが、会津は拒否。90年代の住民調査でも、3割以上の人が山口に対するわだかまりを表明したとか。
 私達の耳にはまだ被害者の生の声が残っているんですよと大須賀さん。
 記者は、京都の人にとっての「前の戦争」は、第二次大戦ではなく応仁の乱という話を連想してしまったという。

エキサイト:政治ニュース記事内容
by shingen1948 | 2007-04-22 10:44 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)
Excite エキサイト : 社会ニュース長州VS会津 今だに残る恨み 安倍首相が「おわび」

「先輩がご迷惑をおかけしたことをおわびしなければいけない」。
 安倍晋三首相が2007年4月14日、こう発言した。場所は福島県会津若松市。参院福島補選の応援演説の中で述べた。今から約140年前の幕末期、長州藩(山口県)などの新政府軍と旧幕府軍側の会津藩との戊辰戦争を意識したものだ。安倍首相は山口県出身。官軍に対する強烈な恨みが今も生き続ける土地柄ならではのあいさつだった。

  毎日新聞記事は、上記だが、福島民報では、微妙に違う。
 会津若松市を訪れた安倍晋三首相は、会津藩などが戦った戊辰戦争に触れ、会津の住民に「謝罪」した。
 更に、以下のコメントが加わる。
戊辰戦争など会津藩に詳しい郡山市の作家星亮一さんは「山口県出身の総理が言ったことは大きな意味持つ。歴史的な和解だ。今後は会津の人もわだかまりを氷解させるための努力すべき」と話していたる。

 コメントをしたのは、「会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか」の著者だ。先日、この著書を元にして「民衆の立場での交流を望みたい 」という記事にした。

 更に、会津方部高等学校地理歴史・公民科(社会科)研究会発行の「資料が語る会津の歴史」を確認すると、当時の一般の住民の感性についての飼料がありそれをもとに、「戊辰戦争の怨念と会津の人々の感性」という記事にした。 

 ただ、こちらの記事の山口県民を代表して発言記事とした以下の部分は言い得ている。
山本さんは安倍首相発言について、「戊辰戦争だけでなく、その後の歴史を含めどこまでご存知でそういう発言をされたのかな、とは思う」という。自身は批判的な気持ちはないというが、「(山口)県民の中には違和感を持つ人もいるかもしれませんね」と話した。なかなか歴史を語り考えるのは難しい問題のようだ。

もう一つ付け加えるなら、会津の心情的な怨みは、薩摩・長州藩に対してのものであり、一緒に会津に踏み込んだ土佐藩への怨みはないということだ。戦争という異常事態に、薩摩・長州は異常行動を起こし、残忍な行為をし、土佐は、その中で、人間性を失うことは無かったということでの評価である。
  だから、安倍首相の歴史認識は、国際社会の中の認識も含め、県民性のなせる技ととらえる日本人も存在するということだ。心情的に「美しい日本」というオブラートに包む方法で、正当化しようとするイメージを説明なしで受け入れない日本人は多いというだけでない、もっと深い怨念を感じたかどうかは心配なことだと思う。

 長州VS会津 今だに残る恨み 安倍首相が「おわび」の記事内容

「先輩がご迷惑をおかけしたことをおわびしなければいけない」。
安倍晋三首相が2007年4月14日、こう発言した。場所は福島県会津若松市。参院福島補選の応援演説の中で述べた。今から約140年前の幕末期、長州藩(山口県)などの新政府軍と旧幕府軍側の会津藩との戊辰戦争を意識したものだ。安倍首相は山口県出身。官軍に対する強烈な恨みが今も生き続ける土地柄ならではのあいさつだった。

元会津若松市長は「よく言ってくれた」
14日夕のニュースで安倍首相の発言を知った元会津若松市長、早川広中さん(71)は「よく言ってくれたと思った」という。現在は地元で「白虎隊記念館」の理事長を勤め、白虎隊に関する著書もある。「当然の発言。もっと早く言ってほしかったくらいだ」との思いも頭をよぎった。早川さんによると、「長州への恨みは戊辰戦争だけではない」と指摘する。「明治維新以降も長州閥の高官が会津出身者の登用を妨害するなど長い経緯が積もり積もった問題だ」という。

市長時代の1988年ごろ、山口県萩市(旧長州藩城下町)から姉妹都市を結ぼうという提案があり、一部の会津若松市議らが準備を進めたが、当時50歳以上の人を中心に「とんでもない」という批判が出て中止したという。現在では「若い人の中にはもう(許して)いいのでは、という人もいますよ」

では若い人はどうか。会津若松市の市役所の30代、40代の数人に話を聞いてみた。「こだわりはないですね。(首相発言も)特に感想はない」という人がいる一方、「大人の態度としていつまでも言い募るのはよくない、と表向きは言っていますが、実は親や祖父母から聞かされた恨み話がしみついているという部分もある」となかなか複雑な感情があることを明かす人もいた。

また、市役所の別の職員によると、市長が県外の会合に出かける際に山口県内の首長と同席予定がある場合、主催者側の自治体関係者から「同席になって大丈夫でしょうか」などの問い合わせがあることも珍しくないという。「時間差で(2人の市長が)入れ違いになるよう調整してくれる自治体もある」と周囲から気を使われているそうだ。1996年、萩市長が市民劇団の招きに応じ、初めて会津若松市を「非公式」に訪れ、翌年会津若松市長が「答礼」として萩市を訪問した。出迎えの場面では握手した2人だが、記者会見の場で握手を求められると、会津若松市長は「(和解として)ニュースで流れるには時間が必要だ」と応じなかった、というのは今でも語り草となっている。

「山口県民には違和感を持つ人もいるかも」
一方の山口県側の反応はどうか。2006年9月に発足した「長州と会津の友好を考える会」の山本貞寿代表(68)。20年以上地元の萩市で友好活動に取り組み、今回全県組織にした。「ほう、そんな発言をしましたか」。山本さんは安倍首相発言を知らなかった。山本さんは長年会津若松市へ通い、「友人も何人もできた」と話すが「今でも基本的に厳しい態度の人は多い」と肌で感じている。一方で「これまで私は謝罪とか和解とかは口に出していない」ともいう。「互いに悪いところを言い募るのではなく、良かったところをもっと見てほしい」と活動を進め、少しずつではあるが理解の広がりを感じるという。

山本さんは安倍首相発言について、「戊辰戦争だけでなく、その後の歴史を含めどこまでご存知でそういう発言をされたのかな、とは思う」という。自身は批判的な気持ちはないというが、「(山口)県民の中には違和感を持つ人もいるかもしれませんね」と話した。なかなか歴史を語り考えるのは難しい問題のようだ。

歴史認識の従軍慰安婦問題については
by shingen1948 | 2007-04-18 21:11 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)
旧暦12月25日月齢23.96赤口丁丑
昨夜、雪降るが湿り気多い。降り方は会津が多く、春の雪ではない雰囲気。


<山谷補佐官>「中教審改革」発言、首相の否定に一転撤回 [ 02月08日 19時18分 ] Excite エキサイト : 政治ニュース
このニュース 、表面上は事実としての認識の違いを装ってはいるが、誰もが、2007.2.9「朝日新聞」が報じているように、教育法案審議の停滞恐れて、山谷補佐官の発言を即否定し、火消ししたと思っている。

 指導者は、枕の言葉に使うだけで、本心からは思っていない、「教育は百年の計」だから、 制度上はきちんと手続きを踏むことになっている。政策の具に使いたい指導者は、この制度邪魔であるようだが、そういう仕組みにしてある。私事の思い上がりの意見だけで動かすことができない仕組みが、文科省下の中教審で審議をしなければ法案化できないということである。
  日本の指導者は、教育再生会議の第一次報告書に基づいて、どうしても教育3法案を今国会で成立させることを目指している。それは大義名分のためではなく、政治的アピールのためである。中身より急ぐことが大切だという判断がある。そういった状況の中の発言である。
  山谷氏は、もともと文科省や中教審に対してかなり批判的な部分があり、文科省には教育再生は任せたくないと思っているところがあるようだとも聞く。逆に、中教審の委員の中には、再生会議の報告に疑問を持っている人もいるようだ。
状況を忘れたのか、 思い上がりがあったのか、補佐官という立場を利用し、私人としての意見である中教審批判を行なったようだ。
  再生会議の役職の立場での発言だから、中教審と再生会議の対立構図になり、安倍官邸や再生会議と中教審の決戦構図となる恐れが出てきたのだろう。だから、安倍首相が、あわてて否定し、山谷氏に撤回させたという政治的判断をしたと思う。これが、「教育は百年の計」の実態ということだと思うが、深読みしすぎだろうか。

<山谷補佐官>「中教審改革」発言、首相の否定に一転撤回の記事内容

 安倍晋三首相は8日、山谷えり子首相補佐官(教育再生担当)が政府の教育再生会議で中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)改革を検討する考えを示したことについて、「中教審は教育のあるべき姿について議論している」と述べ、否定した。首相官邸で記者団に答えた。

 塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「再生会議で(中教審改革を)議論する話はまったく聞いていない」と否定。その後、山谷氏は毎日新聞の取材に「(中教審を改革すべきだとは)言っていない」と発言を撤回した。

 政府は教育関連3法案の今国会提出を目指しているが、諮問先の中教審内に「拙速だ」との声がある。首相官邸にはこれへの不満があり、山谷補佐官の発言は行き過ぎたけん制だったようだ。

 山谷氏は7日の講演で、中教審について「大ざっぱなことを延々と議論している。再生会議でメスを入れていきたい」と発言していた。【平元英治】
by shingen1948 | 2007-02-12 03:18 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
2月10日 旧暦12月23日仏滅(乙亥) 月齢22.0(下弦の月)
満月から新月までの丁度中間点である。まもなく正月を迎える。

2007.2.9「朝日新聞」は、[中教審見直し 首相「ありません」]の見出しで、教育法案審議の停滞恐れて、山谷補佐官の発言を即否定し、火消ししたことを報じていた。
 
首相が、早期提出のため、中教審に異例のスピード審議をお願いしたのに続いて、中教審見直しについて、教育再生担当の山谷えり子首相補佐官が言及したが、首相は、「それはありません」と否定した。


首相の認識では、「中教審は教育のあるべき姿について議論いただいている。教育再生会議の場では教育の再生について熱心な議論をいただいている。」そうだ。
どう見たって気を引く政治的意図の日程をにらんで下した判断であることは見え見えだ。考えなしの教育再生担当者に、日程を考えろといいたかっただけで、「教育は百年の計」だからではなさそうだ。
by shingen1948 | 2007-02-10 05:18 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
昨日も、「教育は百年の計」についての意見を見つけたのだが、今日も見つけた。
  2007.2.8.「朝日新聞」の天声人語も、最後の文節に「教育は国家百年の計」を引用して、再生を掲げる教育改革の危うさを、取り上げていた。
  最後の文節を、以下に記す。
  文科相は、教育は国家百年の計とも述べたという。それならば、設けるのは締め切りではなく、百年後に耐える議論をするゆとりにしてはどうか。時には、校庭で歓声を浴びてみる。一人一人が元気に育ってほしい。そんな想いが、心の底からわき起こってくるはずだ。

昨日の紹介記事にもあったが、文部科学相の諮問機関の中央教育審議会の総会で、劇作家で、評論家の山崎正和さんが会長に就任した。これに関して、二つの視点から課題を提示している。
  その一つは、安倍首相が通常国会に提出する意向を示す教育関連3法案を巡り、2月中か3月上旬にはまとめて頂きたいと述べたことである。百年の計を一ヶ月かけないでまとめろという事に関してである。
その二つは、山崎氏の「日本人には人生がない」と嘆く一説があるとのことで、深い人生観をもとにして、日本の教育を改める必要性を指摘しているということである。期限を性急に切られて、深い議論を期待したいのに、求められることは、政治的な日程であることに関してである。

このように、今までのところ、どの意見も「教育は国家百年の計」と言いながら、やろうとしていることは、教育を政治の具にしたり、哲学をころころ変えたりして、骨太の筋を通そうとしていないのに、百年の計を枕に語ることについての違和感を訴えているというのが、共通の感覚のようだ。
by shingen1948 | 2007-02-08 21:02 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
山崎氏ら新任14人 中教審、教育再生が課題 [ 02月01日 07時40分 ] Excite エキサイト : 政治ニュース
 中教審の委員に辞令が発令されたそうだが、そんな中、「教育は百年の計」ということをテーマに二つのコラムが目に入った。一つは、朝日新聞「あんてな」のコラムで、「百年の計にはほど遠い現実」と題した高橋庄太郎氏の意見である。もう一つは、同紙「私の視点ウイークエンド」のコラムで、「教育改革、文科省は百年の計考えよ」と題した遠乗功茨城県五霞町教育長の訴えである。
  この言葉、前置きに使えば、中身はどうあれ、そういうものかと思わせる魔力を持っている。教育が政局運営の手段になったり、様々な改革と改善プランがあわただしく登場しては消えていったりするように計画しても、「教育は百年の計」でありと前置きすれば納得させてしまう。
 
茨城県五霞町教育長の遠乗功氏は、文科省は百年の計考えよと訴えている。氏は、立場的に教育現場と行政の中間にあって、両方を見通せる立場であることから意見としての厚みがあり、また、批判しにくい立場にあるので、吟味された意見と思われる点で貴重であると思うので、概要を記す。
  氏によれば、文科省の教育目標は、「豊かな人間性とたくましい児童生徒の育成」である。この目標を支える学力の定義が、明確でないとする。
 学力は本来点数によって「見える学力」と意欲関心態度など「見えない学力」と捉えるべきであるのに、文科省は、前者にとらわれすぎて、学力の順位が落ちたと大騒ぎしていると批判する。教育に害有りと中止したはずの「学力テスト」を全国規模で復活、思考力をつけると推進したいわゆる「ゆとり教育」を学力低下させると数年もしないで別の施策にしようとする変わり身についても批判し、実際の子どもの姿に迫る。ここは、氏の述べたいところであろうから、以下にそのまま引用する。
 実際には、子ども達には時間的にも心理的にもゆとりない生活に追われている。
社会環境の悪化で外遊びが減り、教室内や家で電子ゲームにとりつかれている。
現実の子どもを知っている人は、自然の中で動植物に触れ、命の尊さに気づく体験や、友達と遊びながら思いやりや人の痛みを知る体験を大切にする「ゆとり教育」を充実しない限り、「心豊かでたくましい児童生徒」は育たないと考えている。
落ち着いて子どもとじっくり四つに組んでこそ、温かみのある真の教育はできるのである。ところが、小学校の英語教育を必須にすべしと言ったかと思えば、直ぐにその必要無しと大臣が替わるたびに朝三暮四を繰り返せば、現場は混乱し、教師は多忙を極めるだけだ。
 ところが、現場を混乱させた責任は一切触れず、文科省は、教員評価や免許更新制を設けて教員間の競争を煽り始めている。教育は、個人の評判のレベルで行われる世界ではなく、もっと人間の本質に触れる世界なのにである。
 今回の「教育再生会議」でもメンバーは大学教授や著名人で、子ども日々接している彼等のことを一番知っている現場の教師が入っていない。このような会議でどんな熱弁をふるわれようとも、結論が机上の空論になることは言を待たない。
 文科省には、確固たる教育理念と計画性とを持って日本百年の計を考えて欲しい。干からびた子どもたちを育てないためにも、系統だった息の長い教育改革を推し進めて欲しい。

「教育は百年の計」なのだから、見切り発車の教育再生会議にまどわされずに、理念を通せと訴えているように思われる。

  高橋庄太郎氏の意見の概要は、教育再生会議について批判しているようにも思われる。
 「教育は百年の計」といいながら、教育界は様々な改革と改善プランがあわただしく登場しては消えていくことについて批判したものだ。
 中曽根首相の臨時教育審議会の創設、橋本首相の国の六大改革、小渕首相の教育改革国民会議、最近の地方分権・規制緩和に勢いづいた都道府県や大きな市の改革プラン等、教育に力を入れたポーズが、住民の受けがいいというねらいについて批判している。
その背景として、社会が行き詰まると、人々の関心が教育に向かい、後押しする。社会が悪いのは、教育が悪い。学校や指導者が悪いという声が上がり、それに、教育行政を揺り動かすという側面である。
結果として、性急過ぎる改革ラッシュが起き、教育施策の賞味期限が短くなる。そのいい例が、鳴り物入りで始まった「総合的な学習の時間」について、算数、国語などの教科学力向上のため、時数を削る可能性を示唆していることを述べる。

そして、首相に、教育の成果は直ぐには表れないから本来の意味で、百年の計が必要と論じ、全国の学校の声に耳を傾けるように提言した。しかし、悲しいかな政策として百年の計を訴えるリーダーのもとに、教育再生会議は見切り発車し、それを受けての中教審は教育再生が課題だそうだ。

    山崎氏ら新任14人 中教審、教育再生が課題 の記事内容
 伊吹文部科学相は1日付で、劇作家で評論家の山崎正和氏(72)ら新任14人を含む中央教育審議会(中教審)の委員30人の人事を発令した。政府の教育再生会議が第1次報告に盛り込み、安倍首相が文科相に今国会への提出を指示した学校教育法など3法の改正案が当面の審議課題となる。主な新委員は、歌舞伎俳優の中村吉右衛門氏(62)、元ソフトボール女子日本代表監督の宇津木妙子氏(53)ら。

by shingen1948 | 2007-02-07 17:33 | ☆ 教育話題 | Comments(0)