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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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タグ:阿津賀志山防塁 ( 16 ) タグの人気記事

 今回の阿津賀志山防塁調査について報じられたのは内堀についてのようだ。
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 その意義を「同町教委は『ここまで岩山を深く掘った大規模な防塁は全国的にあまり見られない』としている。」とし、「土塁などが見つかった部分の元々の地形は分からないものの、堀は凝灰岩の岩山を約1メートル70センチくり抜いて造られているという。」と紹介されている。
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 その底部に、人工的に削られた痕跡かな。
a0087378_429579.jpg 説明資料では、「内掘は、中土塁・内土塁の積み土すそ部分で計測した上幅が約9m、深さが約2.2mで、底面が平坦な「箱薬研(はこやけん)」の逆台形状を呈する。」と説明される。報じられる「凝灰岩の岩山約1.70m」は、岩盤をくり抜く作業部分までの計測かな。
 説明資料では、現況の積み土部だけで60㎝計測なので、現況でも堀の深さは約3mといったところかな。
 今回は、見学者が説明を堀に入っている状況や説明者の人間の大きさと比べて見えている。その実感は、客観的な数値で表せる状況よりもでかいというイメージだ。

a0087378_4315672.jpg 報じられてはいないが、指定範囲外側の部分で、外土塁、内土塁の端の痕跡の特定と計測が、継続的に実施されていたようだ。説明資料によると、実際の阿津賀志山防塁は、指定範囲より外土塁3.8m、内土塁4m広いということのようだ。
by shingen1948 | 2012-12-25 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
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 東北本線と高速道路に挟まれた石母田地区阿津賀志山防塁の内土塁の全体はこんな感じ。
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 その中土塁の発掘調査された部分を北側から眺めている。奥に見えているのは、中土塁。
 全体的に凝灰岩の基礎部分があって、その上に土塁が積まれている様子は、中土塁に同じ。削りとられた部分は、その土塁の積み上げ状態を確認するためのもの。
 なお、手前の凝灰岩礫群は、山裾の崩れ岩とか。
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 その削り取られた部分の詳細。
 基礎となる凝灰岩の上に、防塁築造時の表土が残った状態があって、その上に凝灰岩粒混じりの軟質橙褐色土(頂いた資料に表記される表現)が積まれている様子は、中土塁に同じ。
 頂いた資料によれば、基底部の幅は約4.5m、高さ60㎝の積み土。
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 内土塁の調査部分の境目=現況の表土と土塁が積まれた当時の表土の境目でいいのかな?

 詳細の整理ににこだわるのは、外土塁が消滅しているということはあるものの、内土塁と中土塁及びその間の堀で、この防塁の原型や大きさ等が実感させられるからだ。
by shingen1948 | 2012-12-24 06:18 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
 
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 東北本線と高速道路に挟まれた石母田地区阿津賀志山防塁の中土塁の全体はこんな感じ。
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 その中土塁の発掘調査された部分。
 全体的に凝灰岩の基礎部分があって、その上に土塁が積まれている様子が分かる。削りとられた部分は、その土塁の積み上げ状態を確認するためのものらしい。
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 その削り取られた部分の詳細。
 基礎となる凝灰岩の上に、防塁築造時の表土が残った状態があって、その上に凝灰岩粒混じりの軟質橙褐色土(頂いた資料に表記される表現)が積まれている様子がよく分かる。
 頂いた資料によれば、積み土の高さ60㎝、積み土がされている幅1.3m。

 内土塁の調査も同様な調査らしい。
by shingen1948 | 2012-12-23 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
a0087378_45345.jpg この地点の阿津賀志山防塁の元々の姿と比べると、土塁の外土塁の部分と中土塁との間の堀が消滅しているようだった。
 そういう意味では、ここはなかなか足を踏み入れられない地点であり、原形が残されているのではないかという期待は裏切られる。ただ、内側の土塁と中土塁、及びその間の堀の保存状態はよさそう。

 ここは、普段は東北本線を挟んで東側から眺めることになる。
 まずは、その逆の東北本線と国道4号線バイパスに挟まれた阿津賀志山防塁へ続く風景を整理しておく。
 ① 中土塁から。
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 ②  内側の土塁を通して。
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 次に、普段東北本線を挟んで東側から眺めている風景として、今回の調査地点を整理しておく。
 「史跡 阿津賀志山空掘跡」の石碑は、内土塁上に建っている。
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 明確に残り、今回調査された土塁と堀は、その内側の土塁と中土塁、及びその間の堀ということのようだ。
 その堀を通して厚樫山を眺めると、こんな感じ。
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この南側には、もう一つの堀と外側土塁があったということなのだろうと思う。
by shingen1948 | 2012-12-21 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
 何度か足を運んで何となく阿津賀志山防塁が実感できた頃の様子を2008年4月に「『阿津賀志山防塁』の実感を求めて」として整理している。
http://kazenoshin.exblog.jp/7048883/
 どこが防塁の地点なのかをみつけるのに、まずは厚樫山展望台まで登って、上から眺めれば分かるという単純な発想だった。確かに山頂には説明板が設置されて、見晴らし台から四方が見渡せるようにはなっていたが、うまく阿津賀志山防塁が実感できなかった。ただ、ここに登ったことで阿津賀志山防塁始点の地点は表示板で確認できてはいたということ。
(その山頂に設置されていた説明板の内容は、「阿津賀志山防塁②」にあった。)
 http://kazenoshin.exblog.jp/7052275/
 今から思えば、阿武隈川近くの二重堀にたどり着いて、これが阿津賀志山防塁かという感じが持てたような気がする。森山地区や高橋地区も漠然とこれが阿津賀志山防塁なのかなという感じはしたが、その地区の間の防塁を見失う事でもやもやとした感じになっていて、二重堀で実感らしきものが持てたといったといったところ。
 今回参加している時も、この時の厚樫山の阿津賀志山防塁始点の地点からこの石母田地区の阿津賀志山防塁のつながり具合が気になっていた。その都度撮っていた写真を、すでに分かっている人の視点に立って並べてみる。
 まずは、今回の石母田地区の阿津賀志山防塁の発掘現場を通して厚樫山を眺める。
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 その続きで、阿津賀志山防塁<石母田地区>から高速道路を挟んで見える厚樫山。この地点に防塁が続く。
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 視点を左側に振って、高速道路を挟んで防塁の少し南側を捉えておく。
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 次に、阿津賀志山防塁<石母田地区>を南側から眺めておく。
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 ここから下だる時にも、厚樫山を視野に入れて意識しながら下る。
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 高速道路を回り込んで登山道に出た地点から、阿津賀志山防塁を意識して厚樫山をみればこんな感じ。
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 ここから歩いて駐車場まで戻ってみる。
by shingen1948 | 2012-12-20 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
a0087378_7123927.jpg 「阿津賀志山防塁」の現地説明会が開催されるという報道を見たので、出かけてみることにしたのは11月17日。鉄道に挟まれた地点とか。
 報じられる新たな状態が見つかったことも興味深いが、ここはなかなか足を踏み入れられない地点であり、原形が残されているということもないかなという興味も。
 個人的には、この阿津賀志山防塁の散歩は、厚樫山に登ってみたのが最初。単に、上から見ればよいのかなという思いつきだった。この辺りなのかなと漠然と分かったような気がしたのだが、山を降りて探ってみると、見えた風景と歩く風景が一致しなかった。これが一致してきたように感じてきたのは最近だ。
 昨年のこの先の三重の土塁になる辺りの現地説明会にも参加した。実は、その辺りとのつながりはイメージ出来るのだが、厚樫山の防塁視点からのつながりのイメージが漠然としているような気もしている。それを確かめてみたいという事もあった。
 なお、昨年の参加時に整理したのは、現地説明会参加前後に散策した初期の鉄道の様
とかかわる事。この頃鉄道でここを越す子規のイメージに興味があったからだ。

 岩山堀り、大規模に 国見・阿津賀志山防塁で初の確認【福島民友(2012/11/13)】」
 http://www.minyu-net.com/news/topic/1113/topic3.html
 国見町教委が阿津賀志山防塁のうち、同町石母田で進めていた第12次発掘調査で、火山灰が固まった「凝灰岩」でできた岩山をくり抜いて造られたとみられる堀と土塁が見つかった。これまでの調査からこのような造りの防塁の存在は推測されていたが、実際に確認されたのは初めて。同町教委が12日、現地で発表した。同町教委は「ここまで岩山を深く掘った大規模な防塁は全国的にあまり見られない」としている。
 防塁は、1189(文治5)年の奥州合戦で、奥州平泉の藤原泰衛軍が、源頼朝の鎌倉軍の北進を防ぐため築いた内と外2重の堀と、土塁からなる防御陣地とされる。
 土塁などが見つかった部分の元々の地形は分からないものの、堀は凝灰岩の岩山を約1メートル70センチくり抜いて造られているという。
 今回は国史跡指定を受けていない地区を調査。推測されていた範囲に土塁や堀が見つかったことから、同教委は今後、追加指定を申請する方針という。
 教委は17日午後1時30分から現地説明会を開く。問い合わせは同教委生涯学習課(電話024・585・2676)へ。

 
by shingen1948 | 2012-12-19 07:15 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(2)
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 指定された駐車場が現地から遠かったので、阿津賀志山防塁に少しずつ近づくことができた。このことが、実感を伴った捉えに役だったと思っている。
 これが、駐車場から良好に土塁が残る高橋地区の阿津賀志山防塁現存部分と防塁の痕跡調査された部分の間を通る道筋だ。

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 この道筋を歩きながら、厚樫山の方を見る。
 学生時代の話だが、地層の現地観察の時に、現場に来たらまずやらねばならない事は、そこで煙草で一服するなどゆったりとした気持ちで現場を眺め、それからゆっくり作業に入る事だとの注意を思い出している。

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 厚樫山裾から今回の説明会のある高橋地区までの間を意識しながら歩いていく。そうすることで、風景の中に阿津賀志山防塁があって、その発掘現場に徐々に近づいていくという感覚が確かめられる。

 実は、前回までの説明会の駐車場になっていた所からこちらに来るのに、道に迷って現存部分の北側からこの高橋地区の現存部分に来ている。
 地図でどう迷ったかを後で確認したら、どうも防塁を大久保地区で横切っているようなのだが、その意識が薄い。
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 それでも、最短に高橋地区の防塁現存部分に近づいているようなので、何となくイメージはできていると思うのだが、ここから北側の阿津賀志山防塁の連続性のイメージを実感を持ってつかみきっていないのかも知れないとも思う。

 高橋地区の東側は今回の説明会でイメージできたのだが、国見・五十沢線をその感覚を味わいながら、駐車場に戻った。この日の歩いたコースが、散歩道として気に入っている。
by shingen1948 | 2012-10-09 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
 第1トレンチと第2トレンチは、良好に土塁が残る高橋地区の阿津賀志山防塁現存部分は、国の史跡指定地指定地区の確認のための発掘だったらしい。
 ここは、西側に流れる滑川( なめりかわ) に外堀の機能を持たせ、堀1本の構造との推定は、既知の事とされる。だから、説明会資料でも、この現存防塁部分の調査を成果としては説明されていない。
 しかし、既知とされている事が更に確認されるということに接するのは嫌いでない。そこから、その地道な作業に接する方のこだわりとか姿勢とかというものを感じるということもある。それだけでなく、専門とされる方にとっては常識である事ということで、説明されないが、当方が知らなかった事に接するチャンスでもある。更に、誰もがその当たり前とされている事が当方は知らないということもあって、これがカバーされるというともある。
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 これが、阿津賀志山防塁現存部分の東側の土塁が残る状況とその土塁の様子を確かめるためのトレンチと思われる第1トレンチの東端の部分。
 このトレンチ東端では、東側の土塁の外側の状況が、現況の土塁外側の状況と同じである事を示していることから、ここから東側に土塁や堀の痕跡はないということが確認されたものだと思う。ブルーシートが見えるのは、説明会には登場しない発掘された現場だと想像する。
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 こちらが、現況の西側の土塁と堀と第1トレンチの様子。
 堀の位置と土塁との確認のようで、その堀の様子は調査済みで既知としたのか、良好でなかったのでそこまでにしたのかは分からない。


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 これで、ここは現存する堀1本、土塁2本の現存する阿津賀志山防塁に、この防塁の西側を流れる滑川に外堀の機能を持たせた構造との推定になるらしい。これが、現存する西の外側防塁。


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 これが、更にその土塁の西側を流れる滑川( なめりかわ)。

 今回の調査は、これ等を既知とした上で、良好に土塁が残る国の史跡指定地以外で防塁の位置を確認して、そこから、堀跡一本と、土塁の痕跡が確認できたという事がメインのようで、成果として記されるのは、第3.4トレンチでの成果という事のようだ。
by shingen1948 | 2012-10-08 07:48 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
a0087378_434446.jpg 阿津賀志山防塁の整理の途中に、大河ドラマ平清盛視聴記録が入ってしまったので、まずは、第3トレンチと第4トレンチの位置が確認できる図を張り付ける。
 この図の第3トレンチについて確認して、その北側の圃場整備時の地形改変によって遺跡が完全に消滅した部分を挟んで、現存する高橋地区阿津賀志山防塁にどうつながるかを整理したい。
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 これが、第3トレンチの部分を西側から眺めたところ。奥に、土塁の部分が見えるが、その手前が、堀跡の部分とのこと。

a0087378_4401865.jpg これが、その堀跡の部分から土塁にかけての部分だ。
 堀跡についてだが、堀底幅約1mで断面逆台形状(箱薬研堀)の痕跡とのこと。
 土塁は、黄褐色・暗褐色・赤褐色の3種類の積み土を確認し、最大で幅5.5mの土塁痕跡である事が判明したとか。
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 これは、逆に第3トレンチの東側から見ているのだが、ここが土塁の端のあたりらしい。端線は、かく乱があるものの、この辺りが東端である事は確認できる。
 それより気になるのは、土器の破片が埋まっているのが見えること。
 資料を確認すると、根による撹乱部分を堀上げたところ、防塁の積土下層に、古墳時代(5世紀?)の竪穴住居跡が埋まっている事が判明したとある。a0087378_4523617.jpg ここの表土及び耕作土からは、土師器(回転井糸切り痕有り)・須恵器・縄文土器・石鏃も出土しているとある。この辺りの高まりは、防塁が造られる前に、縄文時代からの古墳時代(5世紀?)時代まで連続的に人々が生活してきたという痕跡があり、その高まりの地形も利用する形で、その上に、阿津賀志山防塁の遺跡がのっているという事のようだ。
 そのことを意識して、第4トレンチの方向から第3トレンチの付近を横に眺めてみるとこんな感じだ。
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 ここから現存する高橋地区阿津賀志山防塁にどうつながるかを確かめるのに、第4トレンチ方向から第3トレンチの土塁の端の位置を通して、現存土塁を眺めるとこんな感じだ。 
 こちら側の方向にも、土塁の痕跡のつながりを示す方向に、竿が指されている。それを目印に、右手の高まりを意識しながらが、現存土塁を眺めそのつながりを意識する。
 この間に、圃場整備時の地形改変によって、遺跡が完全に消滅した部分を挟む。
by shingen1948 | 2012-10-07 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)
 第4トレンチと第3トレンチの調査から阿津賀志山防塁の消滅部分が推定されるようなので、本当は、次に第3トレンチについて整理した方がよいのだと思う。a0087378_3534753.jpg 
 しかし、現地に立ってみると、それよりもここからどう下二重堀地区の防塁まで延びていくかが気になってくる。それで、先にこの第4トレンチの南側に阿津賀志山防塁がどう延びていくのかを整理する。
 まずは、第4トレンチの北側に立って、阿津賀志山防塁が続く南側の方向を眺めると東側の土塁の痕跡に続く延長線上の奥に高まりが見える。その高まりとこの第4トレンチの土塁を結ぶ線上に、阿津賀志山防塁の旗竿を立ててくださっている。
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 その高まり近くの町道側から眺めると、こんな感じ。旗竿の奥が第4トレンチの土塁の痕跡に続く。町道脇の崖縁の高まりとみていた部分は、阿津賀志山防塁の東側の土塁の痕跡らしいという事が分かる。その間の畑は、土塁を崩して平準化された姿なのだろうと想像される。
 その町道脇の崖縁は、県道五十沢・国見線まで続いている。その高まりの延長線の南側は窪地になっていて、県道を越した高まりはそこで消滅する。
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 見方を変えて、窪地とのかかわりを見れば、高まりは東側に延びているようにも見える。この高まりが、現地説明会資料にある「東側に延びる滑川沿いの段丘」ということになるのだろうと思う。
 その県道を越した高まりを確認すると、こんな感じだ。
 この写真の左側に写るのが、県道五十沢・国見線、そして、右側の低地に滑川がかかわるのだろうか。
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 阿津賀志山の全体説明図から、この辺りが分かる部分を抜いて、第四トレンチ位置、県道と町道、それに滑川を書き加えるとこんな感じだ。これと、現地を照らし合わせてイメージする。
 緑で表した部分が今回の調査区間の阿津賀志山防塁で、現存する阿津賀志山防塁と調査で明らかになった防塁部分。点線部分が、推定される阿津賀志山防塁部分。そして、赤い部分が下二重堀地区の現存する阿津賀志山防塁。
 少なくとも、ここから大橋地区へ続くラインの推定が体感的に捕えられて、その連続線上に、先に出かけた下二重堀地区の現存する阿津賀志山防塁へのつながりが連続的に捕えられるようになったということだ。
by shingen1948 | 2012-10-04 05:20 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)