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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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タグ:鉄道施設 ( 22 ) タグの人気記事

a0087378_16202851.jpg 昨日整理の工場に向かって右側の折り返し点1、3と反対側の折り返し点2、4を確認するのに、ホームから郡山方面を眺める。
 奥に写るまは日橋川の鉄橋で、右手に発電所かな。

 本戦から右側手前に延びてくる線路は、一番下のラインとつながっているようにも思うのだが、途中切れていることもあってよくは分からない。
 少なくとも、先の2段目の線路とのつながりを考えれば、右手奥の草むらの中に折り返し点2があり、傾斜のきつい2段目の線路につながっていくと考えるのが自然だろうか。
 その2段目のラインが、踏切の手前の高台で折り返したあと、フェンスが建つ土手の最上部にたどり着く折り返し点4が、線路の向こうの丘の端っこなのだろう。
 ここで折り返した列車は丘の最上段を進んで、踏切の上にかかる跨道橋を渡って、西側に進んでいったということだろうか。
a0087378_16423682.jpg 折り返し点のイメージだが、確認するのに点として扱ってきたが、実際の折り返しは、列車全体の移動だ。
  列車は、実際に折り返す地点を過ぎてもっと先に出て、列車全体がその地点を通り越して、そこから逆送するという事の繰り返しになるはずだ。
 そんなことが気になったのは、踏切に残存する一番下のラインの痕跡が一本であること。列車は、踏切を越えてその先まで進んで折り返すことになるのだが、実際に折り返す地点は、踏切より駅側なのではないかなと思った事。
 その事を考えてイメージ調整すれば、先に折り返し点とした地点は列車の先頭部分で、列車全体は実際に折り返す地点の外側まで通過しているという感じなのだろう。図示すれば、こんなイメージなのではないかなと想像したということ。
a0087378_16441679.jpg これは、工場側の西側の駐車場の予備の広場のようなところから眺めている。
 フェンスの向こうが工場内部で、跨道橋との関係から国道49号線バイパスから福島道7号猪苗代塩線に抜ける道筋の踏切の位置が分かる。
 この丘の西側で折返した列車は、工場内部でこの丘を少しずつ下りながら南側に方向を変えながら、工場に進入して行くということなのだろう。
by shingen1948 | 2014-08-18 16:45 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 東長原駅は、先に整理した会津若松駅から上り線(郡山方面)二つ目の駅。
 その歴史は、比較的新しくて、戦時中の昭和15年に駅向かいの昭和電工の前身日本電気工業が、従業員輸送を目的として全額会社負担する請願駅として設置されたということらしい。
 これと同時に、工場構内に専用線を引きこむ工事も行われたという。それが「昭和電工貨物専用線(廃線)」ということのようだ。
a0087378_991165.jpg
 この駅は、2面2線の単式ホームだが、その東側のホームから、そのスイッチバックで上って行く構造跡が観察できる。上り切るのに4点の折り返し点があって、最後の段西奥のもう一つの折り返し点で、工場内に進入する。
 その折り返し点で挟まれたラインは、徐々に上って行く事が分かる。
 フェンスの奥が、現昭和電工東長原工場になる。

 写真では3段のラインが引いてあるが、「ウィキペディア」では、2段のスイッチバックで上って行く構造とする。一番下のラインは、上るためのラインではなく本線から折り返して引き込み線に入ったというラインという感じかな。
 2番目のラインが傾斜が最もきつく、明かに上って行くライン。次のラインで堰の最上のラインにたどり着いてその最上のラインを進んで、今度はやや低い工場に下りながら進入するための折り返し点に向かうというのが、「街道wab」で紹介される5つの折り返し点と「ウィキペディア」で紹介される構造とのかかわりかな。

 まず、その西側の折り返し点の確認をする。実際には、複雑な要素があるようだが、出来るだけ単純に概念化する。
a0087378_910493.jpg これは、東側のホームから広田-会津若松方面を眺めているが、本線から外れて行く線路の先に見える草むらが最初の折り返し点で、ここから、先の写真の「1-2」ラインに入るということのようだ。
 この写真では分かりにくいが、草むらの手前が、国道49号線バイパスから福島県道7号猪苗代塩川線に抜ける道筋の踏切になっている。
a0087378_913499.jpg この写真が、その踏切付近。
 一番手前の線路が本線で、草むらの中に何となく線路が分かるのが、先の写真の折り返し点に向かう線路跡。踏切にもその線路自体が残る。
 その先に「折り返し点1」が想像されている。
 「折り返し点1」から1段目のラインに入り、反対側に「折り返し点2」で2段目のラインに入る。これがきつい坂道のラインのようだが、その坂道を登り切った地点が、この写真の踏切手前の高台のようだ。ここに2段目と3段目の線路の折り返し点3を想像されているらしい。
 3段目のラインを進んでいくと、「折り返し点4」があってそのラインを折り返してきたラインが、奥に現水道橋でつながっている丘のラインに入る。この奥の折り返し点5で折り返して、工場内に進入するという構造らしい。

 遮断機の車止めになっている付近(折り返し点3の向かい側)に、この踏切の見張り小屋があったということらしい。
by shingen1948 | 2014-08-17 09:16 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 のりしろ散歩の奥羽本線(山形線)を確認する中で、wabで廃線関係を確認しながら遊んでいたら、東長原駅が紹介されているページをみつけた。「驚愕の5段スイッチバック」と紹介されるのは「昭和電工貨物専用線」。それが、いつも街道を確認するのにお世話になっている「街道wab」の1ページだったのだが、今まで気づいていなかった。

 記事にした事はなかったが、実はこの駅は思い出の駅なのだ。小さい頃、会津若松からこの東長原駅で降りて、昭和電工東長原工場に何度か来ているのだ。それで、何度も立ち寄って懐かしんでいる駅なのだ。
 過去に立ち寄った時の写真を探したら、平成23年(2011)11月の写真が見つかったので、その写真を貼る。
a0087378_625356.jpg 昔は、会社が歌謡ショーを主宰して、社員家族を慰安するという事が結構あった。若松市内の市民会館が貸し切られる場合もあったが、会社内の集会場が会場になることもあった。
 その歌謡ショーをみるために、親父に連れられてこの工場に来た事があったのだ。家族で来たのは何故か自分だけだったが、時々懐かしくなって立ち寄っていたのだ。


a0087378_630374.jpg 社員は一つの駒でしかないという風潮が主流である今、考えられない古き良き時代のイメージと親父との思い出が重なっているような気がしている。工場の正面口は記憶にあるものの、工場内の記憶などあろうはずもないのだが、懐かしい幼い頃の親父との思い出が重なって、この工場の風景までも懐かしいと感じてしまうところがあるのだ。


a0087378_6343616.jpg 東長原駅前の通りだが、国道49号線バイパスから福島県道7号猪苗代塩川線に抜ける道筋になっている。猪苗代塩川線は、磐梯町を経由して猪苗代町で国道115号線につながる道筋だ。
 家族が、磐梯町の道の駅がお気に入りである事や、磐梯町の慧日寺が気になる事があって、結構使う道筋でもあるのだ。

 しかし、ここに「昭和電工貨物専用線(廃線)」があったこと自体全く知らなかった。
 それで、今回、「街道wab」に紹介される事をなぞってみることにした。紹介されるページには、トップページから「廃線wave」→「専用線」→「昭和電工貨物専用線」で入れる。
 そこに、磐越西線東長原駅が「驚愕の5段スイッチバック」と紹介されている。
by shingen1948 | 2014-08-16 06:36 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)

会津若松転車台 ③

 先の写真は、転車台がよく見えるような角度から撮ったものだが、扇型機関庫が、列車の陰に隠れて全体がとらえられなかった。
a0087378_15191959.jpg
 この写真は、その扇型機関庫の全体が見えるような角度から撮ってみた。今度は、転車台が手前の生い茂った草の陰になってよく見えていない。
 両方眺めれば、全体像がつかめるということで、こちらの写真も張り付けた。
 なお、この施設も「全国に遍く人と物を運び産業近代化に貢献した鉄道施設の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一つとして、経済産業省認定になっているようだ。申し込めば見学もさせてくれるらしい。
 いいなと思うのは、遺産でありながら現役で日常的に活用されているということでもあり、今回はここまでにする。

 「のりしろ散歩の『奥羽本線(山形線)』」とのかかわりを整理する。
 先に記したように庭坂駅も福島駅も転車台及び扇型機関庫は撤去されていて、福島市近郊でそれらの鉄道施設を見ることはできない。近くでは、最近まで山形県の米沢駅に残っていたようだが、これも消滅したようだ。
 それで、福島市在住者が県内で手軽に確認できる転車台が、この会津若松転車台と扇型機関庫ということだ。

 福島の鉄道施設が消滅する経緯の記録は見つけられないが、山形県側の施設については情報が得やすい。「奥羽本線(山形線)」の施設保存運動が盛んなようで、記録がしっかりとした情報がある。
 その情報によって、米沢駅の鉄道施設が消滅した経緯を確認しておく。
 旧米沢機関区転車台の製造年は昭和3年(1928)で、その仕様は下路型20 mとのことなので、会津若松転車台と同型だったらしいことが分かる。
 機関庫の方は、製造年が明治39年(1906)で、その仕様は煉瓦造(一部鉄筋コンクリート造)1452 ㎡とのことだ。ほかに、給水塔(コンクリート造)や洗車台が残っていたという。
 その転車台が消滅するのは、平成12年(2000)年1月13日で、米沢市の駅東駅前広場整備事業にともない解体撤去されたのだとのこと。現在は、広場の一角には「転車台跡」のプレートが立っているだけという。給水塔や洗車台もこの整備計画に伴い撤去されたという。
 機関車庫が消滅するのは、平成13年(2001)2月12日未明、豪雪のために倒壊したという。これで、旧米沢機関区の関連遺物はすべて消失したとのことだ。

 情報を確認して行く中で、「山寺駅の転車台」等を土木遺産として残そうと活躍される方を紹介している「ローカル線が行く【朝日新聞地域版(2014/8/14)】」という記事をみつけた。
 http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20130814071000001.html
 転車台がかかわる部分を確認する。
 「土木遺産を狙う 鉄橋や転車台」と題したことの記事では、JR仙山線の「熊ケ根鉄橋」や「山寺駅の転車台」等を土木遺産として残そうと活躍される方が紹介される。
 この方は、鉄道マニアではなく、優れた土木施設を遺産を遺産に選ぶ土木学会の選奨土木遺産選考委員なのだとか。
 転車台だが、仙山線には、作並駅と山寺駅の構内に残るそうだ。いずれも土に覆われてはっきりしなかったが、山寺駅では数年前、地元有志が手入れを始めたということだった。
a0087378_15222540.jpg そこで思い出したのが、先ののりしろ散歩の「奥羽本線(山形線)」の中で、「さよならスイッチバックyou.誘.遊」イベントに子供の付き添いで参加したことにふれたこと。実はこのイベントの最終地点は「山寺」だったのだ。先の整理でふれなかったのは、ここは奥羽本線ではなくて仙山線だったからだ。
 この時も、山寺観光協会という地元組織がこのイベント主催者としてJR東日本と共に山寺駅と名をつらねていたものだった。

 その仙山線の奥羽本線とのかかわりについて少しだけ整理しておく。余り深入りすると複雑なようなので、ちょっとだけふれる。
 仙山線は、仙台駅と山形駅を結ぶ快速と普通が走っている路線だ。奥羽本線とは、羽前千歳駅でつながるのだが、実際には仙山線を走る列車は山形駅まで乗り入れるようだ。 
 ここで複雑な事があるのは、羽前千歳駅と山形駅の間の奥羽本線は山形新幹線も走っているということ。それで、その線路とは別に普通列車用の線路が引かれているようだ。 
 その奥羽本線の普通列車用の線路は西側を走っているようだが、仙山線は、東側に進むことになるので、仙山線用の普通列車用の線路は、羽前千歳駅の南側で、新幹線の線路とクロスするらしい。

 先のイベント「さよならスイッチバックyou.誘.遊」の趣旨だが、仙山線を視点にすれば、庭坂駅-山形駅間のスイッチバックの線路が山形駅で消滅してつながらなくなるという意味あいでもあるということかな。
 今見つけたのが、「JR仙山線作並駅 転車台威容現す 市民グループが発掘【河北新報(2014/5/4)】という記事。
 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140504_15015.html
by shingen1948 | 2014-08-15 15:24 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)

会津若松転車台 ②

 会津若松転車台は直ぐに目につくところにあるわけではないので、なかなかみつけられなかった。
 ホームの方から順にそれらしきものを探していったがなかなか見つけられなかった。駅から広田/堂島方向(北側)に随分離れた本線の西側に配置されていたのだ。
a0087378_17221213.jpg
 今度は、見つけた転車台と扇型車庫を写真に撮ろうとすると、うまく写せなかった。古くて安いデジカメのせいもあるが、東側からしかとらえられないこと、しかも位置的に奥まっていることもある。
 その上に、今の季節手前の草が生い茂っている状態でもあった。写す場所を変えて何枚か撮った中から、その部分を切り取って拡大したのが先の写真だった。
 実際の見え方はこんなもんだ。

 確認する中で知ったこと。
 会津若松駅の位置が磐越西線沿いではなく、郡山方面・新津方面とも北側から南に方向を変えて入線し、出る時にも北に一度戻るという特徴は前から気づいていた。このことが、今回確認した会津若松転車台が活躍する「SLばんえつ物語」だとか、只見線に臨時列車としてSL列車等が走るイベントを盛り上げる演出をするのには都合がいいのだとか。これは初めて知った事。

 この磐越西線の上り下りのどちらも南北方向になるということは、只見線と同じ方向の線路が並ぶ配線になるという事になるのだが、この事が多様な演出の可能性のバリエーションが広がるということなのだとか。
 たとえばイベント時に同時発車とか並走運転とかといった演出。実際に、SL列車同士による同時発車・並走運転等の試みが度々行われるのだとか。

 ここからは、この駅から転車台と扇型車庫を探して歩いて行く途中のよそ見。
a0087378_1730058.jpg
 気になったのが、このコンテナ貨物。
 ここの事務所には、「会津若松駅」と「会津通運」の看板が掲げられているのだが、線路が見当たらないのが気になった。
 それで、家に戻って確認してみると、「会津若松オフレールステーション」というコンテナ集配基地なのだとか。

a0087378_17305638.jpg 確かに、事務所の写真を確認すると、二つの看板の反対側に、その「会津若松オフレールステーション」の看板が写り込んでいた。駅にあるコンテナ貨物なのに線路がないことが不自然と感じるのは感覚がナウくないということのようだ。

 会津若松オフレールステーションでは、貨物列車代替のトラック便が郡山貨物ターミナル駅との間で1日2往復運行されているという。会津若松駅が貨物列車の発着がない自動車代行駅になったのは、1996年なのだとか。その後、2006年から一部がオフレールステーションとなったということらしい。
 知らなかった。
by shingen1948 | 2014-08-14 17:32 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)

会津若松転車台

 a0087378_19262959.jpg今回の会津行きの機会に確認しておきたかったことの一つが、会津若松駅の「転車台」。
 先日ののりしろ散歩の中で奥羽本線(山形線)を確認する中で、旧米沢機関区転車台が消えたことや、仙山線山寺駅の転車台の存在も危ういらしいことも知った。
 今年6月26日に、JR東日本が、福島県で展開されているプレデスティネーションキャンペーン(DC)が閉幕するのに合わせて「SL福島プレDC号」が郡山-福島駅間で走らせた。
 「SL福島プレDC号」が、郡山に帰る時には電気機関車に引かれて戻ることになったのは、福島駅近辺にこの転車台が存在しない事とかかわるらしい。
 その確認の中で、会津若松駅の転車台は健在である事も知った。

 会津には、毎年何度か出でかけているが、鉄道施設については鉄道マニアのものという感覚で、消えゆく近代化施設という側面に気づいていなかっということになる。
 「トレたび」の「鉄道遺産を訪ねて vol.16」のページに、「希少な『下路式』転車台をもつ『SLばんえつ物語』の拠点旧会津若松機関区」として、紹介されているのを見つけた。「SLばんえつ物語」のC57型が転向する転車台と共に、扇型車庫も現役で健在と紹介される。どちらも、昭和初期に造られたものとのこと。
「下路式」転車台は希少価値だというあたりは、マニアの世界かな。圧倒的に多いのはレールが桁の上にある「上路式」転車台なそうだ。
 これらは、昭和49年に蒸気機関車が全廃された後も、話題の只見線のディーゼル機関車等の車両基地として使用されているという。
 当然、磐越西線のイベントだけでなく、只見線に臨時列車としてSL列車等が走る際にも、この旧会津若松機関区の転車台と扇形庫が大いに活躍するのだとか。また、冬季は(DD14型)の転向にも転車台が利用されるとも。

 ここ出身にこだわれば、「旧会津若松機関区」が「現、郡山総合車両センター会津若松派出所」と紹介される。会津地方の中枢を担う名門機関区が、郡山の派出所という位置づけである事が、ちょっと寂しい。
by shingen1948 | 2014-08-13 19:28 | ◎ 福島の建築 | Comments(2)
 「街道Web」のページが推測する「庭坂駅キャッチサイディング」をなぞって歩いてみたことを整理した。
 参考にさせていただいたページは、「時々お邪魔しています」の「街道Web」→「廃線Web」→「国鉄16件」の項の「庭坂駅キャッチサイディング」→から「奥羽本線・キャッチサイディング1(福島市・庭坂駅)2009.11」のページに入れるが、直接リンクさせていただいておく。
 http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/stop/cat-03.htm
 この道筋を確認してみて驚くのは、この「庭坂駅キャッチサイディング」の事故想定と、「事故の想定」と実際に起きた事故とのギャップだ。
 実際に起きた事故は、想定より遥かに小さなものだった。逆に言えば、実際に起きるであろう事故を最大限に見積もり、それに見合った壮大な安全の為の装置を構築しているということだ。
 こそこそと撤退するのは、大き過ぎる想定ということだろうが、それって違うだろうと思う。危機を最大に見積もる危機管理の考え方はナウいはず。誇るべき事なのだと思うのだ。
a0087378_12504276.jpg 恥ずかしいのは、新しい技術のはずの原子力発電の方。
 こちらの危機は最小に見積もっていて、安全神話をたたき込んだ挙句、想定外の事故を起こしている。恥ずかしいのは、こちらの危機管理の考え方のはず。しかも、こちらは最悪だと思うのだが、経済界のエゴを後押しする国が主導していく姿が醜く見えるのだが、……。

 それに比べ、無人駅にまで縮小された駅庭坂駅は、地域としては残念な事なのだと思うが、技術の進歩とその危機管理ということからみれば、「誇らしい撤退の歴史の風景」に見えてくる。
a0087378_1252559.jpg そんな気分で庭坂駅の裏を眺めていて気になったのが、北西隅の坂道。
 線路を横切る跨線橋でもあったのかなとも思ったのだが、その目的は分からないが、ハンプの可能性もあるかなと思えてきたのだが、……。その北側のJAの荷物とかかわるような気もするし、……。
 またよそ道に逸れたな。


a0087378_12533286.jpg 「日本の鉄道事故」のページで、ここの避線が撤去される明治35年以前の列車退行にかかわる事故を探すと、「横川軽井沢駅間乗務員乗客転落事故」が紹介されている。
 この事故の資料として「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」の「時事新報「新聞集成明治編年史<第11巻>」に載る「碓氷隧道の汽車逆行の珍事(明治34年7月15日付)」の以下の記事が紹介されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85_(1949%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E5%89%8D)
by shingen1948 | 2014-07-19 12:54 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
a0087378_1737734.jpg 「庭坂駅キャッチサイディング」という避線の跡が道筋として残っているとするのが、庭坂運転免許センター前の道筋から、叶屋さんの隣の骨董品屋さんの東側路地の道筋のようだ。この路地道をたどってみると、フルーツラインまで緩やかな弧を描く道筋になっている。
 ここの標高はおおよそ135mのようだ。というのは、ここから一本東側の道筋角に標高135mの単点がプロットされる。そこからここまでは起伏がない。
 標高135mの単点がプロットされる位置には火の見櫓が建っているのだが、そこは「東原集会所」の一角だ。
a0087378_17442013.jpg ここが路地道のおおよそ中間地点附近かな。
 地図上では、その中間付近に140m、フルーツラインに抜けた付近に145mの等高線が走っている。約10mの高低差があるはずだが、ここまでも緩やかな道で、上り坂という実感はない。

a0087378_17453917.jpg フルーツラインからその道筋を眺める。
 その道筋は、左手のコンクリートの建造物の先から左に入る道筋だが、その道筋がフルーツラインを越えた付近に小屋が建っていて、その先は確認できないが、ここから先に整理した162mの単点の地点は直ぐ近くなのだが、17m上昇する。この避線の中で、この間が最も急な登り坂という事になるのだろ。そこから最終地点までは、ほぼ同じ位の距離だが2mしか上昇していない。

 避線の設置理由は、開業当初の蒸気機関車は力が足りず線路を逆行した事故も起きていることとかかわるようなので、奥羽線での逆行にかかわる事故について、「日本の鉄道事故」のページで確認してみると赤岩信号所構内結社転覆事故があるようだ。その概要は以下のように解説される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85_(1949%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E5%89%8D)
 赤岩信号所を発車した列車が急勾配の第13号隧道内において空転を頻発した。その際に後部補助機関車内の機関手及び機関助手は蒸気により窒息し、昏倒。異常に気づいた本務機関車の機関手は非常制動をしようとしたができず遂に後退し始めた。そのまま列車は赤岩信号所構内に侵入、脱線転覆した。木造の客貨車は粉砕され、旅客は1人死亡27人負傷、職員は3人死亡、3人負傷した。
 しかし、この事故は、明治42年(1909)6月12日とのことなので、この避線設置とはかかわらない。というか、廃止された以降の事故のようだ。
by shingen1948 | 2014-07-18 17:50 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 探索中のよそ見として、中心話題から外れた話を整理しようとしてきた。
 しかし、その外れた話題を追っていけば、それが中心の話題になっていくということでもある。少なくとも、「奥羽本線(山形線)」の話が6回も続けば、それが中心の話題になっているということであり、「探索中のよそ見<中心話題から外れて」という項目が不自然になってきたので、これを外すことにした。
a0087378_9154840.jpg 今は、「街道Web」のページが推測する「庭坂駅キャッチサイディング」という避線をなぞって散策しているところだが、これだって3回目だ。今回はその最終地点付近で確認した事を整理する。
 その最終地点とされる付近を地図で確認すると、164mの単点がプロットされている。実際に現地に着てみると、標高164mの案内柱が建っている。それが、これだ。
 「街道Web」では、この北側に「庭坂駅キャッチサイディング」ラインが走っていて、その最終地点へ向かうというふうに推定しているようだ。

 前回整理の「162mの単点」付近の「庭坂駅キャッチサイディング」ラインとされる砂利道とのつながりだが、現況は、広域道路に沿って工場があって分断されていて、塀が回されている事もあって、その確認は難しい。
a0087378_9155218.jpg しかし、西側から確認すると、そのラインと想像される付近は、周りよりも一段高くなっていて、築堤の雰囲気を残す。ただ、庭坂運転試験場―フルーツライン間に比べるとかなり広い範囲だ。その南側の縁が前回整理の現在砂利道になっているラインとつながるというのが自然な感じだ。その高低差が、約700m進んで2m位のなだらかな登り坂という感じかな。
by shingen1948 | 2014-07-17 09:19 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 避線は、列車を引き込んで自然停車させるとのことだが、「街道Web」のページが推測する「庭坂駅キャッチサイディング」ラインを地図上に落としてみると、分岐点から庭坂運転試験場までは135mの等高線に沿うように走る。
 避線ラインは、この試験場の脇に入ってからフルーツラインに抜けるあたりまで、その痕跡を残す。
 たどっている時には感じないのだが、ここが緩い登りになっているようだ。フルーツラインとの中間あたりに、140mの等高線が走る。そして、フルーツラインを越えた付近に145mの等高線が走る。
 庭坂運転試験場東端からフルーツラインまでの高低差が約10m弱ということ。
 その先160mの等高線迄の幅が密になる。この辺りまででなんとか自然停車させたいとの思いのようなものを感じるのだが、その辺りに、162mの単点がプロットされる。
a0087378_10423259.jpg 「街道Web」のページ」に、kazさんという投稿者の方がこの単点についての面白い情報を寄せている。
 昭和60年代には、この「162mの単点」の位置にハの字型のハンプがあり、その頂上に四等三角点があったというだ。そのハンプの長さが200mはあったとか、そこが頂上になっていて、その頂上付近は掘削されていて、橋が架かっていたかも知れないとか、……。

 この辺りの道筋の痕跡は消えているようなのだが、その「162mの単点」付近を地図で確認し、そこに航空写真などの情報を重ねると、現在砂利道になっているこの部分辺りかも……と思えてきた。
 現況は、この左側(北側)が太陽光パネルが設置されている。その隣の土地の入り口という感じになっている。
a0087378_10443161.jpg この砂利道の先も太陽光パネルが設置されている。砂利道から中に入いることはできないので、回り込んでその地点を確認すると、このパネル設置場所は、周りより一段高くなってるようだ。そして、そのまま砂利道につながっているという感じがする。
 風景的には分断されて変わったのだが、地形的にはそのままの痕跡を残しているという感じがするが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2014-07-16 10:46 | ◎ 福島の建築 | Comments(2)