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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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羽州街道⑥~下戸沢宿

 上戸沢宿から白石湯沢温泉に立ち寄って、それから下戸沢宿に向かう。
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 下戸沢宿は、街道沿いに萱葺屋根の民家が残っていて、情緒を誘う。家屋の並びや道幅から宿場町らしい雰囲気を感じることができる。


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  羽州街道は、下戸沢宿から「六角」を右折して、七ケ宿ダムを通って七ケ宿町に向かう。七ケ宿の宿場としては、これから渡瀬、関、滑津、峠田、湯原と続いて山形県上山市の楢下宿に至る。そのうち渡瀬宿は、ダムに沈んでいる。現在の行政区では七ケ宿町になるのだが、今回はここまでで戻る。

 現在は、左折して白石に抜ける道もつながっていて、国道113号線になっている。
 この国道について、白石側から見ると、この国道ができる前は、白石から米沢に行くには鉢森山を越えて羽州街道に出なければならなかったという側面があり、その一方で、この国道が整備されたことで、羽州街道の小坂峠越えの道の需要が少なくなってすたれてきたという側面もあるようだ。
by shingen1948 | 2008-05-29 04:46 | Comments(0)

羽州街道⑤~上戸沢宿

  福島県と宮城県の県境である小坂峠から主要地方道白石国見線を走ると、左手に赤鳥居が見えてくる。そこには多くの車がとまっている。万蔵稲荷である。そこを超してしばらくいくと、上戸沢宿の看板で、脇道に導かれる。
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小坂峠を挟んで藩境となるのだが、ここは、出羽側の最後の宿場である。検断屋敷跡という支柱を見かける。広場があるだけでその面影はない。
  この検断屋敷については白石市のホームページに詳しい。その中の古い写真の電柱の位置と現場の位置を確かめると、おおよその景色が頭に浮かぶ。
  この復元された屋敷は、もう少し足を伸ばせば見れたはずで、ちょつと残念な思いが残る。


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上戸沢番所跡の支柱も見かけるが、ここも広場があるだけだ。


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七ケ宿街道(主要地方道白石国見線)の六角から小坂峠までが、「歴史を語る道」として、日本の道100選にとして選ばれたことを説明する案内板が宿の中ほどに建っている。


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日本の道100選「七ケ宿街道」
昭和61年度から毎年8月10日が「道の日」と定められたのを記念して、日本の特色ある優れた道路を100道選定する「日本の道100選」事業が行なわれ、このうち「歴史を語る道」として「七ケ宿街道(主要地方道白石国見線)」が選定され、建設大臣より顕彰されました。
  山形県境の上山市金山峠から福島県国見町へ至る「七ケ宿街道」は、山形領から仙台領を経て福島領の伊達郡桑折町で奥州街道に合流するまで七つの宿場があったことから名付けられたもので、天保年間以降は出羽13大名が参勤交代に利用したほか、物資流通を担った商人、出羽三山信仰の人々に盛んに利用された街道と言われています。
今回顕彰されたのは、このうち主要地方道白石国見線(白石市小原字六各地内国道113号分岐から同市小原字百貫地内福島県境まで5845.1m)の区間で、沿線には下戸沢地区の50戸余りの集落が昔ながらに並んでおります。また、上戸沢地区の20戸余りも同様に並んでおり、現在も旧宿場の面影が感じられる周囲の雰囲気となっております。

上戸沢宿から下戸沢宿に向かう途中で、白石湯沢温泉に立ち寄った。そのことについては、先に「白石湯沢温泉へ立ち寄る」としてまとめた。
by shingen1948 | 2008-05-27 04:28 | Comments(0)

羽州街道④小坂峠

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  中の茶屋から白石国見線をしばらく走ると、宮城県境の案内板が現れる。ここが主要地方道白石国見線の小坂峠で、ここからは、信達平野が広がり、阿武隈川や阿武隈山地も一望できる。
今は福島県と宮城県境である。ここにドライブインがあって「歴史の道」という案内板が建っている。羽州街道について説明しているのだが、この小坂峠が領地の境になっていることにかかわっては、次のようなことが説明されている。

昔は仙台藩と米沢藩との境界であり、寛文4年以降は、幕領との境界であった。それで、小坂峠を挟んで、小坂宿と上戸沢地区に、口留番所が置かれ、領内からの留物の流出と旅人の取締りに当たったということのようだ。
また、ここまでの古道の急な坂道は交通の妨げになっているのだが、それに関わるエピソードも紹介する。
文化3年(1806)庄内藩主の酒井忠器は、小坂宿で駕篭を降り急な街道を徒歩で越えたとあり、秋田藩歴代の藩主佐竹氏は参勤交代の折には、峠の不動堂に奉幣を捧げて道中の無事を祈願するのが恒例であったとのことだ。

江戸時代には、出羽の大名の参勤交代や出羽三山詣などの旅行者、一般の物資輸送で賑わったようだ。
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福島県側から羽州街道を通れば古道の出口にあたり、出羽側からは羽州街道古道への入り口にあたる。そこへ導く案内の支柱がある。
宮城県側からみれば、日本の道100選に「歴史を語る道」として選ばれた「七ケ宿街道(主要地方道白石国見線)」の最終地点にあたるらしい。
by shingen1948 | 2008-05-25 05:45 | Comments(0)
小坂宿を過ぎて暫くすると、道路に赤い鳥居がかかっている。そこをくぐると、右手に水車が見え、左手に石碑が見えてくる。中の茶屋跡ということらしい。小坂峠に向かう前にここに立ち寄ったのだろうか。
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水車の前には、羽州九段の滝という所に向かう案内板がある。その案内に沿ってちょっとだけ登った休憩所から今来た道を写す。


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手前のカーブにある階段の所からは、小坂峠への古道に行けるという道案内がある。

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その古道も、何度か改良されているらしい。
現在も歩行できる二つの道筋があるらしい。


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一方は、難儀を強いられる坂である「産坂」に向かう坂のようだ。


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もう一方は、改良された小坂峠への古道ということらしい。どちらも迷わないように、木々にマークがされているようだ。


今回は、ちょっとその雰囲気だけ味わって戻り、白石国見線を進む。中の茶屋のヘアピンカーブから九十九折りに山を登るのだが、カーブがきついわりには走りやすい。
しばらく走ると、林の中に県境が現れるが、そこが小坂峠だ。

案内板では、小坂峠に関わっては次のように説明されている。

 羽州街道の難所小坂峠
' 奥羽山脈を横断する街道が最初に出会う難所が小坂峠でした。標高は441㍍とそう高くはありませんが、ほぼ一直線に上る山道は、なかなか難儀を強いられる坂でした。この坂道には「産坂」という呼び名もありますが、まるでお産の苦しみと同じだというのが由来だそうです。
 難所改良のための工事が文久2年(1862)から3年かかりで行なわれ、慶応3年(1867)にも改良工事が行なわれて、そのときの道が慶応新道として今も残っています。
 峠を上りきると信達平野が目に飛び込んできて阿武隈川や阿武隈山地も一望のもとに見渡され、その景観は羽州街道中随一といわれています。

by shingen1948 | 2008-05-24 06:34 | Comments(0)

羽州街道②~小坂宿

小坂小学校の前に、羽州街道についての説明、小坂宿、小坂峠など福島県側にある街道の説明する案内板が建てられている。羽州街道は、ここを少し過ぎると、右に折れる。
 案内板の説明によると、この辺に口留番所はあったようだ。
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曲がるとすぐに小坂宿だが、目に付くのは蔵づくりの家だ。ここから奥羽山脈を横断することになるので、その最初の難関小坂峠越えを意識して、休憩を取ったり宿泊したりして備えるのに使われた宿のようだ。


 案内板では、羽州街道全体や歴史など多くの情報を掲載している。その中で、小坂宿については次のように紹介する。


 羽州街道最初の宿場小坂宿
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 奥州街道と分かれた羽州街道の最初の宿場が小坂宿でした。この先に難所の小坂峠があるため、旅人や参勤交代の一行はこの宿場で休んだり、宿泊して峠を越えたようです。秋田藩主の佐竹公もこの宿場に泊まっていたことが記録されています。
 宿場は街道を挟んで短冊状に屋敷割りされ、今でもその形式が残っています。
 街道の道幅は二間半(約4.5m)、家の間口は六間(10.8m)でした。宿場の北端で街道は直角に曲がっていて、そこに街道を通る人や荷物を監視する口留番所がありました。
 上州館林(群馬県)に国替になった山形藩主の秋元氏一行が羽州街道から奥州街道と移動しました。そのときの様子を絵巻に残した山田音羽子は、小坂宿の茶屋で出された竹の子の煮つけが珍しかったと書き残しています。
 小坂宿は羽州街道の中でも、当時の雰囲気をよく残している宿場の一つで、街道の両側に並ぶ蔵づくりの家に、羽州街道の古の様子がよく伝えられています。

by shingen1948 | 2008-05-20 04:20 | Comments(0)

羽州街道①~追分

 国見にでかけた時に、羽州街道の一部を辿ってみた。小坂宿を経て、小坂峠の入り口の茶屋、小坂峠の白石側の入り口、上戸沢、そして、下戸沢辺りまで足をのばしてみた。
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 その最初の地点が、羽州街道と奥州街道の分岐点である追分だ。ここは、桑折宿を少し過ぎたところだ。最近整備されたことは知っていた。

 羽州街道は、ここで奥州街道と分かれて出羽国(秋田と山形)へと向かう。この街道は、出羽の国を通り、青森県の油川宿で再び奥州街道に合流するという日本海側の主要な街道。
 福島県桑折町の小坂宿を経て小坂峠を越えて白石に入る。ここから、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原の7つの宿場を通って山形県上山市の楢下宿に至るのだが、この区間は、特に「七ヶ宿街道」とも呼ばれているという。このうち、上戸沢、下戸沢宿は、白石で、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原宿は七ヶ宿町の領分だが、渡瀬宿は、ダムに沈んでいるという状況のようだ。
 今回でかけたのは、白石の領分辺りまでということだ。

 天正7年(1579)の冬、米沢の伊達政宗のもとに三春城主田村氏の娘の愛姫が小坂峠を越えて嫁いだことから、「愛姫街道」とも呼ばれるという。
by shingen1948 | 2008-05-19 05:01 | Comments(0)