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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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タグ:清水湧き水 ( 7 ) タグの人気記事

旧暦12月26日先勝(戊寅)月齢24.96
月齢22~26頃の月を有明の月と呼ぶそうだ。月が昇るのは夜半後になり、夜が明けても白い月が西天に残っている。月齢26あたりからは、夜明けに三日月が東の空に現れる感じになるという

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福島市泉地区は、湧水の池が多いという。それで、案内板を頼りに、現在も残っている湧水の池を探してみた。まず、清水公民館の案内板でおおよその見当をつけてみる。先に散策した蛍の里づくりなどの池の位置を目印に、新たな目標の池を決める。おおよそその近くかと思うところで、町内の案内板を探し、確認する。
  今回は、個人の敷地内のようだった。塀の外から写真に収めさせていただいた。水車は、飾りなのか、それとも実際に使われていたものなのかは、今日は確認できなかった。


a0087378_5131113.jpg今回は、個人の敷地内のようだった。塀の外から写真に収めさせていただいた。水車は、飾りなのか、それとも実際に使われていたものなのかは、今日は確認できなかった。川の中の水草が生き生きと生えていて、手入れのよさを感じた。
  この水が、泉の旧飯坂街道馬道沿いの八幡神社前を流れる小川の源流になるということが確認できた。
by shingen1948 | 2007-02-13 05:16 | ◎ 水 | Comments(0)
福島市の西環状線沿いを散歩すると、道路が開通することによる変化に、人々がどう関わるかということをテーマにしていることが伺える。
a0087378_16822100.jpg その一つが、蛍の里づくりをしようとする環境構成だ。湧き水の池から、道路を挟んだ向かい側に、川が流れていることは知っていたが、そちらの川の様子は、今まで観察していなかった。
川に、蛍を人工的に育てるためであろうか、ネットが張られで荒らされないようになっている空間がある。そこから、同じような環境にしてあるのだろうが、人々が自由にはいれるようになっている。

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清水地区は昔から湧き水池が多いところで、そのことで、この地区は多くの野鳥や昆虫や魚が生息する豊かな自然を形成していた。また、豊かな水は、農業用水としても重要な役割を担っていたところだ。近年、宅地開発等失われていく自然をできるだけ存続し、「自然と共生する街づくり」を目指して、蛍の放流等の活動をしているとのことである。
  自らが参加して地域を作るという意識は、便利さの追求による開発によって失われていく。管理は公的なものがやるということになって、そこに住む人々が、自らも参加するという意識はどうしても薄くなる。

a0087378_16105473.jpg  それをどうにか取り戻そうとしているようだ。失ってから、意識を復活するのは大変だと思う。開発と同時に、その意識を失なわない方策を進行させていく取り組みだろう。
  これが、真に住民の感情に育つには時間がかかるだろが、めざす理想に向けて環境が整備されていることが伺えた。
by shingen1948 | 2007-02-04 16:14 | ◎ 水 | Comments(0)
ふくしまの地下水| Excite エキサイト ブックス > 書籍情報
a0087378_19552297.jpg 飯坂街道を歩っていて見つけたのは、自噴泉と掘る文化が合わさってできた自噴井の井戸だ。この井戸が紹介されていたこともあって、この本を購入した。
この本は、表紙を開けると本文に入る前に、特色ある清水の写真集になっている。この井戸は、その写真による紹介のところにある。
[2001年7月撮影としてこの井戸の写真による紹介]があり、以下の説明がある。
(※ このページに貼り付けた写真は、散歩に出かけて見つけたときに自分で撮った写真)
写真15 自噴井(福島市泉、阿部魚店所有)
 深さ約100mの井戸に、複数のレベルにストレーナーを設けたこの井戸は、作井時の1995年には日量約400?自噴し、近所の人々はもちろん関東圏の旅行客までもがおいしい地下水をくんで帰ったほどであった。
  この付近の浅層部が、テトラクロロエチレンによって汚染されていることがえいきょうしているのであろうか、最近、汚染のない深井戸を掘る人が増えた。その結果地下水位が低下し、自噴量も激減してきている。

  この本に記述されている汚染については、発行される前に新聞記事になっていものをもとに、話題にしたこともあった。ただ単に茶飲み話として、話題にしたつもりだったが、話をした方の知り合いに、該当する工場の排水の水質を管理する仕事をされている方があり、気まずい想いをした。
  工場としては、最大の努力をしていて、心外であるというコメントをいただいた。こういう話をする時は、論拠を自分で確認しないで語ってしまったことの浅はかさと、それでも、こういうことは、素人でも話題にしなければならないのではないかという想いで複雑だったことをも思い出した。

 もう一つ、この本に注目したのは、科学的な冊子であるにもかかわらず、水の神秘さについて「水利用以外の利用」として、以下のように触れていることである。
 
宗教は、すでに旧人の時代に、生まれていたといわれる。それ以降、大自然の力を恐れ、敬い、あるいは拝むといった宗教儀礼がなされてきている。井戸には水神や井神があると信じて、これをまつる風習が、今日にも続いている。水神を祭る風習は、関西地方ではすでに弥生時代にはあったことを、山本博氏は紹介している。
  かつて井戸は、集落の貴重な財産であり、共同して利用していた。良質の水が出る井戸を所有して、権力者が権力の証にし、神社や寺が崇拝の対象にすることもあった。

  恵まれた環境のため、感覚が麻痺しているが、極限状態におかれれば、最低限生命体を維持するには「水」が必要であることに思い至るはずであり、ありがたい存在となる。そのことと宗教的な感覚が結びつくのは自然なことであると思うのだ。
by shingen1948 | 2007-01-24 20:05 | ◎ 水 | Comments(0)
福島の泉地区から清水地区にかけて、その名の通り水の豊富なところである。清水の湧き出るところを訊ねると私有地であったりすることが多い。a0087378_4254774.jpg公共の場所として見つけたのが、ほたるの里公園にしようとしている池である。ここから湧き出た清水で池になっているところだ。この池の側には水神の祠があり、そこに説明板が建っている。その説明板によると、明治時代に水道増設の際や福島刑務所の上水水源地として活用したとあるとのことである。




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 この表示から、住民としての立場から「水の豊かな地域への誇り」の源を確認し、伝えようという意思が伝わる。
 私としては、水神様の説明のうち、水神の具現化された姿が、蛇・河童・竜という記述が気になっている。
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正月に、天神様を訪れて、その光のあたらない部分を確認している時、氏子たちが、天神の祠以前からあったのであろう神聖なる物に清めを施しているところをみつけた。一つは23夜講の記念碑であって、この23夜講については確認済みだったが、もう一つに金蛇神社とあったのがどこか奇異に感じて引っかかっていたのだ。水神様の具現化したものを祀ると解釈できるかもしれないというヒントを得たのだ。すこし仮説的なものが明確になったように感じたからだ。

説明板の記載は          More
by shingen1948 | 2007-01-11 05:02 | ◎ 水 | Comments(0)

吾妻の里の自噴泉と伝説

a0087378_19255452.jpg  古くからある自噴泉には、その清水に係わる伝説があることが多い。福島市の矢野目地区にある清水にも「片目清水」という伝説が残されている。この清水も、伝説の内容には、八幡太郎義家とのかかわりが出てくる。








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  この地区は、高圧線が通過するぐらい、藪の中にあり、ひなびた所であった。それが、突然道路が拡張されて、それに伴って開発が進んだ地域である。
 私がこの清水を確認した時には、高圧線の鉄柱の足下に位置し、立ち入り禁止のロープが張られていたた。それでも、立て札と、水神を祭る社が確認できた。

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立て札には、以下の説明があった。
後三年の合戦に鎌倉権五郎景政、鳥海弥三郎の射る矢、左の目に立つ
景政矢を抜かずして弥三郎を追い遂に射斃す。傷をこの清水にて洗いし
後世小魚 左目盲目なり、この時景政十六才なり。

どんな風に取り扱うようになるのか心配した。
a0087378_1929465.jpg しばらくして、再び訪れた時には、公園の一部にこの清水が美しく整備されていた。周りは、商店街ができ、住宅地が建ち並んでいた。
清水は、美しく整備されたが、人工を感じ、いかにも公の機関の仕事として、美しく整備したというデザインだった。自然に湧き出る神秘な雰囲気もないし、近くの人手が入って、綺麗に管理されるという雰囲気も無かった。水神も祠もなかった。
  それでも、そこに清水があり、説明板が建ったということで、清水の存在の確認ができることは、それなりにうれしいことではあった。

  この清水、地元の記念誌には、次のような伝説として残されている。
 
昔、有名な八幡太郎義家に味方した鎌倉権現五郎景政という武将が居ました。後三年の役(1083~1087)2ときのことです。景政は、ある戦いで、敵の弓の名人、鳥海弥三郎に矢を射られ、左の目に矢が突き刺さってしまいました。
傷の手当てをしようと、後退する途中、こんこんと湧き出している泉を見つけたので、矢を抜き目を洗っていますと、弥三郎がやってきて、一騎打ちになりました。勇ましい景政は、重傷なのに少しもひるみません。ついに弥三郎を討ち取りました。
それからこの清水には、景政と同じように左の目が潰れた鮒ばかりいるようになったといわれ、「めっこ清水」と呼ばれるようになりました。
また、弥三郎の妻は、夫の死を聞いて悲しみ、尼になって清水のそばに住み、菩提をとむらいました。
今もこの清水は、片目清水13番地にあり、清水が湧いています。
(注)
  この片目清水については、違う言い伝えもあります。景政はその時15歳で、突き刺さった矢を7日7夜も抜かないで、弥三郎を追いかけて討ち取り、その後、この清水で目を洗ったとも言われています。

by shingen1948 | 2007-01-09 19:35 | ◎ 水 | Comments(0)

水を慈しむ心の文化

a0087378_715940.jpg 織井の清水から、大名倉山を挟んだ向かい側に「岩井の清水」がある。そこも源義家が矢じりで岩を掘ってできたという同じような言い伝えがある。
 ここは、地域の「土の人」にとっては、立て札を建てるぐらい分かりきった所であるが、自分としては、昨年の秋に、近隣を散策していて見付けた所であり、発見の喜びを伴った清水である。



a0087378_725571.jpg この清水、景色として見ると、清水の奥に祠があり、神聖な場所として意識されていることを伺うことができる。赤いプラスチックのコップが置いてあり、村の人が飲料に供する意志を表している。
 飲料水という観点で思い出したのは、子どもの頃に心に刻んだ「村里の景色」である。村里には、必ず小川が流れていて、家の前には、「洗い場」があって、そこで農作物を洗う姿を思い出す。この「洗い場」は、風呂の水を汲む場所でもあり、早朝には、水汲み場になっていて、飲料水を確保する場所でもあった。
水は、ある距離を流れることと時間がたつことによって浄化されるという意識があって、汚れを洗い落とす場所と、飲料に供する場所が共存できたのだ。
そして、この小川は、田に入れれば耕作物の必要とする水であり、池に入れれば、そこに飼う魚のための水となる。ここには、無意識のうちに、汚しきってはいけないという共存のための意識が働いていた。人が生きていくための源としての水である。
この小川に生える水草が、便所の尻拭きになったなどという余計なことまで思い出した。
こんこんと沸く清水には、スイカが浮かんでいる。そこから流れ出た清水には、シジミが住んでいて、おいしく食べた。

そういった忘れていた景色を思い出す。誰教えるということなく水を慈しむ心の文化が存在する。その村の水の文化の源に「織井の清水」「岩井の清水」があるということであり、そこに、祠があり、伝説があり、言い伝えることの大切さがある。
そのことを、思い出した。

清水についての二つの説明板  More
by shingen1948 | 2007-01-07 07:17 | ◎ 水 | Comments(0)
a0087378_1447862.jpg  風に吹かれて、ママチャリで、村の中を走ってみた。西方面からママチャリでいけるところまで行って、そこから山際沿いに東の方向を目指す。館を北に見える位置まで来て、そこで一服しながら景色を眺める。そこからは、気の向くまま自転車を走らせて、目に付いたものがあれば立ち止まるというコースである。
 目に付いたものが、織井の清水であり、ここで立ち止まってみた。

 地域を散策していると、言い伝えにいろいろあって、一見矛盾しているように見えるものが多い。若い頃には、これを批判的に受け止めていることが多い。しかし、年をとってくると、そこから言い伝えたかったことは何なんだろうと想いをめぐらせることが多くなる。
 若い頃も地域を調べている方に、諭されたことがあったが、実感としてよく分からないでいた。丸ごと受け入れるよさを知らなかったのだ。分析的に捉えたり、科学的に捉えることも、大切ではあるが、この心構えでは、伝えようとする心は伝わらない。伝えようとすることは、事実ということもあるが、物語を通して、比喩的にを伝えようということもある。小説は、物語りはフィクションでも、そこに真実を伝えようとする力があるように。

 織井の清水を前にして、いくつかの由来をどう受け入れるか考えてみた。
 村の誇りや比喩を通しての真実は何かということだ。
 清水とは、そのこと自体に、神聖さがある。これは、水のありがたさを感じないものには捉えることができない神聖さだ。そのありがたい水が自然に湧き出るところが清水である。清水を発見する喜びは、木の脇に水神を祭っていることで伺い知ることができる。

  湧き出たありがたい水を、ただ神に感謝するだけではなく、日々の清めとも思える公共の管理を促す文化となる。共同の水場にすることであり、もっと広く旅人に提供することである。この文化は、掘り当てる文化とは少し違う。
  織井御前の話は、産湯という生命の誕生には、この水は欠かせない神聖な水であるという付加価値を感じさせる。また、いろいろな説を生むという背景には、旅人も使える公共の井戸であったことを物語る。源義家を語るのは、時代背景が、南北朝時代から存在するという村人の誇りが読み取れる。近隣には、この時代の伝説が多い。吾妻山や安達太良山を中心とした山岳宗教も含め、交易のための水場としての地位は本当に存在していると感じている。

  新年に、水に関わる文化に心あそばせることができた。
石積みといい、その周りの落ち葉等の手入れといい、日々に美しい水場を保つ積み重ねに文化を感じてすがすがしかった。

織井の清水の言い伝え     More
by shingen1948 | 2007-01-06 14:38 | ◎ 水 | Comments(0)