人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

タグ:水環境 ( 30 ) タグの人気記事

a0087378_3453330.jpg
 栗本堰の記念碑から、水路をたどって下ると、


 a0087378_3464089.jpg
 松川堰堤と栗本堰の共存関係、栗本堰・一の堰・笹谷大堰の3つの堰の共存関係、その象徴である円筒分水まで戻る。


a0087378_351556.jpg
 そして、そこから再び笹谷堰に戻って、視点を変えて周りを見渡せば、そこには、新たな景色が創設されている。


a0087378_3522716.jpg
 橋脚が並んでいる。


a0087378_3543185.jpg
 恐らく、このあたりで、東北自動車道から米沢に向かう高速道路が分岐していくことになるのだろう。新しい交通網の整備の風景。


a0087378_356526.jpg
 その新たな風景の中に、切り取られた原風景が残る。


a0087378_356599.jpg
 二つの水路に分かれた笹谷大堰も、その原風景の一つ。

 
 水神に刻まれた栗本堰の後半部分は、この景色に対する思いの表出とみる。
 然し時代の変遷は著しく、かつては水田面積約一千ヘクタール、組合員数約二千名を誇った栗本地区も住宅、商工団地の造成、区画整理、その他の開発行為により水田面積が約408ヘクタール組合員数1109名と大幅に減少した事は誠に寂しい限りであります。
 今後は200年前に此の大事業を成し遂げた先駆者の偉大なる業績を讃え、昭和大改修を実現された先輩諸氏に対して感謝の意を表し、更に平成9年度着工、平成18年度竣工の県営福島北部地区経営体育成農業基盤整備事業によって美田が整然と並び、生まれ変わった栗本地区と美しい自然と誇れるふるさとの創造、そして85年前(大正10年)、に建立した農村文化遺産とも言うべき栗本堰水神を崇拝し大切に保存して後世に伝えるのが私共に課せられた責務であると痛感し、この度改修遷座を致しました。

by shingen1948 | 2009-01-22 04:16 | ◎ 水 | Comments(0)
 高台に円筒分水が見えたあたりから、松川の土手に出る。
a0087378_349388.jpg
 土手の異様な巨大さや形から、本腰入れて自然の水の力を抑え込もうとしていることが感じ取れる。


a0087378_3503642.jpg
 記念碑に言う「然るに幸なる哉事業に参画の諸賢が宝永万民を潤すの志を立て、松川砂防邸堤を利用して三堰合一の取入口を設け旧水路敷きを拡げ、」という事業計画だったということに納得する。

 まず、この松川において水の力を抑え込むのには、巨大な堰堤が必要だったのだ。
 そのためには、右岸の活用されていた3つの堰の取水口との共存関係を築く必要があった。
 それで、堰堤の工事に先駆けて、最奥地の床固めのダムを使って取水口を設け、そこからもっとも高い位置にあった栗本堰の取水口の位置に、3つの堰の分水を置いたと想像できる。
 それから、堰堤の本格的な工事に入ったということだ。

 だから、円筒分水の必要性があったのだろう。ここで不公平感が生じて水争いが起きない配慮だ。
 現時点で、3つの堰の組合が合流して運営されていたとのことだから、円筒分水はその役割を十分にになったということか。

 先に確かめた本来は、一の堰、あるいは笹谷堰の水神に、栗本堰の由来が刻まれていたことは、遺跡としては混乱を招くとみれるが、共存関係という視点からは、成功例ということなのだろうか。
a0087378_19462794.jpg
 やがて、フルーツラインが見えてくる。この先に栗本堰の記念碑がある。


 水神に刻まれていた栗本堰の歴史の上に、フルーツラインにある栗本堰の碑に刻まれた歴史が重ねられたということのようだ。

<水神に刻まれた栗本堰>
  栗本堰は、今から204年前享和3年(1803)栗本三左衛門という人が時の桑折代官、竹内平右衛門の許可を得て計画立案、用水路を開削完成し栗本堰と名付けたとの言い伝えがあります。かつては旧信夫郡大笹生村、笹谷村、平野村、余目村、清水村の一部、蒲田村の一部に跨ぐる水田約一千町歩の潅漑用水及び一般用水を松川左岸から栗本堰、一の堰、笹谷大堰の三堰各水利組合が個々に取水していたのを昭和22年に県営農業用水路改良事業として工事着工、松川砂防堰堤に取水口を設置し昭和25年に竣工したのが栗本堰幹水路であります。


<栗本堰記念碑に刻まれた栗本堰>
a0087378_19415760.jpg  この碑は、栗本堰用水改良事業が昭和22年より3ケ年の歳月を重ねて竣工した大偉業を記念する為に建設したものである。
 かつて、旧信夫郡大笹生、笹谷、平野、余目の各村、福島市(清水・鎌田)に跨る水田壱千町歩の灌漑水及び一般用水は、松川左岸の旧栗本堰、一の堰、笹谷大堰の三堰より引水していたが、各堰共不完全で年々取り水設備に多額を費やし、或いは下流水田の植え付け期を失して莫大な損害を蒙るな遺憾な点が極めて多かった。然るに幸なる哉事業に参画の諸賢が宝永万民を潤すの志を立て、松川砂防邸堤を利用して三堰合一の取入口を設け旧水路敷きを拡げ、更に新堰を開き、各水路に引水することを策定し、終戦直後の資材資金難をよく克服して、官民一体となり全力傾倒の努力の結果見事に完成したのである。○来20年、2600余戸の農家、並びに一般住民の栗本堰より受ける恩恵は、測り知れぬものがあり、水満ちて人和すの通り、水田適期作付の可能、稲成育期の水管理の苦労解消、更には果樹園芸の振興等地域産業発展に貢献するところ極めて多大である。世相の激動変遷はあっても、万古に涸れぬ栗本堰は長く地域振興の礎となることを固く信じるものである。
工事概要
起工昭和22年2月1日
竣工昭和25年3月31日

中略
昭和45年3月6日福島市栗本堰土地改良区建之
人名 略

by shingen1948 | 2009-01-21 04:48 | ◎ 水 | Comments(0)
 今度は、水路側から笹谷大堰の旧取水口が確認できないかを確かめてみることにする。
a0087378_1855394.jpg
 土手から旧道と思われる道へ進むと、水路が道を横切る地点がある。ここから水路をたどる。


a0087378_18555612.jpg
水路は続く。


a0087378_18561768.jpg


a0087378_18583458.jpg
 資材置き場あたりから右にカーブしているようだ。


a0087378_1922276.jpg
 その曲がり角が、排水口になっている。高低を気にしなければ、このまま繋がったあたりに旧取り水口があったとしてもおかしくはない。


a0087378_19328100.jpg
 このあたりは、何となく土地が凹んでいるような気がする。やや斜めに進めば、その延長線辺りも旧取水口でもおかしくはない。
 曖昧のままだが、この辺りが旧笹谷堰取水口であることが、自然ではある。


a0087378_1971291.jpg
 自然石を積み固めた水路は、果物畑の中を円筒分水まで続いている。


a0087378_198969.jpg
 そこまで進んでみることにする。


a0087378_1984612.jpg
 やがて、高台に円筒分水が見えてくる。
by shingen1948 | 2009-01-19 19:10 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)

阿武隈川本流の水質

 阿武隈川の水質にかかわるニュースの切り抜きを見つけた。
 木幡川・安達太良川等、2本の安達太良川の支流の水質をみつめる機会があったので、その間の本流である阿武隈川の水質にかかわるニュースを切り抜いておいたものらしい。

見出しは、「カゲロウ激減」福島・阿武隈川~水質改善橋すっきり(2007.9.25「朝日新聞」)

 77年頃から異常発生が確認されるようになったアミメカゲロウが、昨年は激減していることを伝えるものだった。
このアミメカゲロウがニュースになるのは、発生したアミメカゲロウが橋の上に落ち、その卵の油分で車がスリップするからだ。福島の阿武隈川では、30年間季節になると、この大量発生に悩まされてきていた。

 ニュースの「キーワード」という欄を設けて、アミメカゲロウを以下のように解説している。
 シロイロカゲロウ科で別名オオシロカゲロウ。カゲロウの中では最も大きく、本州、四国、九州に見られる。8から9月の夕方から夜に孵化し、其の後数時間のうちに交尾・産卵し、一生を終える。

普通の季節は、卵はかなり深い川底にあって、なかなか見つけにくいそうだ。発生する時期近くになると幼虫が浮遊して目立ってくるらしい。

 このアミメカゲロウの大量発生に最初に着目したのは、NHkの福島放送局だ。
 自分も現象としては目にしていたが、それまでだった。それを問題意識まで高め、番組にするまで整理したという意味で、この放送を見た時の印象が強烈だった。
a0087378_5335458.jpg
 新聞には、大量発生の様子を県自然保護協会長さんの写真を掲載して伝えている。
 そのアミメカゲロウを、県自然保護協会は、毎年、調査し続けていたらしい。
 8月下旬に川底に生息するアミメカゲロウの幼虫を調査して、その年の発生数を予想しているとのことだ。

 それが、去年はこの調査で1匹も確認できなかったとのことだった。
 これは、阿武隈川の水質改善が生息数の減少につながっているのではないかと見ていた。
 アミメカゲロウは、川の汚れである有機物を食べることから、汚濁の進行を表す生物指標としての役割を果たしているからだ。

 今年は、阿武隈川に関しては、白鳥の飛来と鳥インフルエンザにかかわってのニュースが中心で、このことに関しては話題に上らない。それは、アミメカゲロウが安定して減少しているからではないらしい。今年はこのカゲロウが、あちこちで発生しているようだ。

 しかし、そのことが、直ぐ水質悪化に結びつくものでもなさそうだ。この曖昧さがニュースにならない理由だろうと想像する。
 阿武隈川の水質が改善されていることは、川に関わりのある方々は実感として持っていて、特に白河辺りの水質の改善が進んでいると感じているようだ。
 恐らく、他の何らかの別のファクターで、発生が多くなっているのだろうと思われる。
by shingen1948 | 2008-10-18 05:44 | ◎ 水 | Comments(0)

安達太良川の水生生物

2008.6.24に、安達太良川の阿武隈川合流地点近くの水色公園後ろの水生生物を確かめたというデータを頂いたので、整理しておく。
a0087378_72472.jpg
 特徴的なことは、ヒゲナガカワトビクラ・シマトビゲラ(ウルマー)など、比較的水質のよい所に住む水生生物と、ヒル・アメリカザリガニなど比較的水質の落ちたところに住む水生生物が混在していること。
 流れを制御しながらも、川岸をコンクリートで被わないために、水流や水質の安定が確保されたりしていると考えられる。こういった細かい気配りある工法が、目立たない自然界の様子に役立っているということのようだ。

 オオコオイムシ・ハグロトンボ・ミヤマサナエ・ダビドサナエ属・ヒラタドロムシ(2種)・ヒゲナガカワトビクラ・シマトビゲラ(ウルマー)・ガガンボ属・オニヤンマ・コガタシマトビゲラ属・タニガワカゲロウ属・チビヒゲナガハナノミ(ヒラタドロムシの仲間)・ドブシジミ・シマイシビル・ミズムシ・アメリカザリガニ・カワニナ・サカマキガイ・シロハラコカゲロウ・コカゲロウ属・フロリダマミズヨコエビ

 
 フロリダマミズヨコエビが支流に存在していることに注目する必要があるかもしれないとのことだ。2個体の内、1個体は、卵を持っていたとのことだ。
by shingen1948 | 2008-10-17 07:04 | ◎ 水 | Comments(0)

鳴俣堰④

a0087378_4365592.jpg
 鳴俣堰と杉田川の高低差が見えるところがある。地点は、皿久保神社の少し手前だ。
下を流れているのが杉田川だ。
 この坂道を登って、人家の上方に岳街道が走っている。
 その上を 鳴俣堰は走っている。
 単に百日川へ合流させることをめざしているのではなく、玉井の「大地を潤しながら」ということが分かる。


実際に歩いてみると、水争いと無縁なように感じるのだが、「大玉まるごと百選」では、大正13年の「鳴俣騒動」を紹介している。

この年の夏は雨が降らず、この堰にかかわって分水率が問題になったという。そんな中、この頃は3日に1日は本宮に分水するという習慣だったが、水が流れてこなかった。本宮の農家の20歳以上の男子を総動員して取り水口に押し掛けた。手に手に木刀を持ち実力で分水しようとしたのだ。
 これに大山村民は激怒し、本宮の商店と取引をしないという「不売買同盟」を結成した。
 安達郡役所が仲裁に入ったが、双方の主張に隔たりがあって難航したようだ。それでも玉井も立ち会うなどの方策と3回の調停会を経て、仲裁案が提出された。「水利権は双方主張を撤回し従前通りとする」ことと、「本宮町から謝罪使を派遣する」ことで承認され、村民会議開催で決定され、謝罪使を迎える集会が開かれて終結したという。

 これは「大玉村水利事業史」からの引用だが、ここでは、大正11年の恐慌、翌年の自然災害による恐慌の悪化という社会的背景によって、窮乏した村民が、本宮町の大地主の小作になっているということが背景にあると推測していた。
 また、鳴俣堰には造られた当初から、本宮の農家がそれぞれ米一升を出して番人を置いていたことも紹介されていた。
a0087378_447354.jpg
 これは、鳴俣堰と合流したばかりの地点だ。


a0087378_4502215.jpg
 百日川は、豊かな水量を保ちながら、扇状地を下る。騒動は昔話のようだ。


a0087378_4534583.jpg 
 これは、この豊かな水を地蔵免あたりの水田開発に利用するための取り水口である。


 百日川からこのような堰がたくさん延びて、杉田川と安達太良川の中間の扇状地を豊かに潤しながら本宮をめざしていく。

a0087378_4554172.jpg

by shingen1948 | 2008-10-02 05:10 | ◎ 水 | Comments(0)

鳴俣堰③

 鳴俣堰は、単に本宮の地を豊かにするだけでなく、皿久保の地も共に豊かにしていることが分かる。
 「本宮地方史」には、天正年間以前に、玉井村の新田開発を目的に、杉田川の流れを分水するため、堰を設けたのが始まりとのことだが、それがよく分かる。

 この堰のスタートを改めて確認する。
 天正初頭頃、本宮城主鹿子田和泉が、皿久保館主に頼み、大江村名主と椚山村名主の了解を得て、本宮の百姓人夫で、堀をつくり、堰を開設したとのことだ。

 大江村・椚山村にとっては、それまでの水量8分確保であることと変わりがないという条件だ。
 歩いてみてよくわかるのだが、皿久保館主にとっては、願ってもないことだったと思う。この堰を整備することは、皿久保の地をも豊かにすることになることなのだ。
 しかも、人夫は本宮の百姓を使うのであり、ただ見ていればよいわけだ。

 後で水争いは起きているが、鹿子田和泉のこのアイディアは、この時点では誰も不利益を被ることのないことに着目したい。
a0087378_434239.jpg
 鹿子田和泉氏が頼みに行った皿久保館を、情報を頼りにこの辺りを探したが、よく分からなかった。


a0087378_435133.jpg
 皿久保神社を過ぎて、通路を渡った鳴俣堰の水路は、もう一度扇状地に対して横に走りはじめる。


a0087378_4384659.jpg
 そして、またこの辺りの水田の開発の役割を担い始めるのだろう。


a0087378_4393681.jpg
 皿久保集会所の脇を通り、


a0087378_4402432.jpg
 大谷地堰を横切る。
 クロスする時、樋とか、柵とかの方法で、それぞれの独立性を保つのが、普通だ。それが、ここでは合せてしまつて、水門を使って再度分配するのが特徴のようだ。
 横に走る鳴俣堰は、扇状地を流れ落ちる水脈をひろい集めていく役割をも担っているところに、百日川の水の量を増やすという主目的を感じさせる。


a0087378_4411553.jpg
 水門を越して、


a0087378_442193.jpg
 百日川を目指す。
by shingen1948 | 2008-10-01 05:29 | ◎ 水 | Comments(0)

鳴俣堰②

 鳴俣堰をたどるのは、二本松畠山氏とかかわっての散策ということともかかわる。
 鳴俣堰は、本宮殿である鹿子田氏が行った事業だ。

 系図的なつながりについては先にふれたが、畠山氏の一大事件である義継が伊達輝宗を殺害する粟ノ巣事変の時に従っていた重臣の鹿子田和泉というのは、この系図の流れの継胤だろうと言われているらしい。また、二本松城をめぐる攻防では、舘の位置関係から、鹿子田氏は伊達成実と対峙したのではないかと想像される。

 鳴俣堰は、杉田川から百日川に分水し、その百日川の水を使って耕地を広げることを主目的にしている。
 しかし、実際に見てみると、それだけではなさそうだ。
a0087378_453670.jpg

 これは、大玉村の水路の地図だが、鳴俣堰の取り水口から直ぐに、たくさんの赤い線が走り始める。この赤い線は水路である。主水路は扇状地の一番高い所を走る水路である。豊かな水を扇状地の高台に運ぶように等高線に沿って水路を廻らされているのだ。
 主目的は分水だが、鳴俣堰が百日川に合わさるまでは、普通の堰の役割を果たしていく。


a0087378_491643.jpg
 取り水口から分水された鳴俣堰は、しばらくすると右側にカーブを切って、岳街道を横切る。


a0087378_4111021.jpg
 岳街道を横切って真っ直ぐ進むということは、扇状地を横断するということだ。これが主水路である。
この水路が高台を走り、この大地に豊かな水を補給しているのだ。


a0087378_4125728.jpg
 横切った鳴俣堰の下方には、その恩恵を受けた水田が広がる。看板のあたりが岳街道を横切った鳴俣堰だ。この地の水田開発は、鳴俣堰による恩恵だ。


a0087378_41442.jpg
 水田の中央部に水門があり、水門の開け閉めで、水量を調整しているのだろうか。


a0087378_4151152.jpg
 この水田を流れた後、主水路は地形とのかかわりもあって、皿久保神社の脇まで、扇状地に対して、縦に流れているようだ。


 通路を渡った辺りで、水路はもう一度扇状地に対して横に走りはじめる。この辺りの水田の開発の役割を担い始めるのだろう。

 鳴俣堰は、単に本宮の地を豊かにするだけでなく、皿久保の地も共に豊かにしていることが分かる。
by shingen1948 | 2008-09-30 04:34 | ◎ 水 | Comments(0)

鳴俣堰の取水口

a0087378_4314675.jpg
 ひょんな事から、鳴俣堰の取水口を見に行った。

 まっすぐ進むのが、杉田川本流で、この石垣から右に流れていくのが、鳴俣堰だ。見えにくいが、この石垣の上には、水神の石碑がある。


 今までいろいろな土地の堰を確認したが、そのほとんどが、できるだけ高い位置まで、水を持ってきて、水田を開拓するということだった。この堰が他と違うのは、扇状地を縦に流れる川の水量を調整することを目的につくられているということらしい。


a0087378_4432942.jpg

 具体的には、分水されたこの水は、扇状地を横切り、扇状地の中央を流れる百日川をめざす。
 扇状地の端を流れる水量の多い安達太良川の水を、扇状地の中央を流れる水量の少ない百日川に分水するということのようなのだ。
 そうすることによって、扇状地の中央部である百日川沿いに豊かな水田を広げることができるようになる。


 歴史的には、「本宮地方史」によれば、天正年間以前に、玉井村の新田開発を目的に、杉田川の流れを分水するため、堰を設けたのが始まりとのことで、分水量は、玉井2分、大江8分という事だったとのことだ。
a0087378_4512741.jpg
 確かに、杉田川の本流に比べ


a0087378_4484256.jpg
 この分水された堰は細い。


 「本宮町安達太良神社神官文書」では、本宮城主鹿子田和泉が、此の地を堰所と適する地と見定めて、皿久保館主に頼み、大江村名主と椚山村名主の了解を得て、本宮の百姓人夫で、堀をつくり堰を開設したという。この部分は、天正初年頃と推定できるとのことだ。

 この堰に関わって、本宮市水口地内の水田の中に、鹿子田氏墓跡保存会によって建立された碑があり、鳴俣堰開設の功績が記されている。
 昨年、偶然見つけて「鹿子田氏墓に立ち寄る」として整理していたことと繋がる。
by shingen1948 | 2008-09-19 05:01 | ◎ 水 | Comments(0)
a0087378_4155833.jpg
2008.6.24に、安達太良川の三森ため池上流の水生生物を確かめるということで、行きたかったが、用事があって一緒に行けなかった。見つけた水生生物のメモを頂いたので記録しておく。
 カゲロウ目
 フタスジモンカゲロウ(多)・ヒメフタオカゲロウ・ミヤマタニガワカゲロウ・ヒメヒラタカゲロウ・シロハラコカゲロウ(多)・ヨシロコカゲロウ
 コカゲロウ属
 マダラカゲロウ科(多)・ミツトゲマダラカゲロウ(多)・タニガワカゲロウ・ヒラタカゲロウ科
 トンボ目
 ダビトサナエ属・オニヤンマ
 カワゲラ目
 モンカワゲラ(多)・クラカケカワゲラ・ミドリカワゲラ(多)・アミメカワゲラ科(多)・ヤマトカワゲラ・ノギカワゲラ
 カメムシ目
 シマアメンボ
 ヘビトンボ目
 ヘビトンボ
 トビケラ目
 ナガレトビケラ・アミメシマトビケラ(多)・シマトビケラ・カワトビケラ(多)・イワトビケラ・カワツツトビケラ・ヒゲナガカワトビケラ
 コウチュウ目
 マルガムシ・モンキコメゲンゴロウ
 ハエ目
 ガガンボ・ブユ
 その他
 サワガニ・カワニナ・ミミズ

 今年は、オニヤンマの三っつの令の幼虫が同じ所から見つかったという偶然性がニュースな出来事のようだった。
 
 同じ地点で3年様子を確認したことになる。時期的にはいろいろで、科学的に固定しているわけではないが、かえって季節変化が見えたということでもある。
 普段注目しない水生生物の世界に触れさせてもらったこの豊かな川に感謝する。当初、この川は生き物にとって豊かではないのかもしれないという情報があったのだが、目に見える世界では地味であるが、奥深い豊かさがあったということだ。

 近所の川である杉田川では、上流ではPHが安定せず、生物の種類も3種類程度と少ないとの情報もある。ただ、途中の支流を集めることによって水質が安定し、そこから下流は豊かな水生生物群になるのではないかと推定し、調査しているようだ。

 今頃の季節は、春の暖かさで、5月頃から成虫になって丘に上がるものが多いとのことだ。水生生物を見つけるという意味では不向きの季節かもしれないとのことだったが、水生生物の成虫の姿との関連へ誘うということでもあった。それは、山に遊ぶ昆虫を追いかける思い出への誘いでもある。
 カワゲラの成虫の姿が気になって聞いてみたら、同じような形のままで、たいした移動もせず丘にいるそうだ。
by shingen1948 | 2008-07-01 04:26 | ◎ 水 | Comments(0)