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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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タグ:教育再生会議 ( 20 ) タグの人気記事

 自省する「戦後教育学」と題して、「朝日新聞」2007.5.12教育学者のいない教育再生会議を例に、戦後教育学者を批判した。

 確かに、教育学が政治的に弱い立場である責任はあると思うが、再生会議に加わらなかったのは、教育学者のせいだけなのか疑問に思った。

 最近の有識者会議は、どの場合をみても、今までの経緯や反省は必要がないのだ。全否定の上に、新たに再生するという論法が重要なのだ。その延長線上に、教育の問題もある。だから、今までの教育学者を呼ぶ必要はないのだ。否定するだけに専門家はいらない。更には、自分の論を権威付けるための会議であり、有識者の意見を持ってリーダーの意見が変わることはないとのことだ。

 就任直後の所信表明演説は、戦後レジームからの脱却だった。これは、サンフランシスコ講和条約以降の戦後体制の全否定を意味した。これは、国際的には、米国を中心とした現在の国際社会への挑戦と受け取られる側面があるという。その危うさについては、2007.5.12「朝日新聞」の「読み解く政治」で、上杉隆(ジャーナリスト)が、「火種残した安倍発言」と題して、日米首脳会談でのアメリカの距離の置き方を論評していた。

その中で、同盟国の首相の初訪米であるにもかかわらず、国賓待遇から外されることが決まっていたのは、従軍慰安婦問題での強制は無かった発言もあったとした。
この従軍慰安婦発言については、2007.5.14「朝日新聞」の「月曜コラム」は、「問われる<「改憲の品格>~安倍政権の空気」と題して、早野徹(朝日新聞コラムニスト)が以下のように批評している。

 従軍慰安婦が中学校の教科書に載ることに反対してつくられた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」での発言そのままで、こそくな手法で靖国神社に5万円の真榊をそなえ、その延長線上に新憲法があると論じた。

  日本の教育を徳目重視に立て直し「占領の屈辱」を晴らして「軍」を持つようにする憲法改正は、中曽根氏の夢であり、祖父岸信介譲りの安倍氏の夢である。
  中曽根氏は新憲法制定議員連盟の会長として最後のご奉公に躍り出した。
  彼等がめざすのは若干の手直しの憲法改正ではなく、まるごとの新憲法である。
今の憲法は「戦争の反省」からつくられた。その「憲法改正」ではなく、「戦争」は博物館に入れ、国家運営から「戦争の記憶」を消し去ることであり、米国と肩を並べて「戦争のできる国」になる第一歩と観る。

  従って、今までの教育学者が有識者会議呼ばれないのは、教育学の問題ではなく、首相の都合だと思うのだが、‥‥‥。しかし、専門家が言うのだからと思い直し、何を反省し、足を引っ張り合っているかを羅列しておくことにする。

 ○ 戦後教育学の敗北 苅谷剛彦東京大学教授(教育社会学)
社会科学・人文科学の一分野として考えると、教育学は閉鎖的で、その水準もはなはだ心寒い。 

 ○ 教育学の混迷(思想) 広田照る幸日本大学教授(教育社会学)
・ 子どもの発達など教育固有の価値
・ 革新側の運動と結びついた。
政治や経済が教育に及ぼす影響についての分析自体に消極的だったと批判した。
現在、実用的表層的なところばかりを追って、教育学の足場を見失うと批判的。

80年代管理教育批判→思想的にも学校や教師の権力性が批判された。
かつて親や子の側に立って国家権力と対決すると考えられた教師が、権力側にたつと観る。

 ○ 主流教育法学は「日教組御用法学」と批判  西原博史早稲田大教授(憲法学)
by shingen1948 | 2007-06-14 21:33 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
Excite エキサイト :<教育再生会議>「親学」提言見送り 「押し付け」反発で [ 05月11日 12時50分 ] 政治ニュース
 先に、「一元的な価値押しつけの道徳は、道徳教育を空洞化させるという主張」に賛成という意見を書いた。それは、最近の国の動きが、劇画風で、二者択一の価値観論議で、いっけん分かりやすく感じさせるマジックで勧善懲悪を押し付ける明治時代の小説に似ている怖さからだった。
それが道徳的であったり、奉仕を主張されたりすると、素人には否定しにくいから始末が悪いのだ。
正解として矮小化した価値観をもっともらしく押し付けることがいけないのは、疑問や葛藤という経験を通して、考えを見極めていくことの大切さを失うことだからだ。
この主張が大切なのだと思う。アピール性はない。それでも、そこが変だと常に自分の感覚で説明できるようにすることが大切なのではないかと思っている。

直接親学の話題に触れたのは次の日だ。成り行きを観察したかったので、一律に考えられない子どもの指導のための親が学ぶ概念と、今回提示された親学とやらを並列的に並べてみた。意見は言わなかった。

今回の先送り記事は、真摯な反省に基づくものではなく、政治的な都合であろうと思う。
今までの教育再生会議をはじめとする首相がかかわる会議の進めかたのパターンは分かりやすい。

まず、対象となる機関や対象のマイナスの情報を最大漏らさず流す。そこで、国民の批判が熟成した所で、改革の必要性を煽る。
そこに、政府の立ち上げた会議からセンセーショナルに改革案とやらをアピールする。国民は、そうかなと思い、対象となる現場や対象者は、マイナス情報を最大限に流され、弱い立場を自覚する。
更には、公的に命令系統を使って、改革案という政治的なアピール道具を押し通す。

今回の親学とやらも、同様な手法が用いられた。基本的に納得できるような「早寝早起き朝ごはん運動」を展開しようとしたのは、数年前のことであった。
  ここに、政治家としての手法を導入されたのは最近である。もっとも、あるカリスマ教師が、上記運動は、最近自分が考えたとテレビで訴えているのを聞いて唖然とした。自己アピールの仕方のうまさには感服したが……。
 
  親学のアピールのため、この政治的なパターンの導入は以下のような感じだ。
  まず、今の親はなっていない、社会的ルールの欠如であると訴えた。虐待がある。社会の矛盾があり溢れている。最近の親はなっていないという情報は十分流れたはずだった。

  次に、安倍首相が、会議に顔を出し、「もっと物議を醸していい」とセンセーショナルなのはいいという感覚は会議に伝わった。改革案とやらもうまくアピールできた。ここまではうまくいった。

  誤算は、公的命令系統の整備ではないか。今までの教育再生は、相手が教員という公務員だからシステムは完成しやすかった。憲法改正の問題についても、公務員の意見は封じ込める検討をしているのではないだろうか。政治問題にタッチできない理論は、教育公務員には構築しやすい。意見を言うことの禁止はさほど難しいことではない。
  この部分を、現在のままでは家庭に当てはめることは難しい。今のところ母親を中心に、変だと思う考えを批評する権限を持っている。意見は十分に言ってもいい立場にある。選挙で直接意思表示や運動を展開することすらできる。

  伊吹文科大臣が「人を見下した訓示をするのは適当ではない」といったそうだが、当然のことだと思う。「出来る環境にいる人はきわめて少ないのではないか」と配慮を示したそうだが、「出来る環境を作る」のは、政治家である。

  軽さの美辞麗句では、本当に社会が混乱する。真摯な態度でよくしたいという思いが伝わらない。そう感じるのは、蚊帳の外にいる人間の取り越し苦労だろうか。

「親学」提言見送り 「押し付け」反発で記事内容
by shingen1948 | 2007-05-13 18:54 | ☆ 教育話題 | Comments(2)
Excite エキサイト : 政治ニュース<教育再生会議>親向けに「親学」提言 母乳、芸術鑑賞など
 毎日新聞「くらしナビこども」の4月は、ペアレント・トレーニングの話が、4話続いた。
 ペアレント・トレーニングというのは、子供達の行動を望ましいものに変化させていく手法を「親が学ぶ」ものだ。
  4月22日の4話目は、発達障がいの子に「よい行動」を教えるための手法紹介であった。その中で、世の中のきまりごとを分類しておくことの大切さが書かれていた。
それによると、世の中のきまりごとの分類は、次の通りだ。
 1 法律のルール
   自分も他人も、いつでもどこでも守る。
   例、人を殺さない。傷つけない。物を盗まない。
   守らないと警察に捕まる。
 2 社会のルール
   自分は守る。守らない人に無理やり守らせない。変更もある。
   例、順番を守る。バスや電車で騒がない
   守らないと人に嫌われる。人に迷惑をかける。
 3 個人のルール
   自分は守るように頑張る。他の人も別のルールを持っている。守らない人に無理やり守ら   せない。個人のルールよりも、みんなで仲良くすることが大事。変更もある。
   例、毎日学校に行く。勉強をする。約束を守る。
   守らないと、自分が困ることがある。人に迷惑をかけることがある。守れなくてもやり直せ   る。 

  政府の教育再生会議も、親に向けた子育て指針である「『親学(おやがく)』に関する緊急提言」をしたとのことだ。
(1)  子守歌を聞かせ、母乳で育児
(2)  授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
(3)  早寝早起き朝ごはんの励行
(4)  PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す
(5)  インターネットや携帯電話で有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の         実施
(6)  企業は授乳休憩で母親を守る
(7)  親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞
(8)  乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
(9)  遊び場確保に道路を一時開放
(10)  幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させ 
    る
(11)  思春期からは自尊心が低下しないよう努める
 このルール、どう落ち着けようというのだろうか。
 本気で「よい行動」を教える親学ならば、決まりごとを分類しておかなくてはならない。自分の感覚では、先の分類の具体例としては、ほとんどが「3の個人のルール」に該当すると思うが、どうだろうか。
  新聞報道では、再生会議は、「1の法律のルール」に近い形でやりたいように見える。どうしてもというなら、法律のルールまで持っていけそうなのは、6・8・9ぐらいかな。
  もし、全部どうにかしたいというのが本音なら、茶化しているゆとりはない。すごい時代がやってくるのかもしれないと危機感を持つのはおかしいのだろうか。

Excite エキサイト : 政治ニュース記事内容
by shingen1948 | 2007-04-30 04:08 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
「朝日新聞(2007.4.27)」の私の視点で、聖心女子大准教授(哲学・倫理学)加藤和哉氏は、教育再生会議が道徳を強化にしようとすることに対して、「心配な道徳を教科に」と題して批判した。
 道徳が、一元的な価値観の押しつけに留まらずに、道徳教育そのものを空洞化させる恐れがあるとの意見だ。
 
道徳は、むしろ、各自が悩みつつ行動し、失敗や後悔を重ねる中で知恵を身につけ、人間的に成長することで、より正しい判断ができるようになるものだという。
 伝統的な倫理観は足がかりでしかなく、継承することと改めるべき事を見極めていくことが大切であるとした。また、異なる価値観を持つ者とどう対話協調していくかもしっかり見極められるようになるように考えなければならないという。

 
伝統的な価値観が揺らいでいるとの問題提起は、伝統的な価値観では立ちゆかなくなった社会に生じた不公正や矛盾に子ども達が敏感に感じているのが本質とのこと。
 道徳が教科になれば、疑問や葛藤を封印し、与えられた正解を口にするだけで済まそうとするようになる。そうなれば、子ども達の道徳的な成長の場が学校教育からまますます失われることになると批判した。

  一方的な価値観を押しつけるだけでは、問題は悪化するだけだという批評は「愛国心」についてもあった。そのことについては、滋賀県立大講師武田俊輔氏の「柳田国男と愛国心」と題した評論を読んで、愛国心を国民に強要することになじめない自分の感覚を書いた。
 最近の国の動きは、劇画風で、二者択一の価値観論議で、いっけん分かりやすく感じさせるマジックが怖い。それが道徳的であったり、奉仕を主張されたりすると、素人には否定しにくいから始末が悪い。
 しかし、それでもきちんと主張しなければならないのは、正解として矮小化した価値観をもっともらしく押し付けることは、疑問や葛藤という経験を通して、考えを見極めていくことの大切さを失うことであるということだ。そこが変だと自分の感覚で説明できるようにすることが大切なのではないかと思う。
by shingen1948 | 2007-04-27 20:12 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
4月24日平穏のうちに、全国学力テストが、実施されたようだ。
このテストについて、2006.11.12「朝日新聞」は、解説していた。その記事によると、安倍首相が教育改革のお手本としている英国のイングランドでは、政府は、学力が向上していると主張するが、いろいろな「ひずみ」を生み出したという現場の批判も強いと指摘していた。

その一つが、人気で、予算配分されるプレッシャーから、カリキュラムが曲げられてしまうということである。この点については、日本では、未履修問題など、切羽詰れば間違いなく起きるだろうと想像される。
その二が、数字だけで本当の実態がわからないという当たり前のことが、実例をもとに紹介されていた。
更には、英国では、これらの反省をもとに、子どもの考える力を重視する方向にカリキュラムの見直しを進める方向にかじを切った事や、テストに変わる評価法で子どもを捉えたいという反省が生まれてnahaは、5月にテスト結果の公表の廃止を政府に求める決議をしたという。

 そんな中で、安倍首相がお手本とする上記イングランド方式をめざし、テストは行われたという状況のようだ。

 4月14日に、一度紹介した書評だが、これから日本がすすめる「教育改革」が描く理想の姿なので、これを機会に再掲しておく。
 
 阿部菜穂子著[イギリス「教育改革」の教訓]の紹介文によると、以下の概要のようだ。
 サッチャーは、全国学力テストを行い、到達すべき目標水準を設定。予算配分も組み合わせ学校選択と運営の自由を認めた。ブレア首相も受け継ぐ。教育予算を増やし落ちこぼれ校を引き上げようとするが、悪循環が続く。そんな中、ウェールズ、スコットランドが別の道を歩む。また、イングランドでも、最高のテスト結果を出したのは、改革を無視し、教師に創造性を発揮させた学校であった。模範は、フィンランドモデルとのこと。教育の中央集権の誤りを指摘する。

全国学力テストの記事内容
by shingen1948 | 2007-04-27 05:08 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
Excite エキサイト : 社会ニュース<ゆとり教育>学力は「改善の方向」 文科省調査 [ 04月13日 19時45分 ]


 この記事を受け、毎日新聞(2007.4.14)は、「学力向上現場が支え」という解説記事を。「高山純二」という記名記事でだした。
 その中で、現行指導要領の現場受け入れとの関連を考察していた。
  ある中教審委員の意見として、以下のように指摘した。
 現指導要領発足時、「まじめな先生が、真っ正直に受け止めてしまった」と指摘した。詰め込み教育を見直すためのゆとり教育という社会的なスローガンを極端に受け止められてしまった。基礎基本も大切にすべき所をゆとりだけが重視されたという考え方だ。
 一般社会向けのスローガンを、現場までまともに受け止めてしまったというのだ。「学びのすすめ」で、当然教育現場が、スローガンとは別にやらなければならないことをやるのは当然であることを示し、宿題も出さない状況になった学校現場に改善を求めて、正常になったのではないかと指摘している。
 これらの考察から、現場の力をいかに発揮させるかが教育改革の大切なことであるはずなのに、今回の教育改革は、教員の負担を増やす方向性ばかりではないかと指摘している。

 教育改革の正論として、以下のようにまとめていた。
 子供達の学力向上は、学校現場が支えている。行政は、そのサポート役に過ぎない。本来の教育改革は、現場の力をいかに発揮させるかだ。ゆとり教育見直しは、方向性を誤れば、「学力向上傾向」に水をさすことにもなりかねない。

 「教育改革」のあり方について、示唆する書評も同日の同誌にあった。
 
 阿部菜穂子著[イギリス「教育改革」の教訓]の紹介文によると、以下の概要のようだ。
 サッチャーは、全国学力テストを行い、到達すべき目標水準を設定。予算配分も組み合わせ学校選択と運営の自由を認めた。ブレア首相も受け継ぐ。教育予算を増やし落ちこぼれ校を引き上げようとするが、悪循環が続く。そんな中、ウェールズ、スコットランドが別の道を歩む。また、イングランドでも、最高のテスト結果を出したのは、改革を無視し、教師に創造性を発揮させた学校であった。模範は、フィンランドモデルとのこと。教育の中央集権の誤りを指摘する。

  国民会議の議論それ自体が、教育の改善に水をさしていないかという指摘である。

エキサイト:社会ニュース記事内容
by shingen1948 | 2007-04-15 09:46 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
教育基本法の改定で、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する態度を養うこととする一項が設けられた。
「心のノート」の配付など、国が、「愛国心」「郷土愛」を教え込もうとする教育が進められつつある。

 このことについて、何かが違うという感覚はあるのだが、どこがどう違うと言われると、言葉に窮してしまう。自分の感覚が説明できないもどかしさがあった。 2007.3.9「朝日新聞」の文化欄の記事を読んで、これだと思った。
 それは、滋賀県立大講師武田俊輔氏の「柳田国男と愛国心」と題した評論である。柳田国男の郷土教育の考え方を基本に、相互批判と啓発の重視こそ大切だと批評した記事だ。
 
柳田の郷土研究や郷土教育の意義は、貧困をはじめ衣食住や婚姻、労働といった日常の場における不幸や困難と、その原因を歴史的に究明して、暮らしの課題を解決する手がかりを提供することにあったとした。
 最近の愛国教育は、偏狭な愛国心やお国自慢だとした。大切なのは、学問を通じた生活改善と経世済民の志であり、貧困を自己責任ではなく、社会的に共有すべき課題として見据える批判的視点を大切に考えたとのことだった。
 この意義の具現のため、柳田国男が考えた方法は、雑誌メディアだったとのことだ。
 「郷土研究」と「民間伝承」といった雑誌に、郷土研究に関心を持ち、日常の課題から発した問いや問いを生み出す材料となる日常の言葉や作法・風習を投稿する。それに呼応して、他の読者が意見を開陳し、雑誌という場で読者同士が討議する。こういった日常の不幸を解決するのに、個別の努力だけでなく、対話を通して問いを共有し、相互に批判啓発しあうことが大切だとした。


 つまり、個別の課題を社会的問題として捉え直す公共の場が必要なのだ。その観点から、最近の愛国心教育を批判したのだ。
 国と郷土を愛することを自明とし、社会的な課題を個人の道徳の問題へ矮小化させていると。公共の重視を謳いつつ、実際には、国と郷土の誇りを吹聴し、個人に、国家への奉仕を要求するにすぎないと小気味良い。

 暮らしの課題について国家への批判をも含めて自由に討議できることこそ、郷土教育の基本だとする主張に、その通りだと思った。道徳的であったり、奉仕を主張されると、素人には否定しにくいのだが、もっともらしく矮小化した価値観を押し付けるところが変だったのだと、自分の感覚が理解できた。
by shingen1948 | 2007-03-09 18:37 | ☆ 教育話題 | Comments(0)

教育が百年の計ならば

「教育は、百年の計」ということを確認するため、藤田 英典著「教育改革のゆくえ―格差社会か共生社会か」の結論部分を再び掲げたい。
 教育は未完のプロジェクトです。完成することのないプロジェクト、教職員や保護者・地域住民をはじめ関係者が絶えず支え続け、誠実な努力を続けてこそ、成功の可能性と展望が開けるという性質のものです。その直接的な担い手である教職員に信頼を寄せ、その誠実な実践と改善努力を支え、支援し、適切な協力をしてこそ、成功の可能性が高まるという性質のものです。その点を疎かにして、制度改革をしたからといって、よくなるというものではありません。
 教育再生を重要課題とするなら、本当に必要なことは、教育改革ではなくて、教育の改善・充実を図ることです。

 このことが、「教育は、百年の計」ということの理念でしょうか。その理念に基づけば、政治家が、やってはいけないことは明確です。本書から引用します。
 教育を政治の道具や政治のおもちゃにしてはなりません。教育現場は、すでに、疲れ切っていると言っても過言ではないような状況にあります。教職員もますます多忙になっています。心的障害を抱える教師やバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥る教員も増えています。それで本当に教育がよくなると期待できるのでしょうか。これは、国政レベルだけでなく、自治体レベルでも同様ですが、政治家は今一度、誠実に考えるべき事です。

  政治の道具ではなく、教育が真に大切だと思うなら、もう一度確認したい。
1、教育は現在と未来への投資です。お金も人手も時間もかけずに良くなることは有りません。
2 義務教育は全ての子どもとその家族にとっても欠くことのできないライフラインです。そのライフラインを寸断していくなら、日本の社会も子どもの生活・成長も確実にゆがんでいきます。
3 子どもの生活・学習・成長にとって、安全でケアに満ちた空間と安定した豊かな時間のリズムはきわめて重要です。

by shingen1948 | 2007-02-28 21:39 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
旧暦12月25日月齢23.96赤口丁丑
昨夜、雪降るが湿り気多い。降り方は会津が多く、春の雪ではない雰囲気。


<山谷補佐官>「中教審改革」発言、首相の否定に一転撤回 [ 02月08日 19時18分 ] Excite エキサイト : 政治ニュース
このニュース 、表面上は事実としての認識の違いを装ってはいるが、誰もが、2007.2.9「朝日新聞」が報じているように、教育法案審議の停滞恐れて、山谷補佐官の発言を即否定し、火消ししたと思っている。

 指導者は、枕の言葉に使うだけで、本心からは思っていない、「教育は百年の計」だから、 制度上はきちんと手続きを踏むことになっている。政策の具に使いたい指導者は、この制度邪魔であるようだが、そういう仕組みにしてある。私事の思い上がりの意見だけで動かすことができない仕組みが、文科省下の中教審で審議をしなければ法案化できないということである。
  日本の指導者は、教育再生会議の第一次報告書に基づいて、どうしても教育3法案を今国会で成立させることを目指している。それは大義名分のためではなく、政治的アピールのためである。中身より急ぐことが大切だという判断がある。そういった状況の中の発言である。
  山谷氏は、もともと文科省や中教審に対してかなり批判的な部分があり、文科省には教育再生は任せたくないと思っているところがあるようだとも聞く。逆に、中教審の委員の中には、再生会議の報告に疑問を持っている人もいるようだ。
状況を忘れたのか、 思い上がりがあったのか、補佐官という立場を利用し、私人としての意見である中教審批判を行なったようだ。
  再生会議の役職の立場での発言だから、中教審と再生会議の対立構図になり、安倍官邸や再生会議と中教審の決戦構図となる恐れが出てきたのだろう。だから、安倍首相が、あわてて否定し、山谷氏に撤回させたという政治的判断をしたと思う。これが、「教育は百年の計」の実態ということだと思うが、深読みしすぎだろうか。

<山谷補佐官>「中教審改革」発言、首相の否定に一転撤回の記事内容

 安倍晋三首相は8日、山谷えり子首相補佐官(教育再生担当)が政府の教育再生会議で中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)改革を検討する考えを示したことについて、「中教審は教育のあるべき姿について議論している」と述べ、否定した。首相官邸で記者団に答えた。

 塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「再生会議で(中教審改革を)議論する話はまったく聞いていない」と否定。その後、山谷氏は毎日新聞の取材に「(中教審を改革すべきだとは)言っていない」と発言を撤回した。

 政府は教育関連3法案の今国会提出を目指しているが、諮問先の中教審内に「拙速だ」との声がある。首相官邸にはこれへの不満があり、山谷補佐官の発言は行き過ぎたけん制だったようだ。

 山谷氏は7日の講演で、中教審について「大ざっぱなことを延々と議論している。再生会議でメスを入れていきたい」と発言していた。【平元英治】
by shingen1948 | 2007-02-12 03:18 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
2月10日 旧暦12月23日仏滅(乙亥) 月齢22.0(下弦の月)
満月から新月までの丁度中間点である。まもなく正月を迎える。

2007.2.9「朝日新聞」は、[中教審見直し 首相「ありません」]の見出しで、教育法案審議の停滞恐れて、山谷補佐官の発言を即否定し、火消ししたことを報じていた。
 
首相が、早期提出のため、中教審に異例のスピード審議をお願いしたのに続いて、中教審見直しについて、教育再生担当の山谷えり子首相補佐官が言及したが、首相は、「それはありません」と否定した。


首相の認識では、「中教審は教育のあるべき姿について議論いただいている。教育再生会議の場では教育の再生について熱心な議論をいただいている。」そうだ。
どう見たって気を引く政治的意図の日程をにらんで下した判断であることは見え見えだ。考えなしの教育再生担当者に、日程を考えろといいたかっただけで、「教育は百年の計」だからではなさそうだ。
by shingen1948 | 2007-02-10 05:18 | ☆ 教育話題 | Comments(0)