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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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 「隠れて優秀な温泉新案内【森川憲之助 著(大正15)】」も「高湯温泉」や「微湯温泉」は、庭坂駅とのアクセスが便利として紹介される。
 「高湯温泉」へのアクセスについては、「温泉案内【鉄道院 編(大正9年)】」とその料金にやや違いがあるものの大差ない。散歩を楽しむ者にとって面白い紹介は、「微湯温泉」への以下のアクセス紹介。
 「微湯温泉」
 奥羽線庭坂駅より南3里、福島市より西4里23町、福島微湯間は最近県道全通し、人力車が通ふやうになった。庭坂より駕籠(賃10円) 駄馬(賃3円)の外乗物なし、荷負人夫賃1円70銭。其他二本松より土湯越をして行く道もあるが、道路険悪。
 庭坂駅前の下駄屋(小田栄三郎)及び日山坂下(庭坂と温泉との中間)の中島儀右衛門の両人と温泉旅舎との間に特約があるので、山籠、駄馬、人夫等の世話をしてくれる。
a0087378_5385843.jpg 具体的に、庭坂駅前の下駄屋(小田栄三郎)がアクセスの世話をしてくれるとある。
 恐らく、奥羽線庭坂駅より西2里15町と紹介される「庭坂駅より姥堂まで道路平坦、それより駄馬2円駕籠70銭荷負人夫1円」という「信夫高湯温泉」へのアクセスの世話もしてくれたのだろうと思う。
 庭坂駅前を写した時に写り込んでいたこの庭坂駅前のお店は、「SHOES&CIGARETTES」とあり、「ASAHI(アサヒシューズ)」の看板が下がる。a0087378_5401488.jpg また、店前の街路灯には「たばこ・履物」の広告が、……。ということで、このお店がその「庭坂駅前の下駄屋」さんなのだと思う。

 もう一人の「日山坂下(庭坂と温泉との中間)の中島儀右衛門」さんだが、「日山坂下」が確認できない。姥堂付近から南にある地名とみる。
 昨日情報をお借りした「温泉案内【鉄道院 編(大正9年)】」の「微湯温泉」へのアクセス①の「姥堂より約半里は平坦な細道で、後の一里半はかなり険しい山道で徒歩を要する。此處からは荷物運搬の人夫が傭(やと)へる。」と重なる情報なのだろうとも思う。

 確認していく中で思い出したのが、「峠駅」から案内されている「滑川温泉」・「姥湯温泉」に山に詳しい方に誘われて出かけた事があったこと。そのルートは、浄土平から「姥湯温泉」に行き、ここで一泊して、「滑川温泉」経由で峠駅に出て、奥羽線で福島に戻るコースだったこと。
 地図でそのルートをみると、浄土平から一切経山→五色沼→家形山に抜ける辺りまでは確認できるのだが、そこから姥湯温泉の崖までが確認できない。思い出すのは、その崖の梯子を下って露天風呂脇から宿に入ったことだ。
 ここで一泊してからのルートは、「峠駅」から案内されている「滑川温泉」・「姥湯温泉」の逆コース。
 姥湯温泉から徒歩で滑川温泉まで下った。そこでまた風呂に入った。そこからは、温泉が用意したバスに揺られて峠駅。そこから、奥羽本線で福島まで戻ったのだ。
 なお、この記憶の浄土平までの交通手段は、福島駅西口から出るバスに乗っていて、庭坂駅とはかかわっていない。
by shingen1948 | 2014-07-21 05:42 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)
 山形と福島の間には、吾妻連峰が横たわる。この連峰は、東北地方の脊梁山脈としての奥羽山脈の南部に位置する。奥羽本線は、その吾妻連峰の北麓板谷峠(海抜700m)を越えて福島米沢間を結ぶ鉄道だ。
 奥羽本線は、その吾妻連峰に登山やスキーといった文化的なアプローチを容易にする役割をも果たした歴史があるようだが、福島側では、その歴史が忘れ去られていように思える。
a0087378_6165051.jpg  例えば、現在では吾妻山登山や信夫高湯温泉、微湯温泉へのアクセス情報は福島駅だが、古くはそれが奥羽本線庭坂駅のようなのだ。
 本当は、自分も今回の散歩でいろいろな資料を確認する中で、そのことを知ったというのが正直なところだ。

 「温泉案内【鉄道院 編(大正9年)】」では、そのアクセス(交通)を以下のように案内する。
 「信夫高湯温泉」
 奥羽線庭坂駅より西2里、坂路で車の便はない駄馬1頭1円60銭、人夫一人80銭荷物は7貫目まで、以上1貫目毎に10銭を加える。駕籠荷は3円50銭、荷物は3貫目までは無料で運搬する。
 「微湯温泉」
 ① 奥羽線庭坂駅より西3里半、駅より高湯に至る途中の姥堂から左折して約2里、姥堂までは道路平坦である。姥堂より約半里は平坦な細道で、後の一里半はかなり険しい山道で徒歩を要する。此處からは荷物運搬の人夫が傭(やと)へる。
 ② 庭坂駅より西へ2里高湯に出て、更に左へ1里半で達する。この道は①に比べると余程容易で高湯迄は馬も駕籠もある。詳細は高湯参照。
 ③ 福島駅より5里、此道は、微温湯の手前約2里半の處で①の道と合する。①の道は、3カ年計画で郡道に工事中であるので2、3年後には一層容易になるであろう。
 この後半で、吾妻山へは1里半で噴火口を見ることができると案内し、吾妻小富士、五色沼、神楽岩、姥滝などの見どころを案内する。

 なお、米沢側では、「板谷駅」からは「五色温泉」・「新五色温泉」が案内され、「峠駅」からは「滑川温泉」・「姥湯温泉」が案内され、「米沢駅」からは「小野川温泉」・「高湯「白布」温泉」が案内されている。
by shingen1948 | 2014-07-20 06:21 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)
 「街道Web」のページが推測する「庭坂駅キャッチサイディング」をなぞって歩いてみたことを整理した。
 参考にさせていただいたページは、「時々お邪魔しています」の「街道Web」→「廃線Web」→「国鉄16件」の項の「庭坂駅キャッチサイディング」→から「奥羽本線・キャッチサイディング1(福島市・庭坂駅)2009.11」のページに入れるが、直接リンクさせていただいておく。
 http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/stop/cat-03.htm
 この道筋を確認してみて驚くのは、この「庭坂駅キャッチサイディング」の事故想定と、「事故の想定」と実際に起きた事故とのギャップだ。
 実際に起きた事故は、想定より遥かに小さなものだった。逆に言えば、実際に起きるであろう事故を最大限に見積もり、それに見合った壮大な安全の為の装置を構築しているということだ。
 こそこそと撤退するのは、大き過ぎる想定ということだろうが、それって違うだろうと思う。危機を最大に見積もる危機管理の考え方はナウいはず。誇るべき事なのだと思うのだ。
a0087378_12504276.jpg 恥ずかしいのは、新しい技術のはずの原子力発電の方。
 こちらの危機は最小に見積もっていて、安全神話をたたき込んだ挙句、想定外の事故を起こしている。恥ずかしいのは、こちらの危機管理の考え方のはず。しかも、こちらは最悪だと思うのだが、経済界のエゴを後押しする国が主導していく姿が醜く見えるのだが、……。

 それに比べ、無人駅にまで縮小された駅庭坂駅は、地域としては残念な事なのだと思うが、技術の進歩とその危機管理ということからみれば、「誇らしい撤退の歴史の風景」に見えてくる。
a0087378_1252559.jpg そんな気分で庭坂駅の裏を眺めていて気になったのが、北西隅の坂道。
 線路を横切る跨線橋でもあったのかなとも思ったのだが、その目的は分からないが、ハンプの可能性もあるかなと思えてきたのだが、……。その北側のJAの荷物とかかわるような気もするし、……。
 またよそ道に逸れたな。


a0087378_12533286.jpg 「日本の鉄道事故」のページで、ここの避線が撤去される明治35年以前の列車退行にかかわる事故を探すと、「横川軽井沢駅間乗務員乗客転落事故」が紹介されている。
 この事故の資料として「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」の「時事新報「新聞集成明治編年史<第11巻>」に載る「碓氷隧道の汽車逆行の珍事(明治34年7月15日付)」の以下の記事が紹介されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85_(1949%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E5%89%8D)
by shingen1948 | 2014-07-19 12:54 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
a0087378_1737734.jpg 「庭坂駅キャッチサイディング」という避線の跡が道筋として残っているとするのが、庭坂運転免許センター前の道筋から、叶屋さんの隣の骨董品屋さんの東側路地の道筋のようだ。この路地道をたどってみると、フルーツラインまで緩やかな弧を描く道筋になっている。
 ここの標高はおおよそ135mのようだ。というのは、ここから一本東側の道筋角に標高135mの単点がプロットされる。そこからここまでは起伏がない。
 標高135mの単点がプロットされる位置には火の見櫓が建っているのだが、そこは「東原集会所」の一角だ。
a0087378_17442013.jpg ここが路地道のおおよそ中間地点附近かな。
 地図上では、その中間付近に140m、フルーツラインに抜けた付近に145mの等高線が走っている。約10mの高低差があるはずだが、ここまでも緩やかな道で、上り坂という実感はない。

a0087378_17453917.jpg フルーツラインからその道筋を眺める。
 その道筋は、左手のコンクリートの建造物の先から左に入る道筋だが、その道筋がフルーツラインを越えた付近に小屋が建っていて、その先は確認できないが、ここから先に整理した162mの単点の地点は直ぐ近くなのだが、17m上昇する。この避線の中で、この間が最も急な登り坂という事になるのだろ。そこから最終地点までは、ほぼ同じ位の距離だが2mしか上昇していない。

 避線の設置理由は、開業当初の蒸気機関車は力が足りず線路を逆行した事故も起きていることとかかわるようなので、奥羽線での逆行にかかわる事故について、「日本の鉄道事故」のページで確認してみると赤岩信号所構内結社転覆事故があるようだ。その概要は以下のように解説される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%95%85_(1949%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E5%89%8D)
 赤岩信号所を発車した列車が急勾配の第13号隧道内において空転を頻発した。その際に後部補助機関車内の機関手及び機関助手は蒸気により窒息し、昏倒。異常に気づいた本務機関車の機関手は非常制動をしようとしたができず遂に後退し始めた。そのまま列車は赤岩信号所構内に侵入、脱線転覆した。木造の客貨車は粉砕され、旅客は1人死亡27人負傷、職員は3人死亡、3人負傷した。
 しかし、この事故は、明治42年(1909)6月12日とのことなので、この避線設置とはかかわらない。というか、廃止された以降の事故のようだ。
by shingen1948 | 2014-07-18 17:50 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 探索中のよそ見として、中心話題から外れた話を整理しようとしてきた。
 しかし、その外れた話題を追っていけば、それが中心の話題になっていくということでもある。少なくとも、「奥羽本線(山形線)」の話が6回も続けば、それが中心の話題になっているということであり、「探索中のよそ見<中心話題から外れて」という項目が不自然になってきたので、これを外すことにした。
a0087378_9154840.jpg 今は、「街道Web」のページが推測する「庭坂駅キャッチサイディング」という避線をなぞって散策しているところだが、これだって3回目だ。今回はその最終地点付近で確認した事を整理する。
 その最終地点とされる付近を地図で確認すると、164mの単点がプロットされている。実際に現地に着てみると、標高164mの案内柱が建っている。それが、これだ。
 「街道Web」では、この北側に「庭坂駅キャッチサイディング」ラインが走っていて、その最終地点へ向かうというふうに推定しているようだ。

 前回整理の「162mの単点」付近の「庭坂駅キャッチサイディング」ラインとされる砂利道とのつながりだが、現況は、広域道路に沿って工場があって分断されていて、塀が回されている事もあって、その確認は難しい。
a0087378_9155218.jpg しかし、西側から確認すると、そのラインと想像される付近は、周りよりも一段高くなっていて、築堤の雰囲気を残す。ただ、庭坂運転試験場―フルーツライン間に比べるとかなり広い範囲だ。その南側の縁が前回整理の現在砂利道になっているラインとつながるというのが自然な感じだ。その高低差が、約700m進んで2m位のなだらかな登り坂という感じかな。
by shingen1948 | 2014-07-17 09:19 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 避線は、列車を引き込んで自然停車させるとのことだが、「街道Web」のページが推測する「庭坂駅キャッチサイディング」ラインを地図上に落としてみると、分岐点から庭坂運転試験場までは135mの等高線に沿うように走る。
 避線ラインは、この試験場の脇に入ってからフルーツラインに抜けるあたりまで、その痕跡を残す。
 たどっている時には感じないのだが、ここが緩い登りになっているようだ。フルーツラインとの中間あたりに、140mの等高線が走る。そして、フルーツラインを越えた付近に145mの等高線が走る。
 庭坂運転試験場東端からフルーツラインまでの高低差が約10m弱ということ。
 その先160mの等高線迄の幅が密になる。この辺りまででなんとか自然停車させたいとの思いのようなものを感じるのだが、その辺りに、162mの単点がプロットされる。
a0087378_10423259.jpg 「街道Web」のページ」に、kazさんという投稿者の方がこの単点についての面白い情報を寄せている。
 昭和60年代には、この「162mの単点」の位置にハの字型のハンプがあり、その頂上に四等三角点があったというだ。そのハンプの長さが200mはあったとか、そこが頂上になっていて、その頂上付近は掘削されていて、橋が架かっていたかも知れないとか、……。

 この辺りの道筋の痕跡は消えているようなのだが、その「162mの単点」付近を地図で確認し、そこに航空写真などの情報を重ねると、現在砂利道になっているこの部分辺りかも……と思えてきた。
 現況は、この左側(北側)が太陽光パネルが設置されている。その隣の土地の入り口という感じになっている。
a0087378_10443161.jpg この砂利道の先も太陽光パネルが設置されている。砂利道から中に入いることはできないので、回り込んでその地点を確認すると、このパネル設置場所は、周りより一段高くなってるようだ。そして、そのまま砂利道につながっているという感じがする。
 風景的には分断されて変わったのだが、地形的にはそのままの痕跡を残しているという感じがするが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2014-07-16 10:46 | ◎ 福島の建築 | Comments(2)
 奥羽本線を確認して、山形県側の思いと福島県側の思いの温度差を感じたところ。奥羽線の場合、「のりしろ」(=中心話題の端)という意味では、福島県側の赤谷駅から福島駅までの間という感じかな。
 「さよなら スイッチバック you・誘・遊」イベントの時に車内から撮った写真と奥羽本線(山形線)について得られる情報とをつき合わせることで庭坂カーブ付近までイメージをつないだが、ここから先に整理した「山の上」鉄道橋―大堀川第二鉄道橋の隣の橋―大堀川第二鉄道橋―庭坂事件碑とつながる。

 散歩道としては、ここから「街道Web」のページに紹介される「庭坂駅キャッチサイディング」をイメージしながら庭坂駅に向かうのがいいかな。
 「キャッチサイディング」とは、急坂を列車が暴走し始めた事態に備えて、本線から退避、減速、停止させるための路線で、庭坂駅近くにあったとのことだ。ただ、試験運転をしてみたら途中で脱線してしまって、うまく機能しなかったとのこと。それで、直ぐに廃止されて、レールも外され、築堤も崩され、跡地は払い下げられたので、その痕跡は少ないとのことだが、「福島の町と村」の地図をもとにそのルート痕跡を推理し訪ねたということのようだ。
 この「キャッチサイディング」についての情報を他で見たのは、今のところ「清水寺」の記念誌ぐらいしかない。そのルートを言葉で紹介されていた。
a0087378_1721273.jpg これは、その「庭坂駅キャッチサイディング」が本線から分岐させる地点から眺めている。この左手がその廃線跡の道筋だとのことだ。
 ここの分岐イメージには、旧線の歴史を背負っている原形に近いのは上り線ではなく、下り線なのではないかと見直した事を考慮してみる。

 これも孫引きの状態だが、「試験運転をしてみたら途中で脱線してしまった」の部分について、「鉄道ピクトリアル:特集板谷峠(1989年2月号)」には「僅か140メートル走ったところで脱線し、その後改良した」とあるらしい。ならば、「キャッチサイディング」は、全体としては2㎞強あったのだが、左手の道筋に写っているこの道筋を跨いでいる道路がフルーツラインだが、そのちょっとむこうあたりで脱線してしまったということになる。

 先にも「街道Web」のページに紹介されるこの「キャッチサイディング」を意識して、その後をたどった事はあったが、今回意識し直している。
 それは、「庭坂事件を考える」に「碓氷峠」が紹介される箇所があって、その「碓氷峠」の情報を確認していたら、「避線」情報に「庭坂停車場ニ於ケル避難線」の廃線情報を見つけたのだ。
 「碓氷峠」の避線については、次のように紹介される。
 
(避線は、)66.7‰勾配内で、列車が逆行し、途中停車の望みがなくなったとき、列車を引き込んで自然停車させて脱線転覆を防ぐという効果をねらったもので、勾配が25‰から66.7‰に変わる丸山(信)の構内に、峠と逆の方向に200‰、延長 350mの引込線を設けた。ここの避線は、明治29年5月に使用開始され、「避線用地ハ昭和11年度民間ニ払下ゲ」られたとのことだ。。
 その避線廃止については曖昧なところがあって、その考察する中に、小野田滋氏の「鉄道古文書に見る碓氷峠の鉄道」(『鉄道ピクトリアル』97/8)に、明治35年(1902)の欄に「信越線丸山信号所及撤去」という逓信省公文が紹介されているという情報を見たのだ。
 この明治35年に撤去されたという奥羽南線庭坂停車場ニ於ケル避難線と「街道Web」がいう「庭坂駅キャッチサイディング」は同じ概念ではないかなと思ったのが、興味を持ち直したきっかけということ。
by shingen1948 | 2014-07-15 17:24 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 「さよなら スイッチバック you・誘・遊」イベントの時に車内から撮った写真と奥羽本線(山形線)について得られる情報とをつき合わせて頭の中を整理している。
a0087378_11595143.jpg このトンネル入口だが、下り線を走る列車から撮っているので、上り線のトンネルということになり、ならば3代目の線である。
 漠然と「庭坂事件」の以下の解説がいう「馬洞門トンネル」とかかわるのかなと思っていた。
 「青森発上野行402列車が、馬洞門トンネルを出て間もなく、機関車と郵便車が脱線、10メートル下の土堤下へ転落し岩石に激突、連結されていた荷物車と客車1台も脱線した。」
 しかし、「庭坂事件」は2代線であり、これは入り口としては現在の下り線につながっているはずなので思い違いということになる。
 これって庭坂散歩としては重要な事。
 今まで上り線が旧線の歴史を背負っている原形に近いと思い込んでいたのだが、違うな。確認はしていないが、複線化は旧線の山側にもう一本の線が加えられたという歴史なのではないかなと思えてきたところだ。

 奥羽本線を確認していくと、山形県側の思いと福島県側の思いに温度差のようなものを感じる。
 平成20年度 近代化産業遺産認定遺産リスト(都道府県別)【経済産業省】の「近代化産業遺産群続33認定遺産リスト」の山形県の鉄道遺産に、「奥羽本線板谷峠のスイッチバック」として、「大沢駅・峠駅・板谷駅スイッチバック遺構」が登録されている。
 ここに、その延長の福島県側の赤岩駅スイッチバック遺構と庭坂駅は載っていない。
 しかし、山形県の情報を確認すると、この登録は「山岳・海峡を克服し全国鉄道網形成に貢献したトンネル建設等の歩みを物語る近代化産業遺産群」として平成21年(2009年2月6日に認定されたことがかかわるように想像される。
 ここには、山形県の旧米沢機関区転車台・機関車庫や関根駅危険品庫や鉄道林と共に、福島県側の赤谷駅スイッチバック施設と庭坂駅危険品庫も含まれた認定になっているらしい。
 この事についての福島県側での情報を見ない。
 山形県側の板谷駅までは中心的だが、そこから福島県側の赤谷駅ー庭坂駅ー笹木野駅ー福島駅ありたが、「のりしろ」にあたる部分かな。
by shingen1948 | 2014-07-14 12:04 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 平成元年(1989)8月実施の「さよなら スイッチバック you・誘・遊」イベントの時に車内から撮った写真が何枚かある。奥羽本線(山形線)について得られる情報とこれらの写真をつき合わせて頭の中を整理する。
a0087378_5571032.jpg まずは、車内から撮った鉄道橋の写真。乗っている列車は下り線を走っているので、上り線の松川橋だと思う。新幹線開通に向けて改修中だったのだろうか。
 情報と突き合わせると、昭和35年に開通した3代目の線路ということになるのだろう。庭坂事件が起きるのは昭和23年(1948)なので、こちらの橋ではなく現役の鉄道橋の間をクロスするようにかかっていたという2代線の松川鉄道橋という事になるのだろう。

 「廃線レポート」によれば、庭坂赤岩間では次のような線路変遷があったという。
a0087378_558521.jpg 初代線は明治32年から明治44年、2代線は明治44年から昭和35年、3代線が昭和35年から現役で、4代線が昭和42年から現役とのことだ。
 初代線がわずか12年足らずで廃棄されたようだが、その事情については、「日本鉄道史下編」の「第18章国有鉄道」「第二項 奥羽線」に、以下のように紹介されていた。
 庭坂赤岩間線路変更
 明治43年より44年度に亙(わた)り奥羽線庭坂赤岩間に於て線路変更工事を行へり、其原因は43年8月6日より17日に至る豪雨の為赤岩第一隧道上の山腹に在りし断層より山腹の一部移動分離し之が為隧道は圧力を受け一部崩壊したるものにして支保工事を施し之を防御したるも漸次隧道拱に変形を来し到底修繕の効なきを認め、該隧道を廃棄し新に延長約58鎖の線路を選み隧道2カ所(内1カ所は延長1千3百34呎(フィー))橋梁2カ所(内1カ所は300呎(フィー)一連80(フィー)一連)を設け翌44年9月4日竣工したり、該工事は東部鉄道管理局の主管に属し改良費を以て支弁したり。
 ここでいう「赤岩第一隧道」と称されるのは、改変の様子と断層線のかかわり、それに庭坂側から番号がふられるという状況から、庭坂側の付け替えの直ぐ西側の隧道なのだろうと想像するが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2014-07-13 06:01 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)
 奥羽本線の山形線について確認しているところだが、昨日7月10日(木)大雨の影響で昨日終日運休していた山形新幹線(福島―山形間)と奥羽本線(米沢―山形間)は、本日は、復旧したとのことだ。

 さて、庭坂方面から西進してきた奥羽本線は、大堀川第二鉄道橋とその隣の鉄道橋で支えられて庭坂事件の舞台でもある庭坂大カーブを描くのだが、そこから西の断層線に沿って北進していくことになる。
a0087378_9515297.jpg そこも鉄道橋があって、その下を用水路が流れている。
 大堀川は、南側の地域には給水しているのだが、整備された地域では排水路として位置付けられるところだが、こちらの用水の整備された地域への開放部をみれば、こちらはこの地域への給水の役割を担っているらしいことが分かる。
a0087378_95235100.jpg この鉄道橋のプレートの「山の上」の部分を読むことができるので、正式な名称は分からないが、とりあえず勝手に「山の上」鉄道橋と呼んでおく。
 この鉄道橋は、手前から中央付近まで鉄筋コンクリート製である。
新幹線を通すために改良された部分と、古い鉄道橋の半分が改修された感じがするが、どうだろう。
 それでも、奥の方の1/3位は、煉瓦製の構造物になっている。
a0087378_9544438.jpg その奥の側から眺めて見ると、間違いなく煉瓦製の構造物であることが分かる。
 鉄筋の増設部分が、補強の為なのか、こちら側にもう少しの幅が欲しかったという事なのかは分からない。
 大堀川第二鉄道橋の煉瓦拱渠(同ポータル)に比べて保存状態とか形とかが美しくはないかもしれないが、大堀川第二鉄道橋の煉瓦拱渠(同ポータル)が明治32年の建設というのであれば、こちら側の煉瓦の鉄道橋部分も、それに負けず劣らずの歴史を経過しているのではないのかなと思うのだがどうだろうか。

 ここから、奥羽本線は松川の左岸沿いに庭坂大カーブと逆のカーブを描いて西に方向を変えながら進んで、極めつけの難所を経由して米沢に向かうことになる。
 奥羽本線は、主として奥羽山脈の西側を走り、各県境の峠の難所を通るのだが、ここは奥羽山脈そのものを越えることになるため、その中でも最大の難所と言われる。
by shingen1948 | 2014-07-11 09:56 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)