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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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 このあたりの六角石は、平野にある六角石、六角にある六角石、宮代日枝神社の六角石、渡辺墓地の六角石があるが、六角にある六角石に、案内板がある。


宮代一丁田の六角石
 この碑は「笠塔婆」といわれる供養塔の一種で鎌倉時代に造られたものとされています。
かつて奥州平泉の藤原氏全盛の頃清衡公が中尊寺を中心に白河の関から外浜(青森)まで路すじに一町毎に「笠塔婆」を建立したと伝えられていますが、吾妻鏡によればその一つではないかといわれています。それと同じものと言われているものに宮代日枝神社境内や渡辺墓地の北さらに平野字六角の六角石などがあります。
 造られた当時の形は六角形の石柱の上部に細長い穴を六面に彫り六地蔵を安置し頂上に笠を置いた「笠塔婆型六地蔵」であったらしく通称六角石と言って伝えられてきました。しかし、造られた年代も不明であり同種のものも少ないため、確証が得られないままですが、近隣近郷の人や道行く人々は香華をたむけて無病息災旅の安全などを祈願したものと考えられ、俳聖芭蕉もこの塔の傍らを通ったものと思われます。
  瀬の上宿から宮代日枝神社の六角石傍らを通り、六角の六角石の傍らを過ぎ、渡辺墓地の六角石の傍らから、余目小学校前辺りまでの六角石を結んだ道は、字切り図では小字境だ。この道は、河岸段丘沿いでもあり、イメージ的には松尾芭蕉もこの道を進んだのかなと思えてくる。
by shingen1948 | 2009-05-04 05:06 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(2)