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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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タグ:季節便り ( 203 ) タグの人気記事

 今回は、医王寺奥の院薬師堂を、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除き、民間信仰の視点から整理してきた。
a0087378_1714388.jpg 今回、除病安楽は薬師様の第7願として整理している事は、病気の苦しみを取り除いて心身の安楽を得られるようにお願するという意味では、先に「さいで地蔵」や「阿保原地蔵」で整理した祈願と共通することのように思う。

 これ等を、若い頃は苦しい時の神頼みという事に目がいっていたのだが、最近は、そこにその願いはかなえられることもあったのではないのかなという思いが付け加わっている。

 年を取るにつれて健康にかかわる情報に敏感になっているのだが、その情報の中の一つに、薬の効力にかかわる次のような情報が頭にあるのだ。

 薬効を試す検査で、ニセの薬(全く効果のないとされている薬=プラセボ)を飲んだ場合でも、「これは効くぞ」と思って飲んだ人は効いてしまうんなそうだ。
 それは、薬に限らずいろいろな治療法や健康法にも当てはまるそうで、これをプラセボ(プラシーボ)効果というそうだ。
 このプラセボ(プラシーボ)効果は、あらゆる治療行為において数十%は入り込み、時には60%近くの結果に大きくかかわる割合で有効性を発揮してしまうこともあるのだとか。
 薬効を試す検査では、このプラセボ(プラシーボ)効果は、検証しようとする治療法にとっては「雑音」であり、取り除くべき対象として解説される。
 
 今回の整理で注目したいのは、「これは効くぞ」と本気で信じ切ってしまったら、少なくとも数十%は効いて、時には60%もの割合で本当に効いてしまうというというという部分だ。これが科学的に証明されているというふうに読み取ってもいいのではないかとも思うのだ。

 ならばということで、不謹慎かもしれないが、このことと除病安楽祈願を結び付けてみているということだ。
 もし、信心が少しでもあれば、数十%は「ごりやく」があるということであり、信心が深ければ時には60%もの「ごりやく」を期待しても、不合理とは言い切れないということではないのかなと思えるのだ。
 これを「霊験あらたか」と表現しているのではないかという勝手な解釈だ。

 自分には、今は疑いなく心から信じ切るという能力が欠如している。しかし、祈願する側の信心深さによって「ごりやく」が期待できるのならば、その力をつけておきたいとも思う。
 お願いされる対象のありがたさというとらえではないという歪みはあるが、それでも除病安楽祈願の願いはかなえられるという結論ではあるということだ。

 今の時代、病気になった時には合理的な治療法を得る事は容易だ。そこに、疑うことなく信心深くおすがりする力を身につければ、その信じる対象から「霊験あらたか」な力を受容できるようになるのではないかなという身勝手な捉えだが、どんなものだろうか。
by shingen1948 | 2017-06-28 17:19 | ★ 季節便り | Comments(0)
a0087378_10533816.jpg 2009/6/10に撮影したものだが、多分「ふくしま散歩(小林金次郎)」が紹介する「鎌倉権五郎影政と家臣の墓」だと思う。
 この寺の前の通りが散歩でよく通る古くからある道筋だ。寺の境内が整備されてきているので、消滅していないかなと時々眺めてはいた。
 それでも、今まで整理していない。その価値がよく分からなかったからだ。

 今回確認してみようと思ったのは、「日本の伝説(柳田國男)」に中心的に取り扱われている伝説であることを知ったからだ。

 信夫郡余目村南矢野目の「片目の魚」と共に紹介されるのは、次の各地の伝説だ。
 〇 東京府豊多摩郡高井戸村上高井戸、
 〇 山梨県西山梨郡相川村
 〇 長野県小県郡殿城村
 〇 新潟県北魚沼郡堀之内町
 〇 兵庫県川辺郡稲野村昆陽
 〇 大阪府泉北郡八田荘村家原寺
 〇 兵庫県加古郡加古川町
 〇 栃木県河内郡上三川町
 〇 岡山県勝田郡吉野村美野
 〇 新潟県中頸城郡櫛池村青柳
 〇 静岡県安倍郡賤機村
 〇 石川県能美郡大杉谷村赤瀬

 そのうちの南矢野目の「片目の魚」と同じように、鎌倉権五郎影政がかかわるのは、秋田県仙北郡金沢町・山形県東村山郡山寺村・山形県飽海郡東平田村北沢・長野県下伊那郡上郷村の伝説が紹介される。

 そして、伝説ではことに目一つの人が尊敬せられているとして、鎌倉権五郎景政について、次のように解説する。
 鎌倉権五郎景政の如きも、記録には若くて軍に出て眼を射られたというより他に、何事も残ってはいないのに、早くから鎌倉の御霊の社に祀られていました。九州ではまた方々の八幡のお社に、景政の霊が一しょにおまつりしてあるのです。
 奥羽地方の多くの村の池で、権五郎が目の傷を洗ったという話があるのも、もとはやはり眼を射られたということを、尊敬していたためではないかと思います。


 小林金次郎氏はこの伝説が全国的な伝説の検証の一つになっていることに価値を見出していたということに、自分はようやく気付くことができたということだ。
by shingen1948 | 2017-06-13 10:55 | ★ 季節便り | Comments(0)
 弁財天にかかわる事を分析的に整理してきた。近代の教育を受けた者の性なのではないのかなと思っているのだが、とりあえずそうしないと内容がよく理解できないのだ。
 昔の地域の方々は、感覚的にその本質を見極めてアバウトで統合的な思考法だったのではないのかなと思う。
 しかし、近代的な思考をするように教育された我々は、一度分析的に整理して、それをもう一度統合し直してみるという作業的な思考を通さないと、アバウトで統合的な理解に近づけない。
a0087378_965974.jpg さて、ここは、先に「撮り溜めた写真から②~弁天堂後方の石塔「己需塔」③」で「己需塔」が元々建っていた位置と想像した「飯坂路」と「福島路」との分岐点だ。まだ、「福島路」は確実にこの道筋とはいい切れていない。
 手前の道筋がその「福島路」だ。「飯坂路の今昔(二)<佐藤静雄>」では1級市道16号と紹介される。
 右手の奥に進む道筋が、その1級市道16号から分かれ「飯坂路」だ。この道筋が飯坂古道とされる道筋だ。
 この交差点に、あの弁天堂後方の石塔「己需塔」道標が建っていたと想像している。

 情報として飯坂古舘の熊野神社石塔群の中に、文化元甲子年(1804)12月吉日と刻まれた「己需塔」の紹介があったことは先に記した。それで、探してみたのだが今のところ見つかっていない。
 環境整備が進んで撤去あるいは消失した可能性もある。
 ここの「己需塔」が、この辺りでは稀少なものなのかもしれない。
by shingen1948 | 2017-06-08 09:07 | ★ 季節便り | Comments(0)
 「己需塔」が道標だと分かると、気になるのはどこに建っていたかということだ。
 案内する道筋は、「飯坂路」と「福島路」だが、飯坂路の方は直ぐに確認できる。
 「飯坂路の今昔(二)<佐藤静雄>」が紹介する笹木野村を起点とする飯坂路が、この辺りを通っている。
a0087378_6512343.png 「飯坂古道」として赤線で示した道筋だ。

 確実性が薄いのが「福島路」の方だ。
 想像するのは、ここから福島を起点とする「飯坂路」を案内しているという事なのだと思う。ここから松川を超えて福島に抜ける道筋は、正式にはその道筋以外にはないのではないかなと思うのだ。
 現況では、その道筋がケーズ電機前の道筋になっている。
 ということで、この道筋に向かって東に向かう道筋が案内されるのが「福島路」のはずだと思うのだ。
 この辺りでそうかもしれないと思われる道筋の一つが、紫線で示した道筋だ。ただ、この道筋は、その福島路の新道的な役割の道筋である可能性はある。
 それでも、現況ではこの石塔がこの角の北東側に建っていたら自然に思えるように感じるのだが、実際はどうだったのか、気になるところだ。
by shingen1948 | 2017-06-05 09:50 | ★ 季節便り | Comments(0)
 ご近所の桜の咲き具合から、ちょっと時期を外したなとは思いつつも、とりあえず出かけたのが4月21日のようだ。
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 やはり2~3日遅かった感じだった。
by shingen1948 | 2017-06-02 09:22 | ★ 季節便り | Comments(0)
 現在確認しながら整理しているのは、笹木野宿附近だが、天戸川にかかわる堰の本流も確認中。
 その中堰の道筋にバラ園の案内は見かけていたのだが、この日は駐車場に沢山の車が。それで、立ち寄ってみたら、花が咲き始めていた。
a0087378_6204719.jpg
 香りを楽しむ機能が弱くなってきているのだが、それでも、気のせいか時々バラの香りが、……。

 ここも「花のまちチャレンジガーデン」とのこと。
 福島市のホームページを確認すると、この佐藤梨園は、第5期認定とのとこで、「梨園のローズガーデン」と名付けた「500mにわたるローズガーデン」との紹介。「550種類以上1000株以上のバラが咲きます。オールドローズ、モダンローズ、イングリッシュローズ、フレンチローズなど色とりどりです。バラ以外の花もいろいろあり、バラを引き立てています」とある。
 見ごろは、6月、9月~10月とのことで、本番はこれからかな。
 http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/46/1745.html
 この日(5月30日)は、高気圧から暖かい風が入ったとのことで、県内各地、最高気温が30℃を超える真夏日となったとのこと。県内最高は、梁川町の33℃とのことだが、福島市も、32.3℃を記録し、平年より8.1℃高かったのだとか。
by shingen1948 | 2014-05-31 06:26 | ★ 季節便り | Comments(0)
 8日から、本州付近を覆う高気圧の影響で晴れ間が広がり、ずっと暖かい日が続いていた。そして、14日には県内各地で、遂に真夏日となる。福島でも、最高気温30.4℃だったとのことだ。
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 そんな影響からか、9日には上野寺の民家の藤の花が満開となっているというニュースが流れたが、例年より1週間ほど早く見頃を迎えたとのことだった。20日ごろまで楽しめるとのこと。
 でかけたのは13日。というより、現在上野寺の「のりしろ散歩」中で、立ち寄ったということ。
 先に「釈迦堂」や「大林寺の旧地との言い伝えの地」を整理したが、その直ぐ南側に位置する「小字祭田」地域なのだ。この付近を歩いていてやたらに車の通行が多いなと思ったら、この藤をめあてにした人々だった。
 
 
 「福島市ホームページ」で確かめると、ここは、個人の庭をオープンガーデンとして一般開放する事業「花のまちチャレンジガーデン」1期に認定された方のお庭ということらしい。
 樹齢およそ40年、枝は約20mに延び、棚全体の広がりが150坪とのこと。その藤棚の下が、通り抜けが出来るように開放されている。
 http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/46/140324.html 

 なお、散策とのかかわりでは、この直ぐ西手が先に整理した「小字十三仏」。そして、この地が「字祭田」の地名。
 「野田村郷土史」は、「大林寺の旧地との言い伝え」とかかわって、一緒に移動した天神社とかかわると説明する。近くの「天神林」「小字梅田」「小字北ノ内」の地名と天満宮のかかわりを想像力たくましく関連づける。
 「北野の天神からいつか北の内の天神に変化した」とし、「小字祭田」は、その天神を祀る祭田が地名になったと説明する。これが、「『弘安の板碑』~『のりしろ散歩情報の修正』」でふれた上野寺の本郷の産土「天神社」で、「釈迦堂(上野寺佐々江地内)由来」にあった「大林寺境内に移った天満宮」でもあり、「応永21年(1414)の碑」の旧地とする菅原神社ということでもある。
 ただ、「福島市史」では、「寺山伏」の言い伝えが残されていない事を理由に、「大林寺の旧地との言い伝え」自体の確からしさに?をつける。それでも、散歩するには、言い伝え通りにイメージして歩くのが楽しい。
by shingen1948 | 2014-05-16 06:19 | ★ 季節便り | Comments(0)
 一つの事にスポットライトが当たれば、その他はその陰になる。それらは、偶然の重なりによる事もあれば、意図された事である場合もある。そのこととかかわって、大雪被害報道が、ソチ五輪の陰に隠れたことについて整理したが、今回はそれにとどまらない。
 その二つの報道の陰には、平和日本が危機に瀕する可能性を持つ施策や、原発再稼働を優先するエネルギー計画にかかわる情報があったという構造もみえる。ただし、こちらは常に情報が流されていてその危機感は麻痺させられているという側面がある。その情報が重なっている。

 前者は、武器輸出禁止3原則の変更、集団的自衛権の解釈の変更の動き、戦前の治安維持法を思わせる秘密保護法案などの動きだろうか。本当は、道徳の教化化など教育を変えようという動きもそれと重なるのかもしれない。たとえば、道徳の教化化は、個人の持つ価値観に国が特定の評価を加えるように基準化される事だ。思想の統一化が可能という意味からは、ちょっと恐ろしい流れかな。
 こちらの漠然とした不安感は、今のところ「ちいさなおうち」の視聴記録の再整理としてメモしておくことにした。

 後者が、相次ぐ事故のため中断していた高速増殖炉もんじゅの核燃料サイクル研究が復活するという情報、停止中原発の再稼働に向けて審査を急がせる指示をしたとの情報等だろうか。
 これも、マスメディアが五輪報道に熱中しそこに重なる大雪による被害にかかわる報道の中で流されるが、常に情報が流さていることで焦点化を免れる情報でもある。それが重なるが、受け取りは軽量化される感じかな。
 「原発『再稼働を進める』と明記 エネルギー計画政府案が判明【東京新聞(2014/2/25)】
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014022401002811.html
 新たなエネルギー基本計画の政府案が24日、明らかになった。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、安全性が確認された原発は「再稼働を進める」と明記した。再生可能エネルギーへの取り組みを強化する姿勢を強調し、福島を再生エネルギーの産業拠点にする計画を盛り込んだ。
 25日に関係閣僚会議を開き、決定する。与党との協議を経て3月中の閣議決定を目指す。
 東京都知事選で原発政策が争点化し、昨年末にまとまった当初案に対して原発推進のトーンが強すぎると与党内で批判が噴出、修正に追い込まれる異例の事態となった。(共同)
 福島の地では、さりげなく以下の情報が流れる。
 「全原協の首長ら福島第1を視察 構内や仮置き場など【河北新報(2014/2/22)】
 http://www.kahoku.co.jp/news/2014/02/20140222t63009.htm
 原発の立地自治体でつくる全国原子力発電所所在市町村協議会が20、21の両日、福島第1原発を視察した。
 18市町村の首長ら約50人が参加した。関係者によると、原発構内のほか、避難区域の除染廃棄物の仮置き場を見て回った。
 河瀬一治会長(福井県敦賀市長)は視察後、「福島のような事故は二度と起こさせてはならないが、原発再稼働については国の安全審査を経た後、それぞれの自治体が判断する」と述べた。
 東北からは福島県双葉、大熊、富岡、楢葉の4町のほか、青森県むつ市、青森県大間町、東通村、宮城県女川町の首長らが参加した。
 注目は、河瀬一治会長(福井県敦賀市長)の視察後の発言「原発再稼働については国の安全審査を経た後、それぞれの自治体が判断する」。
 思い出すのは、一年前、元バレーボール日本代表の三屋裕子氏が、経済活動の推進力としてのエネルギーの役割を踏まえた視点が必要との講演をし、その趣旨に沿って大熊町長が再稼働問題に言及したという以下の情報についてふれたが、その流れを強めてきたということかな。
 ○ 「福島・大熊町長が再稼働問題に言及 原発位置付けも、越前市で講演【福井新報(2012/3/24)】
 http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/earthquakeafterayear/33791.html
 被災者として同情的にみる見方は大切だが、同じ穴のムジナかもと疑う見え方も要求される時期になったのかなと思うのはちょっと悲しい。
by shingen1948 | 2014-02-27 06:49 | ★ 季節便り | Comments(0)
 一つの事にスポットライトが当たれば、その他はその陰になる。それらは、偶然の重なりによる事もあれば、意図された事である場合もある。

 今の時期、強くスポットライトが当たったのはソチ五輪。その影の一つが大雪被害。
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 「にゅーす360度~紙面審査委員会【毎日新聞(2014/2/22)】」は、「大雪被害五輪の陰に」と題してその報道の評価をしていることが目についた。
 その中では、16日の報道は、大雪の被害も1面2番手、社会面の殆どのスペースを割いて大きく報道していたとした。ただ、17日の大雪被害の報道は、社会面4段掲載の「大雪 死者15人に 奥多摩・檜原638世帯が孤立」の記事の掲載だけだったのは、バランスが良くないとの評価。18.19日の地道な取材によるルポの大きな掲載できていたのに、17日に深刻さを増す被害状況を把握し、大きな展開ができなかったのは残念との見方をしていた。

 テレビの報道はもっとひどかったと思う。
 それでも、15.16日は、テロップでリアルタイムに近い被害状況が流れていたが、17日の番組は、NHKを含めどこにチャンネルを合わせても似たりよったりのソチ五輪内容だった。
 それに比べれば、新聞報道やネットの中から大雪被害の情報を拾う事ができるという状況ではあったと思う。大雪の被害についての報道がソチ五輪の陰に隠れていたという批判の割りには、自分にその認識があった。これは、「紙面審査委員会」があげた「18.19日の地道な取材によるルポ」に接していたからだろうと思う。
 ただ、ごく近くの生活圏の4軒の駐車場の屋根がつぶされるという状況ではあったが、福島の地は田舎でありながら、この雪に対応できていなかったことは別に確認したいことと重なるが、とりあえずは、それぞれの日にメモを残しておくことにした。
 
 ネットの中では、東国原氏がフジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」に電話出演した際の舛添氏の「防災」への認識に違和感を持ったことについての発言が、大きな反響を誘っていたようだった。
 少なくとも、2月23日現在も孤立している方の中に、36世帯141人の東京都民がいらっしゃったようだ。そなん中、東京都の舛添知事は、ロシア・ソチで行われているオリンピックを視察するため、21日午後、成田空港を出発したというニュースが重なるかな。
by shingen1948 | 2014-02-25 06:58 | ★ 季節便り | Comments(0)
 「2013年度「東北の戦後史」~日本人は何をめざしてきたか」の第5回「福島・浜通り」【NHKEテレ(2016/1/4)】の放送があった。これは、原発と共に生きてきた福島県の浜通りの人々の戦後をみつめていた。目新しい内容ではないが、福島が「フクシマ」とかかわった根源的な事にふれている。
 http://www.nhk.or.jp/postwar/program/past/
 原発と共に生きてきるようになるその原点は、貧しさだったようだ。
 原発の誘致は、その貧しさ解消策であり、その効果は画期的だったということのようだ。その指標として、福島県内の自治体の中で所得を挙げる。
 双葉町は、第56位だったのだが、原発誘致したとたんに第4位にはねあがり、そして、遂には第1位にまでになるという。貧しさの解消という点では、何にもなかった貧困地域にふってわいた魔法の玉手箱のような原発景気は、起死回生の一発逆転劇だったとも。
 雇用が生まれた町では、出稼ぎなどせずに生活できるようになったのだ。

 その魔法の玉手箱が、電源三法交付金なのだとか。
 原発建設中や原発運転当初に、莫大な交付金と固定資産税という莫大な金が国からふってくる。これによって地方財政は支えられる。それに、国や東京の電力会社から危険を押し付けた代償として、豪華公共施設への資金提供。似つかわしくない立派な施設は作り放題。
 その建設で、地元業者も潤うという富のスパイラル。

 しかし、年月が過ぎると、交付金も固定資産税も目減りしていくシステムで、財政は徐々に苦しくなって、一時の繁栄からじわじわ衰退の一途をたどるようになる。それに追い打ちをかけるのが、豪華公共施設の維持管理費の財政圧迫。

 負のスパイラルに入った解消策として、地元住民や政治家が求めたのが原発増設。
 これで、新たな原発による交付金や固定資産税が入ってきて、潤いのスパイラルが復活するというサイクルが出来あがったようだ。

 この次々と原発が増設されていくサイクルに入った時点で、地元はエネルギー政策とか、東京に電気を送るという意識はなく、ただ潤いのスパイラルを求めるようになっていたということのようだ。
 このことと共に注目は、引き返すチャンスはあったということ。
 福島の原発は運転当初からトラブル続きであり、地元では原発の危険は察知でき、反対運動も持ち上がっていたりだとか。
 しかし、町は、目先のあぶく銭に誘惑されてしまった。原発の危険はさておいて、原発推進へと傾いていったということのようなのだ。
 富が、察知していた原発の危険性に目をつぶらせた。その側面を肝に銘じておくことが大事かな。
 この結果として、2011年3月に故郷を失うという現状に結びついたということだ。

 福島県内という地域を共有する者が、この事にふれるのには、まだ早すぎるとの思いもある。しかし、「フクシマ」は無かった事にしようとする不気味で巨大な意思のようなものも感じている事からすれば、しっかり見据えておく事も大切なのだと思う。
 とりあえずは「2013年度「東北の戦後史」~日本人は何をめざしてきたか」の第5回「福島・浜通り」【NHKEテレ(2016/1/4)】の放送があったことを固定しておきたい。
 http://www.nhk.or.jp/postwar/program/past/
 第5回「福島・浜通り 原発と生きた町」a0087378_615056.jpg 福島県東部の浜通り。原発事故で、今も多くの人々が避難生活を余儀なくされている。
 東京電力福島第一原子力発電所の敷地には、戦前、陸軍の飛行場があり、戦後は塩田が開かれた。現金収入の少ない生活は厳しく、農閑期には多くの人々が出稼ぎに出た。福島県は戦前から只見川や猪苗代の水力発電によって電気を東京に送る電力供給地だった。戦後、浜通りの双葉町と大熊町は原発を誘致し、1971年、第一原発の稼働を迎える。新たな雇用が生まれ、人々は出稼ぎをせずとも暮らせるようになったが、初期の運転トラブルに対する疑問から反対運動も生まれた。国は1974年電源三法を制定し、巨額の交付金を配付。町の財政が潤うなかで反対の声も次第に小さくなっていった。しかし、1990年代になると、交付金で建てた公共施設の維持費などで町の財政が悪化。さらなる原発の増設を求めていった。
 そして迎えた2011年3月の原発事故—。浜通りの人々は、今、原発と共に生きてきた戦後をどのように見つめるのか。

by shingen1948 | 2014-02-10 06:05 | ★ 季節便り | Comments(0)