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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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タグ:フォーラム ( 58 ) タグの人気記事

  「ベン・シャーン展」を見ない事に決めたのは、核や放射能からは目をそらしたいということではない。巡回展なのに、福島開催の今回はかなりの作品が、福島入りを拒否されているのを、低料金、写真でカバー等の策で誤魔化す対策が気に入らないだけだ。

 福島フォーラムの「特集:映画から原発を考える」は、原発や放射能汚染を描いた映画を上映することと、どんな未来に向かって歩いていったらいいのかを考えるトークイベントで構成されるらしい。
 その上映&トークイベントという趣旨で、13弾:「第4の革命」上映時に、「日々の暮らしから考えた自然エネルギーの活用と共生」と題した、武藤類子さん×藍原寛子さん(ジャーナリスト)のトークイベントが行われたらしい。

 失礼ながら武藤氏を存知あげなかったのでどなたか確認する。
 市民団体「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の委員長で、「脱原発福島ネットワーク」と共に福島原発告訴団を結成したという情報が見つかった。この福島原発告訴団が、6月11日に、勝俣恒久会長ら東電幹部らの刑事責任を問おうと、業務上過失致傷容疑などで福島地検に告訴したとのことだ。【福島民報(2012/03/17)】 いまだ収束せず、検証も対策も中途半端な原発事故。口では謝罪を言うが、責任はだれも取らない。このままでいいのかという思いは同じだが、自分には、目立つ派手な動きには引くところがある。
 ただ、この方は、原発事故以前の日々の暮らしでは、福島県田村市の人里離れた一軒家で、森の暮らしを続けながら、里山喫茶「燦(きらら)」を経営していたという地道な暮らしをしていたらしい。<「ふるさと:原発事故15カ月(1) 森の暮らし奪われ」【毎日新聞(2012/6/18)】>
 もともと原発反対運動に関わっていたようだが、「まず自分たちの生活を変えることが大切」と考えるようになったとか。
 42歳の時、川沿いの雑木の山の開墾に取りかかり、鍬で斜面を掘り、一輪車で土を運び、3年かけて平地を作って、最初の小屋を建てたとか。
 できるだけ自給自足を目指そうと、畑を広げ、ソーラーパネルを設置、太陽熱利用の調理器や温水器も導入したという。「ランプとまきストーブの生活。見上げると満天の星があった」とか。
 そして、03年に50歳を前に県立あぶくま養護学校を退職し、退職金で家を建て、きらめく人生を送りたいとの思いで名付けた里山喫茶「燦」を経営していたという。これが、トークイベントテーマ「日々の暮らしから考えた自然エネルギーの活用と共生」とのかかわりなのだろうと想像する。

 「ベン・シャーン展」は、どう言い訳しても、福島開催でアメリカの美術館の拒否に敗北し、作品の多くが、福島入りできなかったという。それを低料金とか写真でカバーとかで対応したという福島にとっては屈辱的展覧会と位置付けるべきものだと思う。
 しかし、福島フォーラムのこの「特集:映画から原発を考える」の趣旨とは別視点からその観客になって考えているだけだが、この地道な企画はいいなと思う。
by shingen1948 | 2012-06-26 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
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 今回みたいと思ったのは、晩年まで新たなテーマや表現の可能性に挑戦し続けた新藤兼人監督の作品の一つという観点だったが、福島フォーラムの上映の主旨は、「特集:映画から原発を考える」ということのようだ。
 この事業は、先に見ない事を決めた「ベン・シャーンクロスメディア・アーティスト展」ともかかわっていて、その半券を提示すると700円で視聴できるという事のようだ。

 この「特集:映画から原発を考える」は、昨年からの継続事業のようで、今回は、その11弾:「friends after3.11」・12弾:「プリピャチ」・13弾:「第4の革命」に続く14弾:「第五福竜丸」上映ということだったようだ。
 その福島フォーラムパンフレットでは、この「第五福竜丸」の作品を以下のように紹介する。
 昭和29年3月、南太平洋ビキニ環礁付近でマグロ漁船、第五福竜丸の乗組員たちは核実験による死の灰を浴びる。真っ黒な顔になって静岡に寄港して間もなく彼らの体は変調をきたし始め……。被爆の痛ましさと人々の善良さを対比させた、社会派映画の傑作
 監 督 : 新藤兼人
 出 演 : 宇野重吉/乙羽信子/小沢栄太郎
 1959年日本映画1h50

 その内容を、昨日整理したように、「事実の通りに撮るのだけれど、記録映画で撮れるわけじゃないから、シナリオを事実の通りに書いて、それを俳優でやるというドキュメンタリーに対する一つの試み」としてみると、監督の思いの表出を感じるのは、機関長の葬儀の場面で合唱がちらりと入る部分だけで、他は淡々と事実を記録する手法だ。この事で、かえって思いの重みを感じさせているように思う。
 それから、この作品では、久しぶり懐かしい俳優の顔がみれたことも心に残る。特に、乙羽信子が若若しいのが印象的。家人などは、「愛妻記」を再読し始めた。
by shingen1948 | 2012-06-25 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 この映画の上映の主旨はいろいろあるようだが、今回みたいと思ったのは、5月29日に100歳の映画監督で脚本家、文化勲章受章者の新藤兼人監督が亡くなったというニュースをみたこととのかかわりだ。
 氏の「自分の撮りたい映画を作るために独立プロダクションを立ち上げ、幾多の困難を乗り越えながら徹底したリアリズムで戦争と核、人間の生や性、家族、老いなどを描き、晩年まで新たなテーマや表現の可能性に挑戦し続けた生涯(NHKウェーブ特集)」の断片のいくつかを見聞きしていた。
 この「第五福竜丸」が絡む経歴を、「新藤兼人 百年の軌跡」の経歴紹介のページから拾うと、以下の部分だろうか。
 50年(昭和25)、松竹を退社し、吉村公三郎、殿山泰司たちと独立プロ「近代映画協会」を設立。
 51年(昭和26)『愛妻物語』で監督デビュー。以降、『原爆の子』、『第五福竜丸』など近代映画協会を拠点に旺盛な創作活動を開始する。
 60年(昭和35)、全編セリフを排した『裸の島』がモスクワ国際映画祭のグランプリに輝く。

 ここに、「映画人九条の会4・14映画と講演の集い」のページから、氏の発言を重ね合わせてみる。
 『原爆の子』は、劇映画として作ったけれども、今度はそれをやめて、第五福竜丸が被った被曝の状況などを、全部事実の通りにやってみたい、と思ったんです。事実の通りに。
だけど記録映画で撮れるわけじゃないから、シナリオを事実の通りに書いて、それを俳優でやる、ということですね。一つの試みだと思いましたよ。ドキュメンタリーに対する一つの試み。全部俳優がやるんだけれども、事実通りにシナリオを書いて、そのままやってみるということなんです。これが、僕が長年映画をやっていて、いつか試みてみたいと思ったやり方なんです。
 なぜそれをやるかというと、それで一つ映画のリアリズムに近づくことが出来るんではないか、ということなんです。それでぜひ実験的にやろうと。
 この映画がまたあまり受けないんです(笑い)。「えっ、原爆?原爆ですか」っていうような感じですね。関心がないんです。観る人は観てくださったんですが、受けない。

 それでいよいよ解散かと思って、解散の準備をして、記念作品に「裸の島」という映画を一つ作って、これを最後に解散しよう、ということになったんです。これが最低の予算で、最低の銭で作ったんだけれど、どういうわけかモスクワ映画祭でグランプリを獲って、世界中に売れたんですよ。
 今回も、「観る人は観てくださる」観客は、おっさんとおばさんでまばらだった。
by shingen1948 | 2012-06-24 05:26 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 枝葉の事だとは思うが、この映画がデジタル映像だった事が気になったので付け加えて整理しておく。
 「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」は、実録とは謳わないが、ニュース映像と物語の展開を重ねる手法は、観る者には、その実録の雰囲気を醸し出す効果が伴う。同時に、そこには、違和感の危険性もはらんでいるはずだと思うのだ。
 今回それは感じなかったが、表現者としての監督は、デジタル映像化をどう思っているかということを知りたいなぁと思った。

 たまたま、NHKクローズアップ現代で「フイルム映画の灯を守りたい」という番組を見た
 映画のデジタル化の波の中、その課題を取り扱った内容だったが、その解説者の話の中に、表現の多様化の話があったことを思い出している。そこでは、表現上のフィルムのよさの特徴を、次のようなものとしていた。
 このことと今回の作品とのかかわりが気になったということだ。
 フィルムっていうのはすごく包容力があるというか、カットバックしてても、色味が多少違っても、なじませてくれるというか、すごくあいまいないいところがあるんです。

 なお、今回の「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」の作品では、ニュース映像と物語の展開を重ねる手法はその途中までで、最後の場面では、取り巻く環境の状況は、音声と状況に反応する演技での表現だった。

 「フォーラム福島」のホームページには、映画の「フィルムからデジタルへ」の流れを以下のような態度で受けとめるとあった。
 デジタルシネマ導入
 このたび、フォーラム福島では6つのシアターすべてにデジタルシネマプロジェクターを設置いたしました。どのシアターでもデジタルならではの美しい映像と色彩をお楽しみいただけます。また、音響も最新のスピーカー、音響システムもドルビーサラウンド7.1を導入いたしました。臨場感あふれるサウンドをお楽しみ下さい。
 ※ロードショー作品は、現状ではフィルムでの上映とデジタルでの上映に分かれておりますが、徐々にデジタルでの上映に統一されます。

by shingen1948 | 2012-06-22 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
a0087378_423174.jpg 映画は、浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺したテロリスト・大学解体、反権力を叫んで安田講堂に立て籠った全共闘・人質をとって籠城し、差別への怒りをぶちまけた金嬉老等を、若者たちの憂国の純真さとオーバーラップさせて展開する。
 観客としての自分は、ここに実体験が重なる。

 浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺事件は、学校の作法室のテレビでリアルタイム、或いはそれに近い実時間の中でその映像を見ている。休み時間だったかどうか定かではない。宿直の時に泊まりにいくほど好きだった先生が、陰で泣いているのを見たことを思い出す。今だから言えるが、子供心に言ってはいけないことという大人の判断をずっとし続けていたことを思い出す。

 大学解体・反権力を叫んで安田講堂に立て籠った全共闘と三島の対話集を読んだのは、最近、家人が古い本棚から取り出してみていたのを見て思い出した。
 あの事件の頃、三島由紀夫はブームだったが、自分が読んでいたのは能楽の物語を小説にした作品群だったというちょっと斜めから見ていた感じ等々……。
 自分としては、そんな実体験の中で楯の会にかかわるニュースを目にしていたという実時間の中で映画をみていたが、実時間の体験のない家人にとっては、展開がやや速いという印象だったらしい。

 フォーラム福島作品紹介
 人気の絶頂にありながら1970年11月25日に衝撃の自決を遂げた三島由紀夫。美学に殉じたその人生を再現するのではなく、若松孝二監督が描き出そうとするのは三島と「楯の会」の若者たちが心の奥底から向ける眼差しそのものだ。「おまえら聞けぇ、聞けぇ!」あの日の命がけの叫びが聞こえてくる。

 エキサイト映画情報
 11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち
 鬼才・若松孝二監督が描く三島由紀夫
 メッセージ性の強い社会派作品を撮ってきた若松孝二監督が、三島由紀夫が自決にいたるまでの日々とその心中の葛藤を描き出す。前作『キャタピラー』にも出演した、演技派俳優ARATAが三島由紀夫に、そして寺島しのぶがその妻をそれぞれ熱演した。また、三島を信奉していた政治活動家・森田必勝を演じた満島ひかりの弟・満島真之介にも期待。
 2012年06月02日より公開
 ストーリー
 『仮面の告白』や『金閣寺』など次々と話題作を発表し、文壇の寵児となった三島は、文筆活動のほかに左翼革命勢力への対抗を目的とする“楯の会“を結成し、決起の時を待っていた。しかしなかなかその時が訪れず苛立ちを募らせ、遂に自ら行動をおこすことに。
 スタッフ・キャスト
 監督・製作・脚本若松孝二 :製作尾崎宗子:脚本掛川正幸:撮影辻智彦、満若勇咲:音楽板橋文夫:
 出演
 井浦新、満島真之介、タモト清嵐、岩間天嗣、永岡佑、鈴之助、水上竜士、渋川清彦、地曵豪、大西信満、中泉英雄、橋本一郎、よこやまよしひろ、増田俊樹、中沢青六、長谷川公彦、韓英恵、小林三四郎、岡部尚、安部智凛、藤井由紀、小倉一郎、篠原勝之、吉澤健、寺島しのぶ

by shingen1948 | 2012-06-21 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
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 福島フォーラムで、6月16日(土)昼に、監督の若松孝二氏と主演:井浦 新(ARATA)さんの舞台あいさつと上映の会があるとのことだた。
 それが、6月18日(月)6時からに変更になった。この後、山形に向かうとのことなので、先に山形の日程として入っていたスケジュールに合わせて調整されたものと思うが、それはどうでもいいか。

 これをみたいという言いだしっぺは家人だが、興味を持ったのは、作品そのものというよりは、大河ドラマ平清盛で崇徳院を演じている井浦 新(ARATA)さんが舞台あいさつするということらしい。
 作品の内容から観客層が予想できないということで、その付き添いを頼まれたことで恩着せがましく出かけることができた。本当は、自分としては、あの三島由紀夫の行動がいま一つ理解できていないということと若松孝二氏の作品への興味だった。

 観客層は若い女性が多く、おっさんが主流でないのは、主演:井浦 新(ARATA)さんの舞台あいさつの会ということだろうと思う。

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 撮影自由ということだが、安物の古いカメラでうまく撮れなかったが、様子が分かる写真を張りつけておく。

 ARATAさんの挨拶の中で、「 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) 」にも出演しているとあったが、この作品もみていて、「映画視聴記録『 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』」として整理している。
  これも、二人のコンビだったようだが、この頃には作品そのものの興味が強くて、役者さんをそれ程意識していなかった。
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 この頃、大河ドラマの複雑な人間関係を見極める手段の一つとして、役者さんにも興味を持つようになったが、そういうことでは、森田氏役の満島真之介さんは、現在、朝ドラで活躍中だが、帰り路、そのことを話題にっする声が聞こえた。

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 客層から、人気は井浦 新(ARATA)さんの方だが、おっさんの一人としては、この〆は、若松監督でなければならないという勝手な思い。 
by shingen1948 | 2012-06-20 05:20 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(2)

「わが母の記」視聴記録

 震災以来、映画を観たいという欲求が喪失していた。
 散歩も、気分的には積極的にやりたいと思ったわけではない。日常を取り戻すために、とにかくできるだけ外に出かけようとしたものだ。それでも、最近になってようやく日常の感覚らしきものが伴ってきたといったところだ。
 その中で、季節の感覚が取り戻せてきているように感じるし、震災前に無意識に日常的に繰り返していたことが、思い出されてきたとも感じてきている。
 映画視聴に思い及んだのもその一環の心の動きだと思う。

 「わが母の記」は、井上靖の自伝的小説を映画化したもので、これをみたいと思ったのは、役所広司さんと樹木希林さんの共演ということもその要因だったような気がする。
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 中心となるのは、主人公である長男の息子の物語。
 主人公である作家洪作は、ずっと自分は母に捨てられたという想いを抱えていた。それは、子供の頃、父が台湾へ異動になった時に、自分だけが日本に居る親戚に預けられたからだ。それが、記憶が壊れて行く母を世話しているうちに、洪作は母と向きあえるようになっていく。
 壊れていく母もまた息子への愛を確かめていくのだが、その響き合いがいい。

 そのあたたかさの響き合いが、それを取り巻く家族も共鳴し合っている。
 壊れた母を支えようとする長男である主人公の洪作とその姉妹、主人公の洪作とその子である琴子やその姉妹、そして、母と孫としての琴子とのかかわり等々……。
 壊れた母の言動に振り回されながらも、家族はそれぞれに母を受け止めながら暮らしていくという家族の温かさの余韻に浸らせてくれる。

 それが、湯ケ島の実家の和室と山葵田、母親が行きたがった海岸、軽井沢の山等々の美しい風景の映像に包み込まれて展開する。
 そこに、作家の自宅とはこんな雰囲気なのかという実存感が加わって、じっくりと描かれる人間関係に納得する。

 もう一つ、どの方も演技を感じない自然さだが、特に樹木希林さんの母親は、その次元を超えているような感じだった。
【ウーマンエキサイトシネマ(映画)作品紹介】
 井上靖の自伝的小説を豪華キャストで映画化 
 昭和の文豪・井上靖が45年前に綴った自叙伝的小説『わが母の記~花の下・月の光・雪の面~』を、『クライマーズ・ハイ』の原田眞人監督が映画化。疎遠だったために息子への愛を必死に確かめようとする母と、母を理解して受け入れようとする息子の葛藤を、普遍的な家族の問題として描く。主演の役所広司を筆頭に、樹木希林、宮崎あおいら豪華キャストの共演で織りなされる親子の絆の物語に感動必至だ。
 <ストーリー>
 幼い頃実母・八重に育てられていなかった小説家の伊上洪作は、八重とは距離を置いて暮らしていた。しかし、父の死後、八重の暮らしが家族の問題となり、伊上は自身の幼少期の記憶と、八重の自分に対する思いに向き合うことを決め、母もまた薄れてゆく記憶の中で息子への愛を確かめようとする。
 <スタッフ・キャスト>
 監督脚本:原田眞人 、製作:石塚慶生、原作:井上靖、撮影:芦澤明子、美術:山崎秀満 、音楽:富貴晴美
 出演:役所広司、樹木希林、宮崎あおい、南果歩、キムラ緑子、ミムラ、菊池亜希子、三浦貴大、真野恵里菜、三國連太郎

 【福島フォーラム作品紹介】
 「わが母の記」2012年/日本映画
 上映時間1h58
 監督名:原田眞人
 出演者名:役所広司、樹木希林、宮崎あおい、三國連太郎、南果歩、キムラ緑子、ミムラ、菊池亜希子
 小説家の伊上洪作は幼少期両親と離れて育てられたことから母に捨てられたという想いを抱いて生きてきた。父が亡くなり残された母の暮らしが問題となり距離をおいてきた母と向きあうことになる。昭和の文豪井上靖の自伝的小説を豪華キャストで描く親子の絆の物語。

by shingen1948 | 2012-04-27 05:21 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
 2日、福島フォーラムで「武士の家計簿」試写会があった。
 この映画は、ベストセラーになった歴史教養新書「武士の家計簿(磯田道史著)」の映画化だ。NHKのテレビ番組でみたことがあった。
 この原作の基になり、題にもなっている家計簿は、加賀藩の御算用者(経理担当)の下級武士「そろばん侍一家」のものだ。そこに残された記録は、かなり詳細なものだったらしい。番組では、「家計簿」を読み解く学術調査から、その時代背景とからませ、一武士家族の生活ぶりを浮き上がらせたことが紹介されていた。
 無味乾燥な古文書から、幕末の体制崩壊という時代背景の中で、懸命に生きる姿として読み解くことに感心したものだった。
 今度は、その家族の生活を映画という手法で実像をより具体的に浮かび上がらせるということのようだ。
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 舞台は、幕末の加賀藩。
 その御算用者の猪山家八代目の直之は、トラブルに巻き込まれそうになりながらも順調に出世する。直接的には描かれないが、当時の武家社会では身分は高くなっても出費も増えるという構造になっていたようだ。ともかく、出世しても家計は厳しいままだ。
 直之は、その困窮極める我が家の財政難を憂い、知恵と工夫で日々の生活を乗り越える。この工夫が、徹底的した家計切り詰めであることを描く。
 更に、家の骨董品や着物、蔵書も売り払い、借金返済にあてるのだが、これもまた生半可なものでない。
 それに、物語の基にもなっている「家計簿」だ。これも、細かい記録というにとどまらないことが描かれる。家庭の催事もかかった経費は其の日のうちに記録するという徹底ぶりだ。
 「そろばんバカ」と揶揄される程生真面目で一本気な直之が、当時の武士としては異例の決断を下す。この体面を無視した徹底した節約ぶりを、倹約前と倹約後の様変わりを対比して描かれることで、つい笑ってしまう。
 激動の時代を生きる下級武士の日常だが、その仕事は城詰めなのだが、内容が広間に集って黙々とそろばんを弾くということに、おかしさを感じながらもリアリティーを感じる。
 滑稽さの中に、激動の時代を世間体や時流に惑わされることなく、つつましくも堅実に生きた猪山家の絆と家族愛が浮かび上がる。

「武士の家計簿」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

エキサイトシネマ解説
by shingen1948 | 2010-12-04 05:49 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(2)

「沈まぬ太陽」視聴記録

沈まぬ太陽
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 福島フォーラムで10時から上映された「沈まぬ太陽」を観た。この作品も自分にとっては映画を見たという実感のある重い作品だった。

 物語は、国民航空という明らかに日本航空をモデルにした企業の話として展開する。
 労組の委員長であった恩地は、労働条件の改善を求めて奔走し勝利する。しかし、このことが元になって、会社の懲罰人事として、海外勤務を命じられる。その後、会社の分断工作もあって、かつての同志がライバルになるなど、どろどろとした人間関係を描く。
 そこに、半官航空会社のモラル、その企業を共同体とした組織のベタベタした付き合いが絡み、更に、陰険な政治家、官僚の欲も絡む。

 メインとなるのは、1985年の世界最大の航空事故の人間模様だ。飛行機事故の無惨な現場、もの言わぬ棺桶が並ぶ会館の映像、遺族への補償に企業の論理が働くことも描く。
 ご遺族の方々にとってはナイーブな内容も含んでいる。

 上映時間3時間30分、途中休憩ありということだが、観終わった時にその長さを感じさせない。ただ、この映画は、骨太の人間ドラマであり、自分の生き方とは何なのかという本質と心通わせることを求めてくる。頭の中では自分の経験と比べていて、観終わってその疲れがどっとくるのが分かる。

 組織の論理と自分の持つ志、理想と現実、その歯車がかみ合わないことは、誰しもある。その中で、自分の志より、組織の論理を優先させたこともなかったとは言い切れない。組織の論理で行動したことを思い出させる場面もある。逆に、組織の中で、己というものを持ち続けたと自負することも思い出す。
 多分、誰しもが、日々にそれなりに迷い、判断しながら生きてきているはず。その自分と、本作の主人公恩地が、己というものを持ち続ける生き方と比べるのはきつい。

 恩地は、会社のために、労働組合で尽力した結果が左遷人事や苛酷な仕打ちにあいながらも,逃げずに真摯に励む。その馬鹿正直で融通が利かない恩地を,渡辺謙がみごとな存在感で迫る。
 憧れる生き方であり、彼のようにありたいとは思う。しかし、現実の世界では、なあなあで生きてきた人が、組織の中では生かされていたとも思う。

 ラストのナイロビ行きで、ナイロビに沈む夕日を見ている恩地には、その心の中に平穏が訪れたらしい。確かに、自由と命の象徴とするアフリカの燃える夕陽のラストシーンは美しい。
 そうは思うが、その一方で、それでもこれは海外左遷で、そんな簡単に答えが出るものかと思う自分もいる。
「沈まぬ太陽」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

作品紹介(フォーラム・エキサイトシネマ)
by shingen1948 | 2009-11-03 05:17 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)
おいしいコーヒーの真実 | ウーマンエキサイトシネマ
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 福島フォーラムで9時25分から上映された「おいしいコーヒーの真実」を観た。
 映画はエチオピア州南部のオロミア州コーヒー農協連合会のタデッセ・メスケラ氏を追いかけるかたちで進行していく。
 メスケラ氏は、1999年にオロミア州コーヒー農協連合会という共同組合システムを設立する。氏は生産地だけでなく、ロンドン、アメリカのコーヒー見本市を飛び回り、公正な取引を求めてフェアトレード商品を売り込む。

 テーマは明確で、本篇は、予告編で訴えることの検証のようなものだ。

 世界では、一日に20億杯以上のコーヒーが消費されている。
 我々がコーヒーを飲むとき、おおよそ1杯330円のコーヒーの代金を支払が、豆をつくる1次生産地にいくのは3円~9円でしかない。
 タデッセ・メスケラ氏がそのことを住民たちに説明する。彼らにとって、私たち消費地域の世界は別世界で、理解できない。

 この生産する地域の生活と消費する地域の生活を交互に映し出し、この矛盾を追及する。
 消費地域では、スターバックス・コーヒーで店長になって喜ぶ女性と1日0.5ドルの報酬で黙々と働くエチオピアの女性たち。バリスタ・コンテストの審査風景と、コーヒー豆を製造する人々の姿が交互に描かれる。供給する地域では、飢餓が深刻な状態で、誇りを持てないだけでなく、生活できない。

 この矛盾を、先進国は援助で憐れむことで解決しようとする。しかし、生産地域は、他国の援助ではなく、貿易で自立したいと訴える。公平な競争の下での貿易だ。
 国際商取引でアフリカの取り分があと1%増えれば、現在彼らが援助で得ている5倍もの金額が生み出せるという。

 純粋に、生産者と消費者が共存するシステムにならないのは、その間に介在する取引の関係で、価格はニューヨーク商品取引所が決定するコーヒーの先物相場で決まる。
 コーヒー農家が生活できるかどうかではなく、この価格を基準に、企業は利益を生むためシステムが機能する。エチオピアから欧米の焙煎業者の手にコーヒー豆が渡るまでに6種類の中間業者が介在するという。

 利益優先の仕組みは、コーヒー生産者に、生活が成り立つため、利益優先に麻薬を育てる実態に走るしかなくなる。
 私たちは、コーヒーを飲むとき、どこで誰がどのようにつくったかを知らずに至福の時を楽しんでいる。そして、知らないことで、どこかの国で人権を踏みにじっている。
 しかし、誰もそこに追い込んでいるという自覚はない。ただ、なんとなく、あちこちでこのような矛盾があるなとは感じてはいる。

「おいしいコーヒーの真実」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

作品解説内容
by shingen1948 | 2008-11-11 04:07 | ☆ 映画話題と視聴記録 | Comments(0)