中の茶屋から白石国見線をしばらく走ると、宮城県境の案内板が現れる。ここが主要地方道白石国見線の小坂峠で、ここからは、信達平野が広がり、阿武隈川や阿武隈山地も一望できる。
今は福島県と宮城県境である。ここにドライブインがあって「歴史の道」という案内板が建っている。羽州街道について説明しているのだが、この小坂峠が領地の境になっていることにかかわっては、次のようなことが説明されている。
昔は仙台藩と米沢藩との境界であり、寛文4年以降は、幕領との境界であった。それで、小坂峠を挟んで、小坂宿と上戸沢地区に、口留番所が置かれ、領内からの留物の流出と旅人の取締りに当たったということのようだ。
また、ここまでの古道の急な坂道は交通の妨げになっているのだが、それに関わるエピソードも紹介する。
文化3年(1806)庄内藩主の酒井忠器は、小坂宿で駕篭を降り急な街道を徒歩で越えたとあり、秋田藩歴代の藩主佐竹氏は参勤交代の折には、峠の不動堂に奉幣を捧げて道中の無事を祈願するのが恒例であったとのことだ。
江戸時代には、出羽の大名の参勤交代や出羽三山詣などの旅行者、一般の物資輸送で賑わったようだ。
福島県側から羽州街道を通れば古道の出口にあたり、出羽側からは羽州街道古道への入り口にあたる。そこへ導く案内の支柱がある。
宮城県側からみれば、日本の道100選に「歴史を語る道」として選ばれた「七ケ宿街道(主要地方道白石国見線)」の最終地点にあたるらしい。