地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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産婆さんを讃える碑

 十九夜講の石碑の隣に、産婆さんを讃える碑があった。大正時代に建てたようでる。a0087378_531256.jpg
 吾妻の里で、江戸時代の寺小屋の師匠の碑を見つけたことがある。その方は、学校というものができたときに、初代の学校の先生になった方のようであった。碑の内容は、初代の学校の先生という事で讃えている。しかし、この方の本当に尊敬されたものは、その栄誉ではなく、寺小屋の師匠として、教え子の生活、進路、生き方について、常に相談相手であったことであろうと推定している。その先生が、栄誉を受けたという意味だと思う。
 一斉に効率ある指導をしたというのは、明治以来の学校で、知的な部分では功績をあげたが、人間くささは失われてしまった。日本の本来の教育システム寺小屋では、一人一人が生きていくのに必要な知識やスキルを育てていた。だから、師匠は其の後の生き方まで付き合う責任があったのだと思っている。
 それに対して建てた教え子の石碑なのである。

 ここ山入に近い「安達太良の里」では、それが、産婆さんだったということであると思う。生命体としての自分たちに関わる存在としての尊敬だろう。産婆さんにしてみても、自分が関わった一人一人への思いがあるだろうから、其の後の付き合い方も厚かったのだろう。金銭と生命体の尊厳を保つといった対立の場には、惑うことなく生命体の尊厳を選んでいるのはごく自然だ。

 私には、昔の人々の考え方の豊かさは、類を大切にすることだと思える。その視点で、類を考えてみる。「寺小屋の師匠」と「産婆」とを仲間と考えれば、「尊敬の思想」になる。「月待講の石碑」と「産婆さんの功績を讃える石碑」とが仲間と考えれば、「人間関係」、「生命体」であろう。「月」と「如意輪観音」と「それらの石碑」の関係は、「神秘なるもの」である。

 つまり、ここは、「崇高なるもの」「生命の神秘」、「尊敬」と「仲間」という宗教観に満ちている空間だということだと思っている。
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# by shingen1948 | 2006-11-18 05:33 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)

十九夜講の石碑

 十九夜講の石碑があった。a0087378_1759188.jpg四号国道から、県民の森方面に行く道路脇で、最近コンビニができた付近だ。観音様の祠が2つあるが、19夜講だから如意輪観音だと思う。講のしきたりに従えば、以下の時間まで談笑し、月が出た所で、祈り解散としたはずだ。かなり夜遅くまで談笑したと思われる。19夜前後の月は以下のようになる。
 
 18夜の月は、「居待月(いまちづき)」で、日没後2時間半くらいで月が昇る。もう立って待っていられなくなって、座って待つようになるから『居待月』と呼ぶ。

 19夜の月は、「寝待月(ねまちづき)」あるいは「臥待月(ふしまちづき)」で、日没後3時間20分ほどで月が昇る。座っているのにも飽きて寝て待つ月である。

 20夜の月は、「亥の刻月(いのこくづき)」で、日没後4時間10分ほどで月が昇る。季節によって日没時刻は違うが、大体「亥の刻(今で言う22時ごろ)」あたりに月が昇ることになる。夜が更けてから出てくるので「更待月(ふけまちづき)」とも呼ぶ。

 19夜の月は、満月と下弦の中間で、趣のある月だ。春には夜半に南の空低く黄色みを帯びて見え、晩夏~秋には、夜明け前の空高くに輝いている。神酒の海、静かの海の美しい地形が見える。

 月に対する思いは、単に、美しいというだけでなく、月には満ち欠けする命のイメージを重ねている。だから、太陰暦の1月というイメージにも、生命の一生というイメージが重なっている。月の運行だけでは、季節がずれるので、太陽の運行に基づいた「二十四節気」との調整をする。  
約3年に1度(実際には33ヶ月に1度)同じ月を2回繰り返す年を設けて1年13ヶ月とする。この2回目の月を「閏月」と呼んでいる。多分、太陽暦のように、4年に1度、2月が29日ある年を設けるという数字合わせだけでなく、ひと月が一生命体との思いがあっての調整だったろうと思う。

 単なるカレンダーにまで、生命体を感じられる昔が、今の感性より豊かだと感じるのはおかしいだろうか。
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# by shingen1948 | 2006-11-17 18:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
a0087378_19324344.jpg 吾妻山の奥山は雪景色のままであるが、本日は手前に向かって、雪景色が下ってきているのが分かる。里山にもまもなく雪が降るのだろう。 
           






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安達太良山は、もっと雪景色が下ってきてた。







a0087378_19342013.jpg  土湯の道の駅のところの標識である。チェーンの装着を呼びかけ始まった。冬の準備は着々と進んでいる。
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# by shingen1948 | 2006-11-16 19:46 | ★ 季節便り | Comments(0)
「いじめの有無調べる」 中2男子自殺で校長 | エキサイトニュース

  2006.11.16の朝日新聞は、このことを「新潟の中2男子いじめ自殺か」という見出しで報じたが、大見出しを、「自殺誘発、報道手探り」しと、[いじめで「加熱」指摘、各社、予防に力点]」との特集報道の一貫として報道した。
 この報道のあり方は、明らかに事実を伝えながら、自殺の連鎖を防ごうとする工夫ある姿勢である。

 北海道滝川市の女児自殺の報じ方は、明らかに責任追及の姿勢であり、この報道姿勢は新たな誘発の可能性があった。自殺という方法が、責任追及の武器になるという報道の仕方であったと思うからだ。それで、これは危ないとの思いから、「叫びを直視したら」 「死を持って抗議 する子ども文化を拒否する大人でありたい」「死を自己主張の道具にしない[子どもの文化形成]を」というメッセージを送った。たくさんのご批判を頂いたが、ようやく適切な姿勢を保ちつつ、報道をしていこうとする姿勢が出てきていることを評価したい。

 責任追及の姿勢から、真実の追求の姿勢に変化する経緯を自分なりに観てきたものを整理する。
 私の目に入った最初の報道姿勢は、NHKの自殺報道の特集の組み方である。長らく個人の問題とされた「自殺」というテーマに、正面から向き合う特番を組む企画である。プロデューサーが、「実態すら分かっていないという現実が分かってきたとした。
次に、世界保健機構自殺予防の手引きの報道である。2006.11.3「毎日新聞」は、「自殺いじめ」で慎重報道を求めるという予防対策センターの主張を紹介した。適切なメディアの報道は自殺予防に役立つ点を認めつつ、一方で報道が自殺行動に影響する可能性にも言及しているとした。

  更に、毎日新聞の教え子に自殺をされた元校長の苦悩と一緒に伝えた自殺報道があった。このことについて、「真実を意識した報道姿勢を感じる」として提示してみた。
11月12日の毎日新聞は、自殺事件の報道と共に、「いじめ示唆、メモ残し自殺した教え子 元校長苦悩」との見出しで報道をしていた。
 生徒の死はいじめと関係があると遺族に説明し、教育委員会には自殺の理由をその他(不明)としたことについての取材である。丁寧な取材で、事件への対応、報告への対応、そして、教育者としての苦悩について纏め上げていた。
 
   そして、今回の報道である。

 著名人による自殺防止の呼びかけは、ストレートではあるが、報道姿勢の問題ではない。やらないよりはましかもしれないが、イベント的に解決しようとする薄いものと思っている。
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# by shingen1948 | 2006-11-16 19:19 | ☆ 教育話題 | Comments(0)