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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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 本日の主役は、発掘した土の表面であり、そこに沈黙のセリフを語らせるということであった。多分、散歩人には想像もつかない準備があったのであろうということは、テント脇の道具類を見ても分かる。
「桑折西山城現地説明会」にて⑦~説明会を終えて_a0087378_675681.jpg

 本日は、あいにく準備が終わった途端雨になり、雨の中の説明会になった。主役である表面が流れおちないかやきもきしていたのではないかと思われる。


「桑折西山城現地説明会」にて⑦~説明会を終えて_a0087378_693694.jpg
説明会が終了すると直ぐにビニールシートを掛けに作業員が走る。



説明会の整理で、使わなかった写真のいくつかを整理しておく。


「桑折西山城現地説明会」にて⑦~説明会を終えて_a0087378_6145876.jpg
西の縄張りを確認に行く人が多かったのは、二の丸と今回の説明のあった門と井戸との位置関係を確かめたかったのだろうか。
 自分はそちらの方向の林を記録におさめておくだけにした。


「桑折西山城現地説明会」にて⑦~説明会を終えて_a0087378_6172710.jpg

 説明を聞きながら、質問のあった剝した小石の山。土留めならこの石使いそうだねといった独り言が印象的だった。


「桑折西山城現地説明会」にて⑦~説明会を終えて_a0087378_6203945.jpg
本丸北側の西端にあった。土塁かな。


「桑折西山城現地説明会」にて⑦~説明会を終えて_a0087378_623131.jpg
 山は、寺への道を降りてみる。この延長線に化粧坂を想像しながら下る。
# by shingen1948 | 2008-09-06 06:26 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)
  調査のために土をはいだ面と空堀の現況を一緒におさめる。
 
「桑折西山城現地説明会」にて⑥~南側の調査区②(空堀跡) _a0087378_3482730.jpg

  ここに、空堀をつくる製作の過程をたどると、凝縮された長い時間が想像できる。

  まず、土をはいだ面が、土塁を築き空堀にする前の平らな面ということになる。
  次に、そこに、堀にすべき部分と土を積み上げて土塁にすべき点を確かめ印をする。
  そして、山の面を削り成形する。
  そので剥いだ土を、土塁にすべき位置に積み上げる。

  現況の土塁のシャープな形を想像すれば、その成型した当時の形状が想像できる。
 
  雨風にさらされ風化され、草が生える。
  そして、現況になる。
 

 「桑折西山城現地説明会」にて⑥~南側の調査区②(空堀跡) _a0087378_3523657.jpg
 この空堀は、本丸と二の丸の南面全体に施されている。
 

 この南面の空堀を含む本丸南側を中心とした想像図が、説明時に資料として配布されている。
 
「桑折西山城現地説明会」にて⑥~南側の調査区②(空堀跡) _a0087378_3532132.jpg

 改めて本丸の平場の西の現況を確かめる。この平場、先に訪ねた時に感じることができなかった広さがある。
 

 「桑折西山城現地説明会」にて⑥~南側の調査区②(空堀跡) _a0087378_3595920.jpg

 一段下がった平場の向こうに、更に一段下がった林のある平場が見える。二の丸だ。
 ここまでの南面全体に空堀が回されているということのようだ。
# by shingen1948 | 2008-09-05 04:26 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)
 本丸の裏門を中心とした東面の他に、大手門側の南面については、空堀を中心とした調査結果について説明があった。
 先にここを訪ねた時には、砲台跡から平場を東に進み、藪をこいで、本丸の南東の端にたどりついたように思う。そこから高台に上がるのに、南面のこの空堀が渡れるようになっているところを登ったと思うのだ。今にして思えばということで、その時にはこの空堀は見えていなかった。
「桑折西山城現地説明会」にて⑤~南側の調査区(空堀跡) _a0087378_3364744.jpg

 調査は、本丸の南面と空堀の堀底を探ったようだ。
 ビニール紐で示されているのは、土塁の底とのことだ。その脇のやや深くなっている所が、堀の底ということのようだ。特徴的に浅いことと細長いということのようだ。
 浅いということから掘り進んで空堀にしたのではないと考えられるようだ。
 土塁部分は、平らな面に土を積み上げたということで説明がつくようだ。南面を成型しながら、そこで出た土を土塁として積んでいってこの空堀を形成したということのようだ。

 細長いということと南面の傾斜等から、V字の型の空堀だったろうと想定できるらしい。
「桑折西山城現地説明会」にて⑤~南側の調査区(空堀跡) _a0087378_3392113.jpg
 これからの調査は、部分的に掘って、二の丸も含めて、南面に空堀はずっとめぐらされていただろうことを確認していくことになるようだ。
# by shingen1948 | 2008-09-04 05:10 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)
下から眺めてみる。
 ここの一番高い所に追手門があり、その門から、柵が伸びていることを想像する。
「桑折西山城現地説明会」にて④~東側の調査区(通用門として) _a0087378_5444032.jpg

 

 ここは、左側に向かう通路に見えるが、左の林の奥には井戸があるとのことだ。先に散策した時に見逃したと思ったが、今回話を聞いていると、素人には見つけにくいらしい。ただ、今回のように雨が降っていると、水たまりになっているかも知れないとのことだ。更に、二の丸の追手門から真っ直ぐの所でもあるらしい。
 降り切ったところを、反対方向に七曲と連絡するという説明もあった。
 
「桑折西山城現地説明会」にて④~東側の調査区(通用門として) _a0087378_5462240.jpg

 発掘で剥がされた小石について、ここに敷いてあった可能性について話が出て、この面とめり込む状態ではなく、もう一つ土の層を挟んでこの小石が混ざっている層があったとのことだった。この程度の小石は、土留めには使うよな、この下で右手に折れるのは不自然かもしれないなど、ポツリポツリ感想めいたつぶやきを成程そういう感じた方もあるのだと思いながら聞いていた。

 日常的には、井戸水を汲むのにここを通っていて、いざという時にはここから七曲へも抜けられる道として自分なりに頭の中を整理する。そう考えると、人がここに居住していた生活のにおいを感じてくる。
# by shingen1948 | 2008-09-03 05:49 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(4)