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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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散策地点確認散歩④ 飯坂古道玄関口確認(その2)_a0087378_16520009.jpg

ここが花水山孝徳寺と案内したのは、高館の公園南側の「ふくしまの散歩道50選」の案内板だ。

そのことについては、「花水山孝徳寺~高館周辺散歩(2011/9/16)」で整理している。

https://kazenoshin.exblog.jp/13600384/

ただ、この案内板は現在撤去されているので、今はここが花水山孝徳寺跡と案内する資料はない。

また、「地域の人々が伝える祈る心④~飯坂『塞耳庵』(2012/5/18)」で整理したように、

この地の雰囲気を醸し出す風景は飯坂「塞耳庵」は跡であったことによるものだ。

https://kazenoshin.exblog.jp/15335777/

勿論、ここが飯坂「塞耳庵」跡であって、花水山孝徳寺跡でもあるとも考えられる。しかし、しっくりこないのは、ここが花水山孝徳寺跡とする解説を他に見ないことだ。

ひょっとすると、ここが「ゴアン」と呼ばれていたことから花水山孝徳寺廃寺跡が推定されたとも考えられるとも思えるのだ。

それでも、今回の散策出発点をここにした。

それは西回りの飯坂古道とのかかわりだ。この飯坂古道が夜蚊坂を北に登攀する地点とつながるはずだからだ。

この辺りを散策すれば、古道を歩く古人の心情は想像できるかもしれないと思ったのだ。


# by shingen1948 | 2024-01-27 16:54 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)

元二階堂魚店へは、飯坂電車「花水坂駅」で下車し、そこから徒歩で向かった。

この「花水駅」は、飯坂電車が現在の飯坂駅まで延伸する昭和2年までは、飯坂駅であった。つまり、ここが飯坂の玄関口として機能していたということだ。

その頃の様子を確認するのに、明治41年の地図でこのあたりの様子を眺めてみた。

気になったのが、飯坂古道の道筋が現中野道まで続いていることだ。

その後の様子も確認するのに、昭和8年の地図も眺めてみた。現在の飯坂駅まで延伸された少し後の時期の様子だ。すると、この地図でも飯坂古道が現中野道まで続いていたように描かれているのだ。

更にその後の様子を確認するのに昭和47年頃の地図を眺めると、飯坂古道の道筋が現在のように改変されていることが分かる。

これは散策人にとっては重要な情報だ。

とりあえず、飯坂電車が現在の飯坂駅まで延伸する昭和2年以前の様子を描く資料として「飯坂湯野温泉史(大正8年)」に掲載された地図を張り付ける。

散策地点確認散歩④ 飯坂古道玄関口確認_a0087378_07125215.jpg

ここに「飯坂電車停車場」とあるのは現「花水坂駅」だと思う。

その東側の道筋が飯坂古道の福島道だと思う。「飯坂電車」沿いの西側を走る道筋が「飯坂街道」の道筋だろう。

そして、「白土製造場」が記される道筋が現「中野道」だと思う。それとクロスして夜蚊坂に続くように描かれる道筋が飯坂古道の西回り線だろうと思う。

ここまで確認したところで、先に整理したことのある花水坂にかかわる情報を重ねる。

「飯坂公民館だより(平成1610月号)」の花水坂にかかわる記述には「花水坂は飯坂電車『花水坂駅』の北側を東西に交差する坂の名前です。明治初年まで花水山孝徳寺へ登る参道であったことからその名がついたといわれています」とある。

つまり、現中野道筋の最終地点付近とみている道筋が花水山孝徳寺へ登る参道である花水坂の道筋だろうということだ。

ただ、そうだとすると現状は傾斜が逆なのだ。

この表現通りなら、この道筋は東側から西側にかけて登り坂になるはずだ。しかし、現況では、西側から東側にかけての登り坂になっている。

それで、何がこの傾斜逆転にかかわりそうなものを探すと、現花水坂駅西側を走る飯坂街道が気になる。飯坂街道はここから古舘に向かうのだが、そのためには傾斜改修工事が伴うはずだ。その過程で、花水坂の道筋の傾斜が改変されたのだろうと思うのだ。

傾斜は逆だが、現中野道沿いに古の人々が飯坂古道の最終地点として目指した花水山孝徳寺跡へ進んでみる。


# by shingen1948 | 2024-01-24 07:15 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)

散策地点確認散歩③ 飯坂町字横町元二階堂魚店奥座敷(その2)_a0087378_09495359.jpg

 元二階堂魚店の奥座敷の方から見ている。

 案内板には古関裕而氏家族が疎開していた時代の間取り図が掲げられる。

 現況と掲げられた間取り図を見比べると、多少改築されているように見える。

 現況と間取り図の違いの手掛かりになるのが、クーラー室外機の向こうに写る井戸だ。

間取り図では、この井戸と現況の玄関付近にあったと思われる竈あたりまで土間になっている。

炊事はこの土間でやっていたということだろうか。

現況はこの土間の部分も部屋として使うように改築されたのだろうことが想像できる。

また、現駐車場あたりは、間取り図では蔵が描かれている。

確認できる奥座敷が改築される以前の映像を見ると、南側は木製のガラス戸になっているようだ。また、縁側の庇は土間付近までのびていて雨風がしのげるようになっていたことが想像される。


この南側の道筋を西に進むと夜蚊坂を経由し大門に至る道筋になっているようだ。

その夜蚊坂付近の南側に飯坂古道の道しるべになっていたとされる花水山孝徳寺跡がある。  

この道筋はその孝徳寺の北側の道筋になっているということだ。孝徳寺跡からこの道筋に抜ける細道が何本かあるようだが、民地との兼ね合いで散策はしにくい。



# by shingen1948 | 2024-01-19 09:59 | 朝ドラ「エール」視聴記録 | Comments(0)

 


散策地点確認散歩③ 飯坂町字横町元二階堂魚店奥座敷_a0087378_16561856.jpg前回ふれた古関裕而氏家族の飯坂の疎開先がここに写る手前の建物のようだ。

 手前に写る店構えの建物が元二階堂魚店で、その後方が奥座敷のようだ。その奥座敷が古関裕而氏家族の疎開先ということらしい。

 その生活ぶりについては「戦後の疎開生活~『鐘よ鳴り響け』と見比べながら22(2021/4/15)」で整理している。

https://kazenoshin.exblog.jp/240929508/

その頃飯坂では「戦後の疎開生活~『鐘よ鳴り響け』と見比べながら21(2021/4/5)」で整理したように、ここ飯坂では集団疎開学童を受け入れていた。

https://kazenoshin.exblog.jp/240914076/


# by shingen1948 | 2024-01-15 16:57 | 朝ドラ「エール」視聴記録 | Comments(0)