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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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<   2019年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

 「神祇志料(栗田寛)」は、国立国会デジタルコレクションで確認することができる。その第6巻から第16巻に延喜式内社の鎮座地・由緒・沿革等が記される。
 信夫郡5座(大1座・小4座)が記されるのは、第13巻だ。
 鹿島神社については、その最初に以下のように記される。

 「鹿島神社、今鳥谷野村鹿島森にあり、(陸奥國式社考、福島縣神社調) 武御雷命を祀る、(日本書紀延喜式本社伝説)桓武天皇延暦元年五月壬寅、勅して勲五等を授け、封二戸を充奉る、是よりさき凶賊を撥時、鹿島神に祈るに神驗虚しからさりしを以て也、(続日本紀〇按新抄符に今年五月廿四日の符を以て二戸を授くとあるは、蓋し同時の事なり、姑附て考に備ふ、)凡其祭九月九日之を行ふ、(福島縣神社調)」

 「神祇志料(栗田寛)」は、「大日本史」の神祇志編纂準備のために記された研究書とのことだが、本書自体が貴重史料となっているとのことだ。
 なお、著者の栗田寛氏は、水戸藩に仕えた国・歴史学者で、後に帝国大学教授になったとのことだ。

 鹿島神社境内には、「延喜式内社正一位郷社鹿島神社由緒」との案内板が建つ。
a0087378_11575068.jpg
 その由緒については次のように記されている。

 「由緒
 鎮座は延暦元年(七八二)で、常陸の國 鹿島神宮より分祀された延喜式内社信夫五社の一社に列せらる。「続日本紀巻三十七」に「按(あん)ずるに桓武(かんむ)天皇延暦(えんれき)元年壬戌(みずのえいぬ)五日、常陸國言祈祷(ごきとう)鹿島神討(とう)はつ凶賊神験非虚望 (きょうぞくしんけんひきょぼう) 寛位封奉格(かんいふうほうかく)勳五等封戸(ふうこ)云々」とある。天明元年(一七八一)四月火災により、同二年鳥谷野羽田喜三郎氏が拝殿を建立し、同年七月光格天皇の御世、勅宣奉授し「正一位」を授けられ、郷民勅宣社として崇敬をあつめた。その後、建替えの棟札の中に福島城主板倉甲斐守重房の武運長久の為の祈願棟札も見つかっていることから古くから開運の神として崇敬が厚い。」
by shingen1948 | 2019-04-27 11:58 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 この写真は、2009年にこの辺りを散策した時のものだ。
a0087378_11164262.jpg  「福島県名勝旧蹟抄」では、次のように紹介されている。

 「【村社鹿島神社(福島驛の南凡一里)】
 信夫郡杉妻村大字鳥谷野に在り武甕槌命を祀る延喜神名帳に列す天明二年正一位を授けらる同郡平田村大字小田に村社鹿島神社あり同しく式内の社と称す孰(いず)れか是をるを知らす」

 ここで「同しく式内の社と称す」鹿島神社と紹介される小田村の鹿島神社については、山田村の散策とのかかわりで、以下のように整理している。

 〇 山田村の散策振り返り⑤~山王道筋沿いの鹿島神社
   https://kazenoshin.exblog.jp/21340837/
 〇 山田村の散策振り返り⑥~山王道筋沿いの鹿島神社②
   https://kazenoshin.exblog.jp/21346437/
 〇 山田村の散策振り返り⑦~山王道筋沿いの鹿島神社③
   https://kazenoshin.exblog.jp/21349929/
 〇 山田村の散策振り返り⑧~山王道筋沿いの鹿島神社④
   https://kazenoshin.exblog.jp/21355992/
 〇 山田村の散策振り返り⑨~山王道筋沿いの鹿島神社⑤
   https://kazenoshin.exblog.jp/21358813/
 〇 山田村の散策振り返り⑩~山王道筋沿いの鹿島神社⑥
   https://kazenoshin.exblog.jp/21361882/

 この中で、「延喜神名帳に列す」事とかかわって整理したのは、「山田村の散策振り返り⑨~山王道筋沿いの鹿島神社⑤」「山田村の散策振り返り⑩~山王道筋沿いの鹿島神社⑥」だ。
 「山田村の散策振り返り⑨~山王道筋沿いの鹿島神社⑤」では、案内板の由緒にその説明がある事についてふれただけで、見え方に係るのは「山田村の散策振り返り⑩~山王道筋沿いの鹿島神社⑥」で次のように整理した部分だろうか。

 「『ふくしまの歴史』では、その中の鹿島神社も、鳥谷野、岡本、小田、水原にあるが、どれがもともとの鹿島神社かは分からないとし、栗田寛の「神祇志料」では「鳥谷野村の鹿島森にあり」としていることが紹介される。
 それでも、それぞれの地域の神社の地区民は、それぞれに本家意識が強い。それで、神社の由緒では延喜式内社である主張と絡めた紹介になるようなのだ。」
by shingen1948 | 2019-04-26 11:21 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 黒岩村がまだ独立していた頃、黒岩村の道路元標はここ宮ノ下に建っていたという。
a0087378_18353085.jpg 黒岩村の主道は、ここを起点にして三本の道筋だったという。
 その一本が、宮ノ下から満願寺門前の上の町に登り、南の学檀の山から田沢・浅川・松川に向かう田沢道との事。
 次の一本が、ここ宮ノ下から西に進む道筋で、この道筋が関根を経て大森方面に向かったという。所謂大森道だ。
 そして、もう一本が、ここから北に向かう鳥谷野道だ。

 前回整理したように、今度の散策では、南福島ニュータウンの道筋から小原集落に向かう道筋を見つけたわけだが、この道筋が半沢氏の「歴史地図」で紹介される黒岩村から小原集落に向かう道筋と重なるのだろうと思う。
 帰りは、その道筋を道なりに北に進んできた。
 ちょっと不安になる頃、見覚えのある上の町に入り、右手に黒岩満願寺を見ながら坂を下り、ここに着いた。
 これが、田沢道に近いのではないのかなと思うのだ。
 この田沢道が気になる。

 「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑫~帰り道」でふれたように、この地区の西側には奥州街道が通るので、この地区の散策時には、主要な道筋としてそちらを意識して引きずられてしまう。
 しかし、こちらの整備は天正末から慶長時代以降の話だ。
 それ以前は、渡し場のある鳥谷野館のある仲之内集落が、この川俣―大森間の主要な道筋の要であったということのようなのだ。
 黒岩村の主道の一本が、ここに繋がっている。
 奥州街道が通る以前まで想像を広げれば、鳥谷野から黒岩村を経由して田沢に向かうという田沢道の重要性が増すように思えたのだ。

 今回の散策では、田沢村側の団地のバス通りから黒岩村側の南福島ニュータウンの道筋に入ったのだが、この道筋とその田沢道とは、結構近いのではないかなと思っている。

 実は、田沢村側の団地である桜台団地ができたての頃、その辺りを何度か散策した事があったのだ。
 その時に、団地の奥の南に向かう道筋について尋ねた記憶があるのだ。この先に田沢小学校があると聞いた記憶だ。当時の田沢小学校は、現清沢運動場のはずだ。
 また、この団地入口からゴルフ場に進む道筋の右手が発掘調査中だったという記憶もある。
 これらの道筋は、元々あった道筋のようなのだが、今回地図で確認すると、この道筋が団地のバス通りになっているようなのだ。

 今回の散策では、この道筋の先と半沢氏の「歴史地図」で黒岩村から小原集落への道筋として描いた道筋を目指して南福島ニュータウンの道筋を進んできている。
 南福島ニュータウンの道筋と田沢道との重なりは曖昧なのだが、それでも、それ程のずれてもいないのではないかとも思うのだ。
by shingen1948 | 2019-04-24 18:48 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 今回の散策は、団地のバス通りから北に向かってきたわけだが、その黒岩村側の新しい団地を中心に一部伏拝字沼ノ上を含む地域を南福島ニュータウンと称しているようだ。
 気になるのは、ここが「学檀遺跡群」と重なっているということのようだ。

 この「学檀遺跡群」では、後期旧石器時代後半期の石器製作跡が検出され、他に縄文時代の落とし穴や竪穴住居、弥生土器・古墳・平安時代の竪穴住居、江戸時代の掘立柱建物跡などが検出されているという。
 この中で古墳とあるのは、諏訪山神社の森の東側の宅地になっている沼ノ上北部古墳群を指しているように思う。

 その南福島ニュータウンの道筋のここから右に折れて坂道を下って小原集落に向かったということだ。
a0087378_123833.jpg 家に戻って確認すると、この写真にも遺跡が写り込んでいるようだ。右手前に少し写り込んでいる丘辺りが「学檀古墳群」らしい。
 なお、マホロンの「遺跡データベース」で確認すると、この丘の北側に弥生公園があり、その先の行き止まった右手の山が「岩山古墳群」という事になるようだ。
 この辺りは、豊富な遺跡群の風景ということになるようだ。

 もう一つ、気になっているのが、今回通って来た道筋と年不詳黒岩村絵図に描かれる田沢道との関係性だ。
by shingen1948 | 2019-04-22 12:39 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 前回、小原集落についての手持ち資料と見比べてみたところだが、抜けているところがあった。
 その一つが、「ふくしま市景観100選」に選定されているということ。
 その選定理由が、何百年もの間 乱開発を免れてきた場所ということと康善寺の前身とされる秀安寺の庭園が今も残っているということのようだ。
 確かに、そのうちの康善寺の前身とされる秀安寺跡の雰囲気は感じられたと思っている。
 ただ、もう一つの選定理由の何百年もの間乱開発を免れてきた場所という事についてはそれほどのインパクト感はなかったと思う。
 確かに豊かな自然は残っているようだが、半沢氏が散策する頃に出会ったと想像される失われていた風景が残っているということではなかった。

 ちょっと気になるのが「乱開発を免れてきた」という表現。
a0087378_1640598.jpg この九十九折れの道筋に沿った水路は、この集落の帰りに撮ったものだ。
 多分、この上部の貯水池は、宅地造成によって減少した保水力を調整するものなのだろうと思う。 この水路は、そこから流出される水の勢いを制御する為のものだろうと想像する。
 そういう意味なら開発の負の遺産かもしれないが、その水路に沿って道路も整備されている。
 自分がここに来てみようと思ったのは、この道路を車で下れば集落に行けるという目算があったからだ。これも乱開発と同意ということなら、自分はその開発の恩恵を受けてやってきたということになる。

 もう一つ抜けていたのが、この集落全体がマホロンの遺跡データベースでは、縄文時代、奈良平安時代の遺跡散布地「小原遺跡」として登録されているということ。
 奈良平安時代の遺跡散布地というとからは、黒岩村や鳥谷野村の集落が中世資料で確認でき、更に古墳、奈良平安時代の遺跡が確認できるということだったが、小原集落も同様な背景を背負っているということになるのかなと想像する。
 また、縄文時代の遺跡散布地ということからは、勝手にこの上部の学檀遺跡との関連性を想像してしまう。
by shingen1948 | 2019-04-18 16:41 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 小原集落についての手持ち資料と見比べてみる。
 その一つが、半沢氏の「歴史地図」てば「中門造り」のメモ。
 中門造りというのは、外見上は、主屋の棟方向に対して直角に中門の棟が取り付けられているという構造的な特徴があるようだ。
 恐らく、半沢氏が散策する頃までは、その時代に失われていた風景が残っていたという事なのだろうと思う。
 資料等で確認すると、その中門の棟の内部は、通常主屋への通路、馬屋、便所などを設けられているという。他に、駄屋として、干し草置き場や木小屋として利用される機能も持たせていたらしいことが想像できる。
 農耕馬との共生、冬の閉ざされた生活を維持するために必要な機能が備わった造りだったということなのだろう
 外からうかがうだけだが、現在の風景を見回してみた限りでは見当たらない。

 その二が、対岸の散策の中で小原集落だろうと推定するのに目印にしていた民家。
a0087378_106859.jpg それが、この川沿いに建つこのお宅だと思う。


 その三は、寺の伝説にかかわる「阿弥陀淵」。
a0087378_1075284.jpg 具体的に何処かは分からないが、とりあえず釣り人に聞いて先のお宅の南側から阿武隈川に出てみたのが、ここ。


 その四は、満願寺・虚空蔵尊の旧参道が小原集落に続くとあったこと。
a0087378_108414.jpg この道筋がそれだと思う。
by shingen1948 | 2019-04-17 10:09 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
a0087378_853843.jpg ここが阿弥陀の森の阿弥陀堂のようだ。右手の祠はそれそれの屋敷神だろうか。


a0087378_8534811.jpg 阿弥陀の森の阿弥陀堂から集落を望む。地元の方の視点での眺めが、この風景なのだろうと思う。
 阿武隈川をはさんだ向かいの山地に南向台団地の民家が見える。


a0087378_8542875.jpg 足元には、カタクリの花が咲いている。

 どの風景をとっても、手入れの行き届いた花木が写り込み、季節感を漂わせる。
 多分、この手入れの行き届いた自然環境は、自らの豊かな日常の為に施されたものであって、第三者を意識していないのだと思う。
 そこがいい。
by shingen1948 | 2019-04-14 08:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 元秀安寺の庭は手入れが行き届いているのだが、西側の山際にも季節感を漂わせる手入れの行き届いた花木が目を引く。
 そちらに向かってみると、石段の前に案内柱が建っていた。
a0087378_18185431.jpg
 「阿弥陀如来堂(阿弥陀森)」
 阿弥陀如来菩薩
 厨子入阿弥陀如来立像(木造)
 善光寺式阿弥陀如来三尊像 赤間家が守り、祭日陰暦3月4日

 石段の先に阿弥陀如来堂があるのだろうことが分かる。そして、()で阿弥陀森と紹介されるのはこの手入れの行き届いた花木が植えられた丘で、そこに阿弥陀如来堂が建っているという事なのだろうと思う。

 昨日この集落に着いた時に最初に目にした風景写真を掲げたが、実際に感じた事と微妙な違いがある。
 掲げた写真では分かりにくいが、実際の感覚ではこの写真のその右側の山際の丘に手入れの行き届いた花木が季節感を漂わせているのを感じている。
 その時に感じた感覚ではこの丘がはっきりと見えている。
 こんな感じだ。
a0087378_18205758.jpg 案内柱の説明と照らし合わせると、この丘が阿弥陀森という事になる。西の深山を背景にこの丘の頂に阿弥陀如来堂が建っているという事なのだろうことが分かる。
 仏教的な意味を含んだ風景としてのイメージが強化される。
by shingen1948 | 2019-04-11 18:24 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 黒岩虚空蔵堂・満願寺の散策を整理していて気になりだしたのが、実際に「小原集落」に行ったことがないということだ。
 それで、こちら方面に用事があったついでに、ここに立ち寄ってみることにした。

 この立ち寄りは、途中での思い付きだったので、集落に向かう道筋を確認していたわけではなかった。
 ただ、この辺りに関係して仕事をしていた頃、あさひ台団地としてイメージしていた辺りからこの集落に行けるらしいという記憶があったことが頼りだ。
a0087378_1001352.jpg 細く曲がりくねった道筋を不安な気持ちで進んできたので、この集落の風景が見えた時にはほっとした。

 この集落に入って出会ったのは、釣り人だ。
 その方に、手持ち情報の一つ、康善寺の前身である秀安寺の旧地について尋ねてみたが、知らないという。ただ、何となくあの辺りかなという見当はついている。
 半沢氏の「歴史地図」にある「中門造り」とのメモなどを頼りに周りを見渡しながら、そちらに向かって進んでみると、案内柱が建っていた。

a0087378_101949.jpg この手入れの行き届いた立派な庭が、元秀安寺の庭だったという事なのだろう。

 「秀安寺跡
 天正14年(1586)焼失貞永元年(1232)親鸞上人の高弟明教順智が開基元和6年(1620)郡代古河善兵衛によって、黒岩より福島に移し康善寺とした。」

 これで、「黒岩虚空蔵堂~満願寺③<「黒岩虚空蔵の算額」探索余談>」でふれた「信達一統志」で「昔福島の康善寺此地茂原と云所にあり」とあるその「茂原と云所」の寺跡の庭が確認できたということだ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/239105664/
by shingen1948 | 2019-04-10 10:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 信夫郡鳥屋ノ城として鳥屋野館を整理していて思い出したのが、鳥谷野の清水跡だ。2009年に散歩した時の写真が見つかった。
a0087378_1723545.jpg この清水は、昭和12年頃、黒岩道の新設拡張工事によって消滅したようだが、それまでは滾々と湧き出ていたとのことだ。
 次のような案内がある。

 「鳥谷野の清水跡(清水山永京寺山号)
 永京寺東南方向(舘7番地)の地に湧出しており、生活用水、旅人の憩の清水であったが、環境の変化により消滅し跡地の水神碑、祠と共に佐藤家が護っている。」

 「鳥谷野の清水(羽田稔)」によると、この鳥谷野の清水は、黒岩道の傍にコンコンと湧き出ていて、この辺りでは旅人が渇きをいやす場として有名な清水だったという。
 虚空蔵様の祭りなどでは、多くの川俣や渡方面から鳥谷野の渡しで来る人々や、福島方面から裏参道としてやってくる人々で賑わったということだ。

 案内にある清水山永京寺の山号は、別説では、寺の本本尊仏が京都清水寺の観音と同材同作であることから清水山としたという伝えもあるようだが、ここではこの「鳥谷野の清水」の名を冠したという説を採用している。
 その現清水山永京寺の地が、今回鳥谷野城として整理している鳥屋野館跡であることとのかかわりでの興味だ。

 「鳥谷野の清水(羽田稔)」では、この清水が有名であることを強調するのに他所の方々に知れわたっていることを示す例を引く。今回思い出して注目したのはそちらではない。日常の水場としての風景だ。
 この小文でも「近所の人は天秤で清水を汲みにきたという」と付け加えられている。
 ここでは日常的な村の水場として案内されるが、それだけでなく館にとっても重要な水場だったということではないのかなと想像したということだ。
by shingen1948 | 2019-04-09 17:27 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)