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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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<   2006年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧

雨水の利用

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 雨どいの途中から、桶に水を導いている。私は、雨どいを途中で切るという大胆さが無いので、12㍑のバケツを7個並べて、それをサイホンの原理でつないで水量を確保している。それでさえ、美観について近所への遠慮する気持ちがある。

 ドンとこのぐらいの大胆さを身につけたいと自分に言い聞かせて写真を撮らせて頂いた。
by shingen1948 | 2006-09-30 06:57 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)
 今年の8月末に初めて、有料の母成ラインを通った。そうしたら、9月1日から、母成ラインが無料になるというニュースが新聞に載っていた。
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 この墓は、村人が戦死した会津藩士をそっと葬った所である。戦いの後も新政府軍は会津軍の戦死者を葬ることに許可を出さなかったからた。100年以上経っても、会津に残る新政府軍に対する怨念は、こういった非情さによるものである。
 被害者には恨みが残るが、加害者は忘れる。萩藩は観光目当てに気軽に手を結ぼうと提案したが、会津ではふざけるなと怒ったという。そのもとになるできごとの象徴的なところともいえる。
 戊辰戦争は、1868(慶応四)年1月の鳥羽・伏見の戦いから1869(明治二)年5月の五稜郭の戦いまでの、新政府軍と旧幕府軍との戦いをいう。

 会津藩と新政府軍とは、1868年8月以降激戦を展開し、9月22日には若松城を開き降伏することになる。この会津攻撃の火蓋を切った場所が母成峠である。

 二本松を制覇した新政府軍は、慶応4年8月19日に、石筵口よりの会津攻めを決めた。
 8月20日には、全軍を率いて、朝八時二本松を出発して、玉ノ井村に到着する。部隊を三隊に分けて、一隊を本宮にとどまり、一隊を山入村へ進める。 ここで、二本松城を奪還しようとする隊と遭遇し交戦になるが、圧倒する。
 8月21日には、隊を四つにわけ、伊達路・中央の石筵口・西側の間道・中山口に進軍し、会津藩兵を圧倒する。これが、会津戦の悲劇の始まりである。

 。
by shingen1948 | 2006-09-27 20:34 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)
 例年、我が家では、夏になってもクーラーを使うことはほとんど無い。夏は暑いのに決まっているからとはいっても、ここは盆地。夜になってもフェーン現象で暑さが抜けきらないのだ。それでも、自然のままで夏を乗り切るのを家族みんながモットーにしている。

 そのために、なんとなくできた我が家の約束。
 
 ① 朝早く起きたものは、北と南を中心に戸を開けて、風を入れる。
 ② 南側の庭に植えた植物はぼさぼさでも、暑さがおさまるまで、剪定しない。
 ③ 打ち水で温度を下げる。(そのために、雨水を確保する)
 
 
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  そこに、今年は例年以上に、家の壁やベランダのコンクリートが暑くならないように、すだれを増やして、張り巡らした。そしたら、期待以上に暑くならなかった。こんなことならもっとはやくからやっていればよかったというのが、家族みんなの感想。

 打ち水にも工夫の仕方があって、上昇気流と下降気流の発生まで考えて、風を起こさせるまでの工夫があるという。 日本家屋にあった暑さしのぎの技は、奥が深い。
by shingen1948 | 2006-09-26 20:30 | ☆ 環境話題 | Comments(0)

現代風散歩

 街をぶらぶらするのに、おおよそ三つのタイプがあると思っている。

 健康を意識したウォーキング

 有酸素運動を意識した歩き方で、正しいフォームがあり、正しい服装があり、特に靴については気を使うことが大切である。

 ショッピング
 
 買い物という目的のために、街をぶらつく。目的の自由さにはいろいろあって、目的性が薄いと散歩との区別はつきにくくなる。服装は運動着ではなく、ややフォーマルになる。

 散歩

 目的がないことが正しいと思っている。その場その場で、興味のあることに出会えば、そこに目的が生まれる。いわば目的探しのぶらつきである。無意味度100なら完璧。そのぐらい奥が深い。昔は、帽子をかぶってステッキを持つことが正しいスタイルだったが、現代には合わない。ウォーキングに近い服装にならざるを得ない。ただし、履物は自由でありたい。目的がないのに、ふらふらしているので、現代では、不審者と同じしぐさになることで、これと間違われたときの対策が必要になる。名刺を持って、いざというとき自分を証明する手段を持つことが大切である。

 現代風の散歩はなかなか難しい。
 家人でさえなかなか理解してくれない。散歩に出ようとすると
 「どうせ行くなら、○○してきて」といわれることが多い。しかし、目的が作られれば、それは純粋な散歩ではなくなる。散歩は、純粋な無意味度の追求だからだ。そこに、目的の発見があるのだ。
 でも、説明してもわかりにくいので、引き受けて出かけることが大切である。続けることが大切なのだ。いつかは、きっとあきれててくれる。そうすれば、いつかは自由にしてくれるはずだ。その日を夢見ることが大切だと思っている。

 
by shingen1948 | 2006-09-26 04:55 | ☆ 環境話題 | Comments(0)

無用の用

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 水門の近くに、大きなくぼみがあり、空である。一見、無用の空間である。しかし、一旦洪水になり、水門を閉めざるを得ない状況になれば、あふれた水がここに入ってくる仕組みだと思う。

 こういった無駄な空間があって、地域が守られる。
  
by shingen1948 | 2006-09-25 19:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)

昔の道路標識と講のPR

「三十三夜講」の石碑に、「左いいざか」・「右せの上」の道案内。誰もこの道案内を頼りにしていないという点では、無用度100であるが、こういった案内をもとに、曲線の道路を探し、木の太さなどを頼りにしていくと、古い街道に迷い込むことができるという点では、無用物ではなくなってしまう。a0087378_20463398.jpg
 今日は、古い飯坂街道の徒歩道と馬道が松川を横切る地点までたどり着くことができた。
by shingen1948 | 2006-09-24 20:47 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)
 「シン」は、名前です。自分の立場を「風の人」としたのは、次のような理由です。

 「風の人」という言葉は、地域学でいう「地の人」「風の人」という概念を借りました。

 私「シン」は、幼いころに住んでいた「原風景のある故郷」を離れて生活しています。最近、原風景を時々思い出すようになりました。若いころは厳しい自然環境や人とのつながりの濃さがうっとうしいと感じていましたが、最近はそのことが懐かしく、また、できたらそういう生活に戻りたいと感じています。

 年のせいです。でも、ずっとこの「原風景のある故郷」に住んでいることができていたとしたら、こんなにも故郷のよさやいとおしさを感じていなかったかもしれないなと思うこともあります。 故郷を離れ、故郷を今住んでいるところから見つめ直したからこそ、手に入れられた視点なのではないでしょうか。

 今、住んでいる所は、故郷ではないといいながら、年数的には「原風景のある故郷」である生まれ故郷より長く住んでいます。したがって、私にとっては「地の人」として生活すべき空間なのかも知れません。足元をみつめ、この地のよさを生かして、しっかり生活すべきなのです。そのことを「大人の総合学習的な生活」としました。
 それは、地元学でいう「地の人」と同じ意味です。でも、私のよさは、「原風景のある故郷」とは離れていることです。「風の人」としての立場が私「シン」のよさです。 幸い、仕事場も「今住んでいる所から離れています。(仕事場が離れているということは、日常の生活の場の視点からは厳しく、かわいそうな自分の立場ですが)。ですから、私「シン」は、仕事場でも「風の人」です。それどころか、「原風景のある故郷」を見つめるときにも「風の人」になっているのです。

 「風の人」として、「地の人」の生活のよさをしっかり見つめることができる優位な立場を利用していきたいとの思いをこのタイトルに込めています。
by shingen1948 | 2006-09-24 05:02 | ブロクとわたし | Comments(0)
 「総合学習的生活」ということを、次のようにイメージしている。
 
 今までの生活活動で培った自分の力全体を使って、身の周りを観察しする。それを「総合学習的生活」と表現してみた。

 私たち大人という立場は、仕事の立場とか、みえとか外聞という「建前の世界」を中心に生活してきた。その建前的な生活の対極を「大人の総合学習的生活」とした。
 
 それは、自分の感性のみを信じて、真に感動することのみを求めて生活する行為である。また、関心の対象物も、自然であったり、道端にひっそりとたたずむ遺産であったり、まったく無意味な人為的なものであったり、環境問題だったり、人とのかかわりであったり等々、限定しない。まさに総合的なのだ。それを、本気で調べ、本気で考え、本気で表現する。その本気になれる自分を高めることを大きな目標とする。

 そういった生活をする結果として、仕事的にも、生き方についても、よく言えば完成したと勘違いしている自分や行き詰まっていると感じている自分から脱皮できるのではないかと思っている。実際の生活では、抵抗はしながらも、実質的には、競争・効率・マニュアルの社会に置いてきぼりにならないように気遣いながら、安定を求めて、現実の日常を歩いてきている。

 最近になって、この年になったのだから、誰にもまどわされないで、本当に大切と感じるものを探し出したいとの思いが強まってきているのだ。
by shingen1948 | 2006-09-23 19:19 | ブロクとわたし | Comments(0)

早寝・早起き・朝ごはん

 早寝早起き朝ごはん運動が、国のレベルで推進されようとしている。生活の習慣については、本来個人的な問題であったはずだが、公的なレベルの問題に格上げされている。しかも、そのことに関して異議を唱える動きは弱いように思う。
 直接的ではないが、このことに関連するような記事が、福島民報に載った。それは、朝なかなかおきられない症状として現れるという「起立性調節障害」のことである。概要を以下のように受け止めた。

 日本小児心身医学会が9月9日までにつくった起立性調節障害の初の診療指針を作ったという。それによると、怠け癖や夜更かし、学校嫌いと誤解されやすく、指針は【根性だけでは治らない】と適切な診療を求めているいう。

 診断基準を以下のようにしたとのこと。
  ① 学校を休むと症状が軽くなる。
  ② 身体症状が再発・再燃を繰り返す。
  ③ 気にかかっていることを言われると悪化する。
  ④ 1日のうちで身体症状の程度が変化する。
  ⑤ 身体的訴えが二つ以上にわたる。
  ⑥ 日によって身体症状が次から次へと変化する。
 このうち4項目が週1~2回以上みられる場合、起立性調節障害と診断するとしたという。

 原因は、
 自律神経の働きが悪くなる、立ったときに体や脳への血流が低下して起き、精神ストレスも関与するという。

 この記事を読んで、「早寝・早起き・朝ごはん運動」を実際に推進する立場で指導をする人は大変だろうと同情したくなった。
 
 公的機関を通して、「早寝早起き」を指導するように言われ、実際に指導してみると、朝起きられない、全身がだるいと言われたら、医療的に素人の指導者は、どう指導するのが正しいのだろうか。

 怠けぐせや夜更かしはいけないよと指導せねばならない者もいるし、そんなことを気にするなと指導せねばならない者もいる。そして、相手には、これが一貫性のある指導態度であることも示さなければならない。

 どちらにするかを一人一人判断して、ある子には「あなたは無理しないでね」と声を掛け、ある子には「あなたは努力しなさい」、またある子には、「あなたは‥‥‥。」と対応することが求められるのだ。その上に、どうして相手によって指導を変える理由を、全員にわかるように説明もしなければならないということになりそうだ。
by shingen1948 | 2006-09-23 04:45 | ☆ 教育話題 | Comments(0)
 橋げたが道路にかかっているのですが、川は流れていません。それどころか、向かえは、家の塀になっています。

 恐らく昔は川が流れていたのでしょう。川の道筋を変えて、川はなくなったのですが、橋げたを削り取る必要が無かったので、そのまま残っていたのでしょう。

 残念ながら、現在は拡張工事で道路が広くなり、それにともないこの景色は消えてしまいました。a0087378_4251237.jpg
by shingen1948 | 2006-09-22 04:25 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)