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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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カテゴリ:☆ 地域・自治話題( 157 )

 ワイドショーを見ていても、大阪を中心とした新型コロナウイルスについての騒動があることは分かるのだが、その状況が読み取れない。
 「時事ドットコム」の「大阪・兵庫『患者3300人に』厚労省試算、府が公開―新型コロナ」との報道で、その根拠としているのが厚生労働省の試算らしいことが分かる。

 取りあえず感染者数の多い方から順に13の都道府県別に3月のコロナ感染者数の推移を厚生労働省の報道発表資料をもとにグラフにしてみた。
新型コロナウイルスの報道について_a0087378_9364717.png
 これを素人目でみると、注目すべきはその数ではなくグラフの傾斜だろうと想像する。
 ただ、それだとすると大阪・兵庫と同じ傾斜のところがもう一か所ありそうで、更にその傾斜に近い所がもう一か所ありそうに思うが、よくは分からない。
 なお、このグラフの3月3日と6日の数値は、よく読み取れていないところがある。
by shingen1948 | 2020-03-22 09:38 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
 今回の豪雨まで、八反田川の氾濫を意識することはなかったが、改良前の八反田川はよく氾濫していたとのことだった。その旧八反田川の様子を確認しようと散策に出てきたところだった。
 天王寺下観音から「稗原―平野間の道筋」あたりまで、現八反田川とのかかわりも意識しながら歩いてみたところだが、現八反田川はその流域への氾濫をどうにか防げたものの、川岸は満身創痍、やっと耐えたといった感じだった。

 それに対し、旧八反田川の様子はといえば、何事もなかったかのように原風景の雰囲気を醸し出していた。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと28~再び八反田川⑨_a0087378_1033019.jpg
 これは「稗原―平野間の道筋」あたりの旧八反田川筋とかかわる風景だと思う。
 恐らく、水門から先が旧八反田川の川筋そのものに近く、現八反田川と右側の水門で繋がっているという感じなのだろうと思う。

 実は、この辺りでは何度かカワセミを見かけている。撮影を試みている時には、ここが旧八反田川の川筋との関りであることは意識していない。ただ、豊かな生態系が維持されている清流としてかみていなかった。
 「平野の伝承とくらし」では、水害がなくなったのは現八反田川の改修工事のおかげであるという文脈なので、旧八反田川はよく氾濫した川筋として紹介されている。しかし、他方で、豊かな恵みをもたらす河川でもあった筈なのだ。

 今回の散策を関連付けて眺めてみれば、改良された現八反田川は満身創痍、傷つきながらも旧八反田川の豊かな風景を守り通したという風にも見える。
by shingen1948 | 2020-01-21 10:04 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
 飯坂古道から「稗原―平野間の道筋」までは、現八反田川の右岸を進む。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと27~再び八反田川⑧_a0087378_9293575.jpg
 これは、その右岸に入って直ぐに見えてきた風景。

 手前の岸の様子は見えないが、柵が回されている事で多分崩れているのだろうことを想像する。左岸の様子から、この下も同じような崩壊なのだろうと思う。
 「稗原―平野間の道筋」までは、まだ岸を歩くことができるだけいいほうで、現細谷橋の西側の右岸は半分以上崩れていて、岸を歩くこと自体禁止されている状態だ。

 各報道を見る限り八反田川流域の豪雨被害はなかったとされるようだが、実際にはあちこちで川岸は決壊している。ただ、流域への氾濫は防げたというに過ぎない。それもぎりぎり抑えられたというだけで、余裕は全くなかったという状況だったように感じる。
by shingen1948 | 2020-01-20 09:39 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 観音堂から道筋に沿って飯坂古道に向かう。
 飯坂古道を横切る旧八反田川の川筋は、字天王下と字天車の字界線近くのはずということを頭において眺める。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと26~再び八反田川⑦_a0087378_8145685.jpg これが気になる水路筋だ。字界線と見比べると少しずれているようにも思うが、それは現八反田川に改修されたことに伴う宅地や土地利用の変化とのかかわりではないかと想像する。

 余談になるが、この辺り飯坂古道と旧道諸説とのかかわりで曖昧になったままになっていることがある。
 飯坂古道は、佐藤静雄氏の「飯坂道の今昔」を参考に歩いてみている。
 その馬道の森合一杯森付近からこの地点辺りまでが、江代正一氏「古代道」がいう東山道(後期駅路)と重なっているような気がするのだ。
 その江代正一氏「古代道」では、この辺りから飯坂古道と別れて北東に直進するように描かれている。
 この事については、先に「飯坂への道~旧道諸説」の散策の整理時にふれているところだ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/16394478/ 

 今回、旧八反田川の川筋とのかかわりでこの辺りの地形を眺めていると、旧八反田川の右岸が台地状の地形になっているように感じてきている。
 江代正一氏がいう飯坂古道から北東に直進する古代道を、この旧八反田川の右岸に沿って進むようにイメージしてもよさそうに思うが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2020-01-19 08:16 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 よく氾濫した頃の旧八反田川の川筋を頭に入れて、天王下観音堂から飯坂古道辺りに残る旧河川の痕跡を確認しに出かけた。
 飯坂古道から「稗原―平野間の道筋」までは、今回の豪雨で崩れた現八反田川岸も確認しながら進み、「稗原―平野間の道筋」付近でも旧河川の痕跡確認をした。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと25~再び八反田川⑥_a0087378_1110287.jpg 左手のお堂が天王下観音堂で、その左側の水路状の凹みが恐らく旧八反田川の川筋に近いのだろうと思われる。
 この先で、この水路状の凹みが天王下観音堂前の道路を横切って、民家前を走っているのが分かる。


今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと25~再び八反田川⑥_a0087378_11105762.jpg その水路がこの辺りで折り返して、再び民家の間を北に向かって進んでいく。
 天王下観音堂前の道路に戻って、その道筋を進むと折り返して戻って来た水路が、更に北側に進んでいくことの確認ができる。
 ただ、そこから先は私有地となり、道筋も無く確認することはできない。

 それで、天王下集会所の前の道筋を飯坂古道まで進み、旧川筋がこの古道を横切る辺りを確認することにする。
 なお、この確認の中で先の整理のいくつかの誤りが分かったので修正する。

 その一つは、前々回の「今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと23~再び八反田川④」の整理の中で、飯坂古道と「稗原―平野間の道筋」の混同がみられる。
 最後の行の農耕馬を洗う場所の細谷橋は「稗原―平野間の道筋」の風景なので、修正する。

 その二が、前回の「今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと24~再び八反田川⑤」の整理の中の沖中橋付近の旧川筋の流れだ。
 現川筋の北側としたが、これが逆だ。現川筋の南側を流れていたようなので、ここも修正する。
by shingen1948 | 2020-01-18 11:12 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 よく氾濫した頃の旧八反田川の川筋を確認している。
 前回は字天王下付近から西側を確認したところだが、今回は字天王下付近から東側を確認してみる。

 字天王下の旧八反田川筋は、観音堂の北側を通って現国道13号線を越える。
 そこに民家が1軒建っているのだが、旧川筋はその西側の国道との間を通って現八反田川に向かう。そして、現八反田川の北側に倉庫の立ち並ぶところがあるのだが、旧川筋はその付近で現八反田川筋と交わるようだ。
 旧川筋は、そこから折り返して、また天王下からの道筋に戻る。その道筋との交点付近では旧川筋に沿って南に湾曲した道筋になっている。そこからまた現八反田川筋に向かう。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと24~再び八反田川⑤_a0087378_9383182.jpg これは、「今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと⑥~八反田川」で「用水路の取水口が見える」とした風景写真の右手だが、その旧川筋はこの辺りで交わる。
 https://kazenoshin.exblog.jp/239764183/
 1908年と1931年の古い地図の情報も重ねると、用水路の取水口から北側の水路もまた旧八反田川の断片のようだ。その川筋は、先に見える橋の辺りから現八反田川に接した後、沖中橋付近まで現川筋の南側を流れていたようだ。(※2020/1/18修正)

 おおよその旧八反田川筋の蛇行がイメージできたところで、古い地図の土地利用や経年などを確かめてみている。
by shingen1948 | 2020-01-16 09:40 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 昔、八反田川はよく川が氾濫したことは「平野の伝承とくらし」で確認していたのだが実感が伴わない。というのは、実際にはこの地にかかわってから、今回の豪雨まではその心配をしたことはなかったのだ。それで、読み流していたところがある。
 それ程、この川の改良工事がうまくいっていたということでもあるのだろうと思う。

 今回、改めてその頃の八反田川の様子を「平野の伝承とくらし」で確認し直しているところだ。
 よく氾濫していた頃の八反田川の川幅は8mぐらいだったそうだ。ほとんどの処は堤防も無く、川の端に柳竹林が植えられているといった状態だったのだとか。しかも、天王寺下あたりの川筋は大きく蛇行を繰り返していたという。
 その昔の川筋が紹介されているのだが、現況の風景と重ねてのイメージはしにくい。

 いろいろ試してみたところ、現況の地図上に天王下と北天王下の地域の字界を表示させると、「平野の伝承とくらし」に描かれる旧八反田川の川筋に近づくように思う。
 ただ、微妙な違いはあるので、細かい修正は必要だ。

 まずは、天王下の集会所近辺だが、地図上では細い道筋に沿う字界を表示する。しかし、旧八反田川の川筋天王下集会所の方からこの道筋を越えて、観音堂の北側に回り込んで国道13号線に向かっているようだ。
 従って、旧八反田川の川筋は、地図で描かれるその北側の細い道筋を越える字界線よりもっと深く南に食い込んでいるということだ。
 次に、その西側の現八反田川に向かう旧八反田川の川筋だが、字界線よりももっと民家の東側すれずれの処を流れていたようだ。

 更にその西側は、字天車と字上細谷の字界線近くを流れているようだ。ここも字界線は道筋に拘るが、川筋はもっと自然に現八反田川を越えた道筋の西側が池状になっていたようだ。

 ここから西側は字界線が目印にならないが、旧八反田川の川筋は現八反田川の川筋近くを流れているようだ。
 その先の「稗原ー平野間の道筋」と接する辺りには、川筋に近い水路が今も流れているようだ。その川筋は、現東北自動車道の辺りまで北に回り込むようだ。
 その道筋と旧八反田川筋の交点には細谷橋が架かっていたそうだが、その付近が農耕馬を洗う場所になっていたとのことだ。(※2020/1/18修正)
by shingen1948 | 2020-01-14 11:25 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 昨日の整理の段階で、茶畑橋、桜畑橋、平地内橋に設置された水位計のデータが見つけられなかったので、公開していないかもしれないとした。
 しかし、その後「福島県河川整備課」のページで確認できることが分かったので、前回のページでもその事を付記した。
 川の水位情報(危険管理型水位計)のページを開き、その地点をクリックすると現時点での水位が確認できるようだ。

 この水位計の設置は、まるで今回の豪雨を予知して、それに間に合うように設置したようなタイミングだ。
 自分は今回の豪雨まで、八反田川の豪雨災害を意識することはなかったように思うのだ。それを平成29年7月の九州北部豪雨等の豪雨災害時に設置を決めたというのだ。さすが専門家だと思う。

 八反田川の水害について思い出したのが「平野の伝承とくらし」だ。ここに、ここ八反田川が昔は「あばれ八反田川」と言われるほどよく氾濫して田畑や人家に大きな被害が生じたものだとあった。
 その原因の一つに川の蛇行を挙げて、飯坂街道より下流の具体的な蛇行の様子が記されていた。

 ただ、飯坂街道より西側が描かれない。こちらは笹谷の集落関係だからなのだろうと思う。
それで、古い地図で万世大路の東側を確認してみる。

 現在は北八反田川と八反田川が小楢集落付近で合流するようだが、1908年と1931年の地図を見ると、それぞれの河川が独立して流れているようだ。
 その旧八反田川の川筋は、現在の合流地点から小楢集落と向原集落の境界の道筋近くまで南に大きく蛇行して、そこから南中屋敷付近の現在の川筋に近い川筋に戻ってくるように流れていたような感じだ。
 当時の北八反田川は、現在藤蔵古屋集落から水路が分岐したようになっている川筋に近いようだ。この水路筋は西の六角石が建つ水路と繫がっていて、茶畑橋の東側の現「はなひらの」の裏側で八反田川に繋がるようだが、これが元々の北八反田川の川筋に近いようだ。

 これが、北八反田川と八反田川が小楢集落付近で合流する流れに変わるのは1972年頃の地図からだ。それでも、この地図の頃には南中屋敷付近から飯坂街道までは蛇行したままだ。
 もう一本の川筋がある。
 松川から取水されて飯坂古道沿いに流れてきた堰の水が現飯坂街道の赤間商店の北側を通る。この水路はその先で八反田川に流れ込んでいるようだ。どの地図でも、こちらは現況に近い流れの感じだ。

 飯坂街道より東側の平野集落がかかわる川筋は、1972年頃の地図以降既に改良された川筋になっているようだ。
by shingen1948 | 2020-01-10 10:15 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 今年も、1月1日に飯坂電車平野駅の東側に鎮座する東屋沼神社にお参りし、その帰り道に茶畑橋を通った。
 その橋に、新たに水位計と思われる装置が設置されていた。
 昨年まではなかったはずなので、今回の豪雨にかかわって設置されたものだろうと想像した。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと21~再び八反田川②_a0087378_103748.jpg 家に戻って確認すると、今回の豪雨の結果設置されたのではなさそうだった。
 その前の平成29年7月九州北部豪雨等の豪雨災害を踏まえて緊急点検し、その結果抽出されたらしい。
 令和2年度を目安に整備が進められているが、ここでは平成31年の出水期以前に設置予定されたという事のようだ。
 したがって、今回の豪雨時にはこの装置が運用されていたという事なのだろうと思われる。
 実地での確認はしていないが、八反田川ではここの他に大笹生川南地内の桜畑橋にも同時期に設置されたらしい。また、ここに流れ込む北八反田川でも、管理者は県のようだが大笹生台田地内の平地内橋にも同様な装置が設置されているようだ。

 この風景は、今回の豪雨がもたらしたことというよりは、今回の豪雨で新たに活用されたという事になるようだ。
 ただ、この装置による水位のデータを見つけることはできなかった。恐らく公開していないのではないかと思われる。

※  この記事の整理の段階ではデータ確認ができなかったのだが、「福島県河川整備課」のページで確認できることが分かった。

川の水位情報(危険管理型水位計)のページを開き、その地点をクリックすると現時点での水位が確認できる。


by shingen1948 | 2020-01-09 10:10 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)
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 信陵公民館に「大笹生ダムハザードマップ」が貼ってあった。
今回の豪雨が身近なところにもたらしたこと⑳~再び八反田川_a0087378_94846.jpg 確認していくと、これは豪雨によるハザードマップではなさそうだ。
 農業用ダムである大笹生ダムが決壊した場合の浸水想定区域図のようだ。日本大震災で須賀川市の農業用ダムである藤沼湖が決壊して甚大な被害が出た事を受けて、平成24年度に福島県が作成したもののようだ。

 ただ、散策人のような素人の目には、これが実際に役立つものなのかどうかが分からない。
 というのは、土砂は決壊して10分後には白和瀬神社周辺にまで到達し、20分後には中央自動車道周辺まで到達し、30分後には飯坂街道まで到達してしまう。ところが、大笹生ダム決壊の情報がどう伝達されるのかという事については一向に見えない。
 実際に起きてしまった場合、このハザードマップで災害が防げるという事ではなさそうに思う。結果として何が起きたのかが想像できるという役割でしかないように思うのだ。
 だからなのだろうか、このマップを福島市のハザードマップとしては確認できない。

 それだけでなく、福島市の洪水ハザードマップでは、この大笹生ダムから北八反田川と合流する笹谷の小楢の地点まで浸水の心配がなさそうに描かれている。多分、この大笹生ダムの調整によって洪水は防げると考えているのだろうと思う。

 大笹生ダムについて、今回の豪雨で心配になるのは、緊急放流ということが起こり得るのかどうかということではないのかなと思うのだが、どうなのだろうか。
by shingen1948 | 2020-01-07 09:07 | ☆ 地域・自治話題 | Comments(0)