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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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清水村道路元標④

 前回は大正9年福島県告示で示される道路元標の建つ位置を万世大路と飯坂街道の分岐点と想像してみた。
 「福島県史料情報第20号(平成20/3/25)」の「道路元標を歩く」で示される設置場所は、その大半は市町村役場の前か市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていたとするわけだが、その後半にあたるとみたということだ。
 ところが、「郷土史物語」では清水村道路元標は旧役場玄関前の万世大路近くに設置された公示板の傍らに建っていたという。つまりは、「道路元標を歩く」で示される設置場所の前半にあたるとしているということだ。
 今回は、これをどう読み解けばいいのかという事を確認していく。

 「郷土史物語」が示す以下の役場移転の経緯が、今回の読み解きのヒントになる。
 「昭和26年(1951)に完成した刑務所通り開通で、刑務所通りと農協に挟まれて自転車置き場も無くなったことで、昭和51年(1976)に現在地に移転した」

 信夫郡清水村は、この出来事以前の昭和22年3月10日に福島市と合併しているのだ。
 この旧役場の名称は似かよってはいるが、明治22年から昭和22年までは信夫郡清水村役場だが、昭和22年からは福島市の清水役場になっていたということだ。

 道路元標の方だが、施行令によるその設置基準がなくなるのは戦後の改正道路法とのこと。
 この法律が制定されるのは明治27年(1952)のようなので、この時点では施行令による設置基準は生きているということだ。
 それで、福島市と合併する機会に、基準に基づいて設置された信夫郡清水村の道路元標を、役場前に設置し直したのではないのだろうか。
 役場としては福島市の一支所になった清水役場だが、そこに向けての準備段階ではまだ信夫郡清水村役場の精神は引き継がれていたのだと思う。

 ここから以降に、「郷土史物語」が示す役場移転経緯と清水村道路元標が現況位置に移動した経緯が続くと見ればつじつまが合うと思うのだが、どうだろうか。
# by shingen1948 | 2019-09-13 10:31 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)

清水村道路元標③

 ようやく旧清水村役場の位置をイメージできるようになったところだが、実は、清水村道路元標の位置情報も、まだしっくりと受け取れていない。
 「郷土史物語」では、清水村道路元標は、旧役場玄関前の万世大路近くに設置された公示板の傍らに建っていたとある。
 しかし、大正9年福島県告示では「信夫郡大字南澤又字中富匠田及成出46,47」に建っていたとされる。
 しっくりと受け取れない事の一つは、この「郷土史物語」が示す道路元標の位置と福島県告示の示す位置が違うという事だ。
 もう一つしっくりこないのが、福島県告示が示す位置情報だ。

 まずは、この福島県告示が示す位置情報をを先に確認する。
 ここでいう「南澤又字中富匠田」は「南澤又字中番匠田」だと思う。また、「及び成出46,47」だが、この「成出」は南沢又の小字にはないので北沢又だと思う。
 しっくりいかないのはこの事ではなく、この情報では清水村道路元標は複数本あるように読み取れるという事だ。というのは、旧道路法では各市町村に一個ずつ設置することとされていたはずなのだ。
 
 これを読み解くヒントになったのが、「福島県史料情報第20号(平成20/3/25)」の「道路元標を歩く」の設置場所に係る次の記述だ。

 「設置場所は府県知事が指定することとされており、大半は市町村役場の前か、市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた」

 この後半の「市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた」ということなら、位置情報として複数個あるように見えて、実は1個であるということが起こり得ると思ったのだ。

 南沢又字中番匠田と北沢又字成出近くには、万世大路と飯坂街道の分岐点がある。
 この道筋と設置情報地番とを見比べてみると、成出の地番46・47は確認できないが、万世大路の北側が北沢又字成出は確認でき、南沢又字中番匠田が万世大路の南側の地名であることが確認できるのだ。
 つまり、万世大路と飯坂街道の分岐点を北沢又字成出とみても、南沢又字中番匠田とみてもよさそうだということだ。
 ここに、清水村道路元標は建っていたと読み取ってみたいが、どうだろうか。

 次にしっくりこないのが、「郷土史物語」の清水村道路元標設置位置だが、これをどう読み取るかということだ。
# by shingen1948 | 2019-09-12 10:31 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)

清水村道路元標②

 先の「清水村道路元標」の整理で、「郷土史物語」がいう旧清水村役場の位置と、古い地図から読み取る役場の位置のイメージがうまく重ならないように感じていることについて記した。

 その原因の一つが、古い地図の役場北側の道筋と刑務所通りの関係がよく把握されていないということにあるように思う。
 それで、その古い地図で旧役場北側の道筋を西側に辿ってみると乙天堂の南側を中條に向かう道筋と繋がっているように見える。現西環状線より西側でこの道筋の痕跡らしき道筋が確認できるが、東側では消滅している。
 飯坂街道に交わる付近のこの道筋をJA給油所と旧JAマーケットの間辺りとみると、説明される事と古い地図から読み取る役場の位置のイメージがうまく重なるような気がした。

 この時代の旧清水村役場の地番は泉字大仏25だ。旧清水村役場の泉字大仏25という地番は、この古い道筋から南側に付されたものと想像する。
 この「泉字大仏25」の地の間に刑務所通りが開通したとみるのだ。現況ではこの地番は刑務所通りの南側の洗濯店あたりのみにふられている。そして、元泉字大仏25だったJA給油所は、旧JAマーケットと同じ堀の内6の2の地番がふられているということだ。
 現況と古い地図から読み取る役場の位置関係を上記のようにとらえ直して、「郷土史物語」がいう旧清水村役場の位置情報を確認するとすっきりした。
 再掲する。

 明治22年(1889)に市町村制実施に伴い、南沢又・北沢又・泉・森合・御山の5町村が合併して発足する清水村役場が、現農協給油所のところにあったという。それが、昭和26年(1951)に完成した刑務所通り開通で、刑務所通りと農協に挟まれて自転車置き場も無くなったことで、昭和51年(1976)に現在地に移転した。

 なお、同誌の郵便局情報では、岩代清水郵便局は田中善右衛門氏局長として昭和16年(1941)4月16日に字大仏23番地に開局され、昭和34年10月1日に泉郵便局と改名したとある。
 地図を確認すると、確かに昭和58年の地図では郵便局は現在地である字大仏23番地にプロットされる。しかし、昭和48年の地図では現字大仏25番地である洗濯店付近にプロットされているように思う。
# by shingen1948 | 2019-09-10 10:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)

泉澤山久盛院③

 「郷土史物語」で「香蓮庵」について語られる辺りの風景だ。
a0087378_10572726.jpg
 左手の建物を同誌が言う「熊阪医院」とみている。
 その奥にもう一軒民家があって、その奥に路地が走る。その道の奥が乙天堂地域だ。
 その路地の突き当る丁字路の辺りに、墓地への入り口がある。

 「香蓮庵」が沢又桜内地内に再建されて泉澤山久盛院となる辺りを整理する。
 先に「松飾りを納めた泉八幡神社」で、泉澤山久盛院の由緒沿革を確認している。その中心とした資料は「寺院名鑑」だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/11993723/

 その由緒沿革の部分を再掲する。
 元和(1615)以前、宥仙和尚によって創立、寛永(1624~)年中播磨壱岐刑部久盛開基、宥全和尚開山。

 この中興開基者の壱岐家は、この時の整理では南沢又字中条の人としていた。
 「郷土史物語」では壱岐家について詳細に解説する。その中から開基者としてのかかわり部分のみを拾う。

 先の整理で久盛氏とした方は、泉に住した壱岐家先祖の盛永氏だろうとしている。そして、この方が「香蓮庵」を中興開基された方なのだろうと推測している。
 この寺は沢又桜内地内に再建されることになるのだが、これが「信達一統志」に記載される宝永4年(1707)宥全和尚の時代ということだ。
 この時に寺院名が泉澤山久盛院となる。
 この山号泉澤山については推測しやすい。前身地泉と沢又の沢からとっているのだと思われる。
 簡単には推測できないのが寺院名である久盛院の方だ。同誌でも、開基者である壱岐家先祖の盛永氏の名が何らかの形でかかわっているということまでは想像しているのだが、確かな事は分からないようだ。
 なお、泉澤山久盛院が沢又桜内地内に再建されて直ぐに焼失し、正徳年間に壱岐甚右衛門氏によって再建されたのだとか。

 先の整理では、この開基者が泉・沢又の二村を領する地頭のように記したが、同誌はその部分には疑念を持っているようだ。

 「郷土史物語」では、この地域の他の有力者の移転状況も記されるので、地域内の人の流れが見えてくる部分のみメモしておくことにする。

 T家出地が上名倉在家としたことについては先にふれた。他に八宝屋S家出地は八木田在家とか。また、清水内S家の出地は八木田白家とか。
# by shingen1948 | 2019-09-08 11:00 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)