地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
 「更にもう一つの奥の細道⑦」で、「子規手製俳句カルタ」に乙二氏の句も「乙二 凍るぞといふ声わびし草履の緒」として紹介されていることについてふれた。
a0087378_1145147.jpg これは、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められる「子規手製俳句カルタ」の乙二氏のその句の札だ。

 一具氏は松窓乙二氏の門人という関係性がある。それで、今回は、その松窓乙二氏について少し確認しておこうかなと思う。

 松窓乙二氏は、蕉風俳句を受け継ぐ「奥州四雄」 のひとりということで、その関係性は語られる。しかし、氏には別の顔もあるようだ。
 その一つが、氏は白石の亘理町にあったという「千手院」という修験の住職だったということだ。
 修験の家については何度か整理しているが、自宅に祈祷所をつくり、戦勝や防災・家内安全など様々な祈祷を仕事としていたということだ。
 修験は、修業のために他の地域に移動する事も多いので、城主からスパイのような情報収集を命じられることも多かったともいう。

 この「千手院」だが、元々は亘理郡にあって、四十余りの修験場の頭としてはぶりを聞かせていたということだ。
 その「千手院」が白石に移るのは、亘理郡の城主片倉小十郎景綱が慶長7年に白石城に移った事とかかわるとのことだ。
 この時に、「千手院」初代清昭氏が乞われて白石城下の鬼門の方角に千手院を移したとのことだ。

 乙二氏は、宝暦5年(1755年)に、その「千手院」六代清聲氏の長男として誕生する。(情報によっては、清聲氏は千手院第九代とするものもある)。その父清馨(隣々舎麦蘿)氏に俳諧を学んだという事だ。
 整理すると、松窓乙二氏は、俳諧師の顔の他に、千手院第七代?あるいは十代?の修験で、権大僧都岩間清雄法印という顔があるということだ。
 これとかかわって、更にもう一つの顔が、白石城主第10代 片倉小十郎景貞(俳号 鬼孫)の俳句の師匠であり、よき知恵袋だったということだ。
[PR]
# by shingen1948 | 2018-12-16 11:48 | Comments(0)
 後に正岡子規氏は、蕉風俳諧を月並み俳諧文学的と攻撃されることになる。
 「はて知らずの記」の子規氏が郡山あたりで、その前兆的な兆しをみせている。正岡子規氏が瑞巌寺を訪れるのは、その後の流れだ。
 それで、正岡子規氏の一具氏評を確認しているところだ。

 前回は、「子規手製俳句カルタ」で正岡子規氏の一具氏評価を推定した。
 他に正岡子規氏の一具氏評価の推定ができそうなのが、「獺祭書屋俳話」かかわりだ。
 獺祭書屋主人こと正岡子規氏が、新聞「日本」に掲載された俳話のようだ。その「鉢叩(はちたたき)」の項で、一具氏の「はちたたき雪はしまくに西へゆく」が取り上げられていることだ。
 
 他の方の一具氏評価に然程興味はないのだが、俳句についての素養を持ち合わせていないので、一具氏像を描くのにそれらの評価に頼らざるを得ないところがある。

 嘉永期に板行された「正風俳人鑑」で最高位の大関に番付されているとの情報がある。
 江戸時代には、さまざまなものにランク付けが行われ、その番付として公表されたという。
 俳人の番付も、文化文政期頃から各種出されて、幅広い交流をもとうとする俳人たちの情報源になっていたとのことだ。この「正風俳人鑑」もその中の一つのようだ。

 正風というのは本来的には必ずしも蕉風の独占的用語ではないそうだが、芭蕉ゆかりの俳人は、自分たちの俳風を正風と称したのだそうだ。これは自己の風を天下の正風と誇示しているということのようだ。

 「早稲田大学図書館」ホームページ「古典籍データベース」で、今まで確認した方々を視点に、その番付を見てみる。ここでは、いろいろな俳人の番付表が確認できる。

 「大日本誹諧高名竸 (嘉永3年<1850>)」で一具氏が最高位の西大関に番付されていることが確認できる。
 「正風俳人高名鏡」では、「大阪鼎左」が三番目にランク、「陸奥多代女」が十八番目にランクされるのが確認できる。
 「俳諧正風競」では、勧進元に一具氏の名があり、西の大関に多代女氏がランクされている。
 年代不明の「正風俳人鑑」で、八番目に大阪鼎左氏が、十六番目に江戸一具氏が確認できる。
 慶応2年「俳諧名家鑑」最上段十八番目に、江戸一具庵愚春が確認できる。
 「現今東京俳家有名一覧(明治20年)」に、本郷区駒込西斤町十番地小川一具庵尋香が見えるが、この方は一具氏の門弟の方のようだ。

 「俳諧諸大家短冊現今価格表(明治40年8月改正)」なるものもある。
 その上位に河合曽良4円・謝蕪村3円・正岡子規2円・俳諧寺一茶2円等がみえるのだが、ここに松窓乙二氏が貳拾銭、鼎左氏が拾五銭、一具庵一具氏が八銭と値踏みされている。
[PR]
# by shingen1948 | 2018-12-14 10:47 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)
 正岡子規氏が瑞巌寺を詣でた際には、乙二氏の句を「独り卓然たるを覚ゆ」として、一具氏についてはふれていない。しかし、「俳句歌留多」などの情報と照らし合わせると、乙二氏同様俳人として高く評価しているらしいことが分かる。

 「『子規居士真筆俳句歌留多帖』考(復本一郎)」をガイダンスにして、を確認する。
a0087378_11132054.jpg 「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められる「子規手製俳句カルタ」の原本は10月18日~12月22日に、開館70周年記念展示として公開されているという。
 これは、その90番目に紹介される札だが、これが一具氏の句のようだ。
 その制作年代は、「国立国会図書館デジタルコレクション」では明治年間とするが、「『子規居士真筆俳句歌留多帖』考」では、明治27年(1894)ないし明治28年(1895)に成立しているとみているという。
 ここでは、55番目に「一具 町うらに夕日のこりてしぐれけり」として紹介されている。
 なお、乙二氏の句は39番目に「乙二 凍るぞといふ声わびし草履の緒」として紹介されている。

 また、ここでは、明治31年(1898)12月10日「ホトトギス」掲載の「俳諧かるた」も紹介されている。
 一具氏の句は、その95番目に「一具 町裏に夕日残りてしぐれけり」として紹介されている。子規手製俳句カルタと同一句だが、漢字かな表記が違っている。
 乙二氏の句は47番目に「乙二 凍るぞといふ声わびし草履の緒」として紹介されている。こちらは子規手製俳句カルタと同一句で表記法も変わらない。

 「子規手製俳句カルタ」と「ホトトギス」掲載の「俳諧かるた」の大部分は重なっていることだが、5人の作者の作品に異同がみられる事の確認ができるとのことだ。「ホトトギス」掲載の「俳諧かるた」の時期、子規氏は無村への傾倒が著しい時点とのことだ。
 復本一郎氏は、結果的には、「子規手製俳句カルタ」と「ホトトギス」掲載の「俳諧かるた」の大部分は重なっているのだが、俳句観の変化に伴って選び直しが行われたとみているようだ。

 散策人としては、「俳諧かるた」を見る限りでは、一具氏は子規氏に評価されているとみる。

 
[PR]
# by shingen1948 | 2018-12-12 11:17 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)
 「奥の細道」の芭蕉を追う「はて知らずの記」の正岡子規も仙台にやってきた事については先の「仙台散歩」でふれている。

 「仙台散歩⑭~「芭蕉の辻」⑤~「もう一つの奥の細道」とかかわって」と「仙台散歩⑯~「芭蕉の辻」⑦~「もう一つの奥の細道」とかかわって③」では、「奥の細道」の芭蕉を追う正岡子規について確認した。
 〇 「仙台散歩⑭~『芭蕉の辻』⑤~『もう一つの奥の細道』とかかわって」
 http://kazenoshin.exblog.jp/20986339/
 〇 「仙台散歩⑯~『芭蕉の辻』⑦~『もう一つの奥の細道』とかかわって③」
 http://kazenoshin.exblog.jp/20998316/
 そして、「仙台散歩⑰~『芭蕉の辻』⑧~『もう一つの奥の細道』とかかわって④」では、その子規が追う松尾芭蕉が元禄2年(1689)5月(新暦6月)に仙台にやってきたことについて整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/21001866/

 その後、榴ヶ岡周辺を散策した事については「再び仙台散歩」として整理しているが、ここでも子規の足取りと重ねて「『もう一つの奥の細道』とかかわって」として次のように整理している。
 〇「再び仙台散歩32~『もう一つの奥の細道』とかかわって」
 https://kazenoshin.exblog.jp/21169340/
 〇 「再び仙台散歩33~『もう一つの奥の細道』とかかわって②」
 https://kazenoshin.exblog.jp/21173959/
 〇 「再び仙台散歩34~『もう一つの奥の細道』とかかわって③」
 https://kazenoshin.exblog.jp/21176286/

 その正岡子規氏が、明治26年(1893年)7月29日、瑞巌寺を訪れている。
 「はてしらずの記」に次のように記しているという。

 「瑞巌寺に詣づ。兩側の杉林一町許り奥まりて山門あり。苔蒸し蟲蝕して猶舊觀を存す。古雅幽靜太(はなは)だ愛すべき招堤なり。門側俳句の碑林立すれども殆んど見るべきなし。唯
      春の夜の爪あがりなり瑞岩寺    乙二
の一句は古今を圧して独り卓然たるを覚ゆ」

 瑞巌寺の案内板に記された「(松島の文)碑の側面の句中、乙二の句には「古今を壓(あっ)して独り卓然」の子規評がある」というのは、この事を指していることが分かる。
 この時点では、子規氏は一具氏についてはふれていないが、「俳句歌留多」などの情報と照らし合わせると、乙二氏同様高い評価をしていることが分かる。
[PR]
# by shingen1948 | 2018-12-10 09:49 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)