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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2019年 09月 02日 ( 1 )

 阿保原地蔵尊については、沢又村を中心に以下のようなところで整理している。
 〇 阿保原地蔵尊
 https://kazenoshin.exblog.jp/20207671/
 〇 阿保原地蔵尊②
 https://kazenoshin.exblog.jp/20209649/
 〇 阿保原地蔵尊③
 https://kazenoshin.exblog.jp/20213419/
 〇 阿保原地蔵尊④
 https://kazenoshin.exblog.jp/20215272/
 〇 阿保原地蔵尊⑤
 https://kazenoshin.exblog.jp/20218688/
 〇 阿保原地蔵尊⑥
 https://kazenoshin.exblog.jp/20222922/
 〇 阿保原地蔵尊 ⑥
 https://kazenoshin.exblog.jp/20224695/
 〇 阿保原地蔵尊 ⑦
 https://kazenoshin.exblog.jp/20229362/
 〇 阿保原地蔵尊⑧―明神神社の阿保原地蔵尊
 https://kazenoshin.exblog.jp/20369963/

 直接的に沢又村の地蔵尊とかかわるのが「阿保原地蔵尊①~⑤」で、阿保原地蔵尊⑥からは、その原点である白石市三沢の阿保原地蔵菩薩像にかかわる整理だ。
 「阿保原地蔵尊⑧―明神神社の阿保原地蔵尊」は、台山にかかわる散策で、明神神社の石塔群の中にこの地蔵尊を見つけた事を整理している。

 その沢又村の阿保原地蔵尊の地には別の石造群があって、しかも案内板の説明と一致していなかった。
 「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」には、この事にかかわる詳細な情報があったので、その情報と照らし合わせてみる。

 その情報によると、元々ここに建っていたのは阿保原地蔵尊だけだったということのようだ。その管理者は光徳寺だったということだ。
 昭和27年7月に、約150m西にあった阿弥陀堂から5基の石仏が、順番も変えずにここに移されてきたとのことだ。
 移設は、その阿弥陀堂近くに市営住宅や母子寮が建設されるのに伴う整地の為だったとのことだ。
 その阿弥陀堂から移された石仏についての詳しい情報が拾える。だだ、移設されたのは5基の石仏だというのだが、紹介されるのは以下の6基の石仏だ。

 〇 南無阿弥陀仏の名号碑<元分5年(1791)10月15日>
 〇 阿弥陀仏坐像<明和5年(1768)10月10日>
 〇 弁財天<寛政2年(1790)2月吉日講中>
 〇 金毘羅大権現<文化4年(1807)3月10日南沢又邑斎藤庄之助、安斎栄次郎、北沢又邑斎藤庭吉、同苗善右衛門、同苗儀兵衛、大谷地村佐藤甚吉、泉村山岸林蔵、佐藤善太郎>
 〇 大勢至<文化14年(1817)2月吉日北沢又村講中>
 〇 阿弥陀仏坐像文化元年(1821)9月15日願主忍孝 天下泰平国家安泰大乗妙法華石経塚三界)の地

 阿弥陀仏坐像の願主忍孝は、安永5年(1776)に前任者が亡くなって、阿弥陀堂の6世を引き継ぐが、文政元年安永5年(1776)から健康を害して次世に譲って引退し文政11年(1828)6月11日に没した方とのことだ。
by shingen1948 | 2019-09-02 10:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)