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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2019年 09月 01日 ( 1 )

清水村道路元標

 「独国和尚の墓碑情報」について「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」で確認させてもらった。
 この資料で沢又村を確認したいという気はなかった。というのは、単に地域を散策したいというものにとっては、情報が具体的過ぎるのだ。
 ただ、自分の興味のある事についての面白い情報も含まれているのだ。この部分については、具体的過ぎる事も気にならない。
 独国和尚の墓碑情報の確認のための読み取りを通して、やや抽象的に解釈することができるようになったせいかもしれない。
 それで、先に整理したものにその情報を付け加えて整理して楽しもうと思った。

 まずは、清水学習センターの地域案内板の下に建つ清水村道路元標についての情報を付け加えようと思った。
 それで、清水村道路元標について整理した自分のページを探したのだが見つからない。どうも整理しているつもりになっているだけのようだった。
 それで、撮り溜めている写真を探してみたら、2010年2月に撮った写真が見つかったので、まずはこれを張り付ける。
a0087378_1093138.jpg
 これが、現清水学習センターの地域案内板の下に建つ清水村道路元標だ。

 この清水村道路元標についての情報を拾う。
 同誌の「役場、農協、郵便局、分遣所」の項でこの道路元標についてふれられる。

 この清水村道路元標は、旧役場玄関前の万世大路近くに設置された公示板の傍らに建っていたものらしい。
 その旧役場というのが、明治22年(1889)に市町村制実施に伴い、南沢又・北沢又・泉・森合・御山の5町村が合併して発足する清水村役場だ。
 「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」によれば、その清水村役場が現農協給油所のところにあったというのだ。それが、昭和26年(1951)に完成した刑務所通り開通で、刑務所通りと農協に挟まれて自転車置き場も無くなったことで、昭和51年(1976)に現在地に移転したとのこと。
 この情報は、元々設置されていた場所の状況とのかかわりが分かりやすい。

 ただ、明治41年(1908)の地図から地図の変遷を辿った感じでは、現郵便局付近に役場がプロットされているように感じる。
 昭和42年(1972)頃の地図では、現洗濯店付近に郵便局がプロットされ、昭和58年(1983)頃の地図では、その郵便局が現在地、つまり旧役場跡地に移動しているというふうに読み取れる。

 いずれにしても、この清水村元標が、貯油槽埋設の時にたくさんの廃棄土に混ざって出土し、それが北沢又字八計地内の埋め立て地に捨てられたという経緯があるようだ。
 その埋め立て地に捨てられた道路元標を、ある心ある方が市史編纂室に連絡するとともに、埋め立て地利用者から貰い受けて運搬までして現在地に設置したものだとのことだ。
by shingen1948 | 2019-09-01 10:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)