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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 08月 14日 ( 1 )

独国和尚の墓碑情報⑤

 今までは現地蔵堂と金福寺のイメージを重ねて「金福寺」をイメージしている。
 地蔵堂と金福寺の位置関係を確認して、金福寺についてのイメージをもう少し明瞭にする。
 「信達一統志」の情報では、地蔵堂の位置を「道の傍寺の東に在り」とし、北澤山金福寺の位置は「路の西に在り」とする。
 ここでいう路は飯坂古道の道筋だ。
 現地蔵堂の位置が傍寺の東とのことなので、北澤山金福寺はその西側に広がっていたという事だ。
「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」に明治11年に真浄院に摂取移管された金福寺の書上げ情報がある。
 田  4反6畝24歩 字門前1番地、寺西4番地、寺西7番地
 畑  2畝12歩 字欠ケ27番地
 宅地 1反4畝18歩 字寺西1番地、寺西5番地、字欠ケ38番地

 このことから、地蔵堂もその境内あるいは所有地内であったことが想像できる。また、その所有地は飯坂古道の道筋を挟んだ東側にも広がった大きな寺院だったことが想像される。
 なお、独国和尚碑の位置は地蔵堂の南西隅に確認したところだが、「信達一統志」では「独国和尚碑」の位置については「路の傍に在り」とする。道路拡張工事で移動した可能性もある。

 ここまでが独国和尚の墓碑情報だが、この北澤山金福寺とかかわる仙台の伊達氏にかかわる情報があった。「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策23~満願寺」でふれた「伊達、信達二郡に伊達氏十六代の史跡を索ねて(仙臺 安部定橘)」という資料だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/239198965/

 その「伊達氏五世」について次のように記されていた。
 「宗綱公は(或は宗経と為す、草書の似れるを以って誤る)小太郎と称す、官位生年等考ふる處なし。或は云ふ従五位下、蔵人に任とあり、政依公(四世)の第一子。母は真如婦人、文保元年二月七日薨(みまか)す、年五十四、追諡して金福寺殿浄方真西大居士と云ふ。(或は云ふ信夫郡澤又村金福寺に葬む)」

 仙台伊達氏を確認すると「信夫郡澤又村金福寺に葬む」ということは別にして、伊達氏五世宗綱公が「金福寺殿浄方真西大居士」であることは確かなようだ。
 ただ、信夫郡の情報では、「信達一統志」が北澤山金福寺開山について記すのは「祐快和尚正徳2年壬辰(1712)10月5日建立」だ。
 伊達氏五世宗綱公が薨(みまか)す文保元年(1317)二月七日には北澤山金福寺は創建されていたという信夫郡内の情報は今のところ確認できていない。
by shingen1948 | 2019-08-14 18:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)