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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 08月 05日 ( 1 )

独国和尚の墓碑情報②

 前回、独国和尚の墓碑が移動した経緯についてふれた。
 昭和52年に、南沢又四辻のA氏が独国和尚の墓碑を当家は独国和尚とかかわりが深いのだとして地蔵堂世話人w氏からもらい受け、A家専用の字中条の旧墓に移したとのことだった。

 A氏が当家は独国和尚とかかわりが深いとしたことについて確認する。
 「郷土史物語―澤股邑など(斎藤義一)」では、この移動に疑義のある立場で記述されている。それで、直接的にそのかかわりを記述されない。ただ、記述されることをA氏の立場で読み取っていくと、先の「信夫の里の狐達⑪~再び御山の御坊狐⑤」でふれた鉄五郎さんとのかかわりらしいことが分かる。
 https://kazenoshin.exblog.jp/17419410/

 この鉄五郎さんが沢又村の阿部一族のようなのだ。
 鉄五郎さんは生涯妻帯せず独国和尚の仏門に帰依したとある。
 また、女川三十三観音の第23番目の碑に鉄五郎さんの名がある事については「信夫の里の狐達⑳~信夫の里の独国和尚⑥」でふれたが、同誌によると先祖代々菩薩沢又村鉄五郎の名と、桜内の同族清三郎氏の名が刻まれているとのことだ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/17483732/
 このことから、同誌でも沢又村の阿部一族は挙げて独国和尚に帰依し、女川三十三観音建立時も両名は独国和尚に随身し奉仕したのであろうことを推定している。

 なお、「信夫の里の狐達⑪~再び御山の御坊狐⑤」の整理の時点では、鉄五郎さんは光徳寺近くにお住まいだったとしか分からなかったのだが、同誌ではその位置情報を以下のように記される。

 「光徳寺木戸門前南側に、大正昭和の端境まであった在った茅屋を古老なら記憶にある筈だ。この茅屋こそ鉄五郎の生家である」
by shingen1948 | 2019-08-05 15:52 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)