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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 07月 29日 ( 1 )

 前回の「散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑬」では、腰浜村の宿とかかわる道筋は古代道とかかわっているという見方について整理をした。
 https://kazenoshin.exblog.jp/239384697/
 この時に、江代氏はこの宿とかかわる道筋が前期の古代官道と推定しているらしいことについてもふれた。
 現在の道筋に重ねた図では、現在の道筋よりもやや東側を走っているように描かれているのだが、これが1908年と1931年の地図に描かれる東宿の表記される位置と重なっていることが分かる。
 江代氏は、この宿とかかわる道筋が前期の古代官道で、この腰浜廃寺周辺に岑越駅が設置されていたと推定しているようだ。
 その根拠の一つに周辺より微高で安全な地形であるということ挙げている。この周辺より微高の地形は旧阿武隈川の流路に伴ってできた砂礫段丘だとする。

 その西側の道筋が中世の街道としているのたが、この先には信夫郡家を想定しているということだ。その位置が先に整理した炭化米の層が発見され五郎内地内だ。
 ここに正蔵(米蔵)が設置されていて、その付近には信夫郡家があったとの想定だ。この地形については、古い松川と古い阿武隈川の複合河岸段丘上だとする。

 都市化が進んでいて、この辺りの散策でこの地形的な特徴は捉えにくくなっている。
 ただ、旧福島大学の校庭付近が周りの地形よりも低地であった事は思い出される。ここも古い阿武隈川の河床と捉える見え方なのだろう。
 確かに、古い地図を確認すると五郎内地内と腰浜地内の間は水田になっているようでもある。

 このことと鳥谷野情報とが関わりそうなのは、「散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑪」でふれた附属中学校体育館付近が5世紀の祭祀遺跡という情報だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/239348793/
 市史では、ここは吾妻連峰が最も美しく眺められる地点なので、吾妻山か阿武隈川の水の神を祀ったものとの推定をしていたのだが、確かに、その地形について「ここは旧阿武隈川の河岸段丘上であるとしていた。
by shingen1948 | 2019-07-29 17:18 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)