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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2019年 06月 17日 ( 1 )

鳥谷野舟橋②

 前回、架設費は小倉寺村と鳥谷野村とが折半して負担することになったらしいことにふれた。
 鳥谷野村ではその負担分を36戸で賄ったとのことだが、小倉寺村ではまとまらずに、大巻の佐藤某と膝付の八巻某の2戸だけでその費用を負担したとのことだ。
 そして、「鳥谷野舟橋余韻」本文では、以下の渡り賃でこの橋の管理維持費を捻出したのだと記される。
 
 「費用負担者は除き、徒歩は1銭、馬が2銭、馬車が4銭」、

 明治40年には、以下の渡り賃になったことが、その資料から読み取れる。

 「人力車一人曳1銭6厘、荷車一人曳2銭、牛馬2銭、荷馬車3銭、人1銭、自転車2銭5厘」
 (※ 乗客、貨物、馬丁、車夫、人足込みだと、人力車一人曳2銭6厘、二人曳3銭6厘、荷車3銭、荷馬車6銭、牛馬3銭、長持ち2銭4厘)

 なお、「ふるさとの想い出写真集」によると、松齢橋の渡り賃は以下のようだったとある。
 
 「人1銭、人力車2銭、一頭曳馬牛車4銭、それに明治36年からは自転車2銭」

 微妙には違いがあるようだが、ほぼ同じような料金設定だったようだ。

 「ふるさとの想い出写真集」によると、明治25年にはこの船橋を渡る道筋が県道に編入されたと解説されている。このことについて確認する。

 まずは、「鳥谷野舟橋余韻」。
 この資料に、この橋を明治23年11月24日より明治30年5月7日まで継年期として、その名称を仮県道2等阿武隈川とすることが記されている。

 次に、明治41年(1908)と昭和6年(1931)の地図を確認する。
 名称はないが松嶺橋共に、阿武隈川を渡る太い道筋が描かれている。天神橋のあたりは渡し場らしきものが描かれている。
 なお、昭和47年(1972)頃の地図ではこの道筋が消えて、蓬莱橋、弁天橋、天神橋、そして、お大仏橋が描かれる。
 
 鳥谷野舟橋の役割は蓬莱橋に引き継がれるわけだが、「ふるさとの想い出写真集」には、その変換にかかわって、蓬莱橋竣工が昭和14年だが、鳥谷野舟橋はその後2年ほどは人に限って通行が許されたとの紹介がある。ただ、再修理されることはなくそのまま撤去されたとの事だ。
by shingen1948 | 2019-06-17 17:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)