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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 05月 27日 ( 1 )

鳥谷野館⑧

 今回、もう一度鳥谷野館についての資料を確認するのに、福島県立図書館で「鳥谷野館」を検索したら、以下の図書が紹介された。
 1 「市内遺跡試掘調査報告 平成13年度(福島市埋蔵文化財報告書)」
 2 「鳥谷野舘の考察【すぎのめ14号】」
 3 「鳥谷野館と永京寺【すぎのめ8号】」
 4 「阿武隈川岸鳥谷野舘屋敷【すぎのめ5号】」
 5 「鳥谷野舘址の碑について【すぎのめ2号】」
 まずは、これに目を通そうと思った。

 そうこうしているうちに、福島県立図書館のレファレンス事例詳細の問いに「北畠顕国の子孫が福島市鳥谷野の名主羽田家というのは本当か」というのがあって、面白そうだなと思った。
その回答に使われる資料が以下の冊子のようだったので、これも一緒に借りることにした。
 1 「鳥谷野館と永京寺(羽田稔)【すぎのめ8号】」~『羽田宗家系図』により顕国に繋がるとの記述あり
 2 「秦、畑、畠、波多、波田、羽田壱族(羽田稔) 【すぎのめ24号】」~「顕国の子孫は羽田氏を号して世々福島の鳥谷野に住す」との記述あり

 今回は、浜井場古墳についても再確認したかったので、「浜井場古墳群(柴田俊彰) 【すぎのめ26号】」も一緒に借りた。

 前回までに、「鳥谷野舘の考察」と「鳥谷野館と永京寺」を参考に、羽田氏が舘主であった時代があったらしいというところまで想像を膨らませた。
 福島県立図書館のレファレンス事例詳細の問いはその羽田家にかかわる。当然、確認はしているが、今回は個人的に楽しんだままにしておく。

 「黒岩虚空蔵・満願寺」を整理した時に、小倉寺村太蔵寺も「福島市史」で確認しているのだが、この時に「弁天山の椿舘・西物見山・元屋敷は、前記中世文書に出る余部郷の地頭が拠った南党の城跡」とあるだけだったからだ。
 当然、弁天山の散歩の整理では「信達一統志」を元に案内される磐城判官政氏と「信達絵図」の持地遠江守氏が館主とされる説明に従っている。また、 南北朝時代には北畠顕家の一族北畠(春日)顕国が椿館主だったという案内もそのまま受け入れている。
 しかし、今回は資料の確認という立場で眺めているわけだ。
 その視点だと、少なくとも南北朝時代の館主の具体名を根拠とする資料名が見当たらないのだ。今のところ「余部郷の地頭が拠った南党の城跡」という「福島市史」の説明が一番具体的という状況なのだ。
by shingen1948 | 2019-05-27 16:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)