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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 05月 26日 ( 1 )

鳥谷野館⑦

 「鳥谷野館と永京寺(羽田実)」によると、羽田氏が舘主であった時代もあるという。
 正平23年(1368)、北朝では応安元年にあたる年、羽田一郎左衛門行顕氏が杉妻荘鳥谷野郷を領して鳥谷野館に住したという。それ以来、天正18年頃まで羽田氏が代々館主であったらしい。
 天正19年(1591)に伊達氏は政宗公の時代、伊達郡、信夫郡などの旧領を召し上げられ岩出山城へ移される。
 この時に信夫郡は蒲生公の領地となるのだが、鳥谷野館主だった羽田四郎太夫氏は退隠を命ぜられるが、25貫文の土地が認められ、この地の庄屋になったということだ。
 「鳥谷野舘の考察」では、この時に羽田氏は岩出城に随行していないことから地頭領主的な性格の館主だったと推定している。

 先に、「ふくしまの歴史」で、この鳥谷野舘主について「伊達氏のもとで館主となった地頭は、この交通・軍事の重要な地点をおさえながら、鳥屋野村の地域を支配したのでしょう」と記されたことについてふれた。
 この「伊達氏のもとで館主となった地頭」という表現から、具体的には羽田氏を想定しているのではないかということが分かる。これが、220年続いていたということになるようだ。

 この時に蒲生氏郷公の客将木村吉清氏が大森城に入り信達5万石を支配するようになる。そして、文禄2年(1593)には、城を杉目に移し、その地を「福島」と命名したことはよく知られている。
 しかし、翌年にはその木村氏は上洛してしまい、この地を含む県北地区は蒲生氏の直轄地になってしまうということだ。
 後に、舘には代官所が置かれ、蒲生の臣吉宮勘右衛門が代官に任命されたらしいとのこと。
by shingen1948 | 2019-05-26 10:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)