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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 05月 19日 ( 1 )

鳥谷野館⑤

 前回、もう一つの信夫の渡しに行きつく道筋についてふれた。
 平石の古道道筋から乳児塚―附屋敷―扇田―古内―川原(郷野目)を経由する道筋を見た事を思い出したのだが、その出典まで思い出せなかった。確認したら「古代道(江代正一)」だった。
 先に、そこで紹介される森合の一杯森までの続くという東山道(後期駅路)を想像しながら歩いて見たのだが、その時この道筋を知ったようだ。
 その道筋が、東山道(後期駅路)から乳児塚で分かれた前期駅路で、附屋敷―扇田―古内を経由して郷野目村字向原まで北東に直進し、これが腰浜方面に向かうように描かれていたのを思い出した。
 解説では、ここから坿屋敷(大森川、旧荒川の河岸段丘)斜向道路―下宿―渡利―腰の浜へ向かうように表現されていた。

 さて、先に、鳥谷野舘について「ふくしまの歴史(中世)」でふれられている事について記した。
 その項が「鳥谷野宿と鳥谷野下宿」ということだ。
 ここでは、鳥谷野宿は鳥谷野下宿に対して、鳥谷野上宿として中ノ内を想定している。その鳥谷野下宿についても下宿という地名があるということだけで、その実態の解説はない。
 ここから賑わいが想像されるということであり、その賑わいの要因の一つが交通の要地であるということであり、中ノ内はその交通の要地の要としての鳥谷野舘の城下町的な位置にあったという関係性だ。

 その交通の要地にかかわっては、次のように表現される。
 「鳥谷野の中ノ内は、八丁目(松川)から黒岩を通って郷野目に向かう道が通り、また、川俣方面からの道が小倉寺の中ノ内から阿武隈川を渡って合流する地点でした」

 「鳥谷野の中ノ内は、八丁目(松川)から黒岩を通って郷野目に向かう道が通り」とあることから、鳥谷野館とかかわる古道は、「鳥谷野舘の考察」の羽田氏と同様に「田沢道」に近い道筋を想定していることが分かる。「郷野目に向かう道が通り」が福島道で下宿に向かう道である。

 これに「古代道(江代正一)」が描く乳児塚で分かれた前期駅路を重ねてみると、川原(郷野目)から目指した下宿というのがこの鳥谷野の下宿であることが分かる。
 「ふくしまの歴史(中世)」で鳥谷野上宿が中ノ内で、それに対しての下宿だとした辺りの地名だ。
 鳥谷野館とかかわる古道は、この下宿から荒川と阿武隈川の間の道筋を進んで、信夫の渡しで川を越えて北進し、腰浜廃寺脇を通るということだったが、これも「古代道(江代正一)」が表見する「下宿―渡利―腰の浜へ向かう」という道筋と重なるということだ。
by shingen1948 | 2019-05-19 10:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)