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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 05月 12日 ( 1 )

鳥谷野館③

 「福島の村絵図【福島市文化財調査報告書39集】」の鳥屋野村絵図の解説から、前回までの鳥谷野館の位置とかかわる部分については、次のように記す。

 「仲ノ内の南西、林の中に見える寺院は臨済宗永京寺。ほぼ方形をなすその境域は、かつての鳥谷野館の郭内であり、その西と北にみえる田は館の堀のなごりである」
 
 ここから、鳥谷野館の郭内は「鳥谷野館の考察が推定する旧舘跡」であることが想像され、「埋蔵文化財関係者等が推定する旧舘跡」は、館の北の堀をも含んでいることが想像される。
 
 「鳥谷野舘の考察(羽田実)」では、この館主は佐藤氏の臣とする。
 「鳥谷野村誌」に館の創建にかかわって「本村中央より(鹿島神社境内)東南に当たり旧舘大熊川(阿武隈川)の上にあり、文治年中(1185~89)佐藤庄司基治の臣何某の居住と云ふ」とあるというのだ。

 先に日本城郭体系3「山形・宮城・福島の城郭」では鳥谷野館は「慶長年間の館」と解説されることについてふれたが、「鳥谷野村絵図の解説」では、次のように天文年間にすでに舘は存在したことが解説される。
 
 「対岸の川俣道からの渡河点を抑える鳥谷野館は、戦国期天文11年(1542)~17年(1548)の伊達氏天文の乱の関係資料にも現れている。信夫、伊達両郡の阿武隈川の自然堤防段丘上には、鳥屋野・大仏(または杉ノ目)・本内・鎌田・桑折・伊達崎・堀江・大枝・五十沢などの中世館が連なるが、鳥屋野はそれらのもっとも上流に位置する要衝であった」

 「ふくしまの歴史」でも、この鳥谷野舘については中世の「鳥谷野宿と鳥谷野下宿」の項でふれる。その館主については、「伊達氏のもとで館主となった地頭は、この交通・軍事の重要な地点をおさえながら、鳥屋野村の地域を支配したのでしょう」と記す。
 また、「鳥谷野村絵図の解説」で紹介された信夫、伊達両郡の阿武隈川の自然堤防段丘上の中世舘の全てが阿武隈川の渡しがあった要地とし、鳥谷野以外は奥大道が通る地点であることが付け加えられる。

 なお、「鳥谷野村絵図の解説」では、臨済宗永京寺は鳥谷野館が廃された後に建立されたが、「鹿島社ははるかに古い歴史を持つことだけは疑いない」と付け加えている。
by shingen1948 | 2019-05-12 12:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)