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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 04月 07日 ( 1 )

 他所者の散策人が頼りにするのは地元の郷土史的な資料だが、これらは実証科学的な態度で整理されたものが多い。従って、信憑性が確立されていない見え方にふれることは少ない。
 この信夫郡鳥屋ノ城主安部対馬重定氏が伊達政宗公に命じられ、忍術を心得た者50人を選んで扶持を与えて「黒脛巾組」を組織したという見え方も知らなかった。
 しかし、郷土を散策される地元の方は、公にはしないもののそういう見え方がある事を知った上で楽しんでいるということでもある。そこが羨ましい。

 黒脛巾組は、政宗公が苦境に立たされた時に常に活躍し、政宗を助けたということだ。
 その中の事例の一つが天正13年(1585年)の「人取橋の戦い」のようだが、安達辺りにかかわっていた頃に整理したことがある。
 信達地域の「伊達政宗観」と安達地方の「伊達政宗観」は大きく違う。その事にふれながら整理したのが「安達地方に残る『伊達政宗観』考」だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/4919761/
 実際に戦いが行われた現地を整理したのが、「『人取り橋』の現地を確認して」と「『粟の巣の変事』の辺りを散策する」だ。

 〇 「人取り橋」の現地を確認して
 https://kazenoshin.exblog.jp/5607767/
 〇 「粟の巣の変事」の辺りを散策する
 https://kazenoshin.exblog.jp/5623098/

 散策として整理したものを、この事変とのかかわりで整理したのが、「伊達政宗と対峙するニ本松城の畠山を想う」と「小浜城の伊達政宗に想いを広げてみる」と「小浜と本宮(人取橋)の中間地点としての『岩角山』」だ。
 〇 伊達政宗と対峙するニ本松城の畠山を想う
 https://kazenoshin.exblog.jp/4945095/
 〇 小浜城の伊達政宗に想いを広げてみる
 https://kazenoshin.exblog.jp/4939763/
 〇 小浜と本宮(人取橋)の中間地点としての「岩角山」
 https://kazenoshin.exblog.jp/5633023/

 伊達政宗公の対戦相手は、急激な躍進に危機感を抱いた周辺諸国の大名の反伊達連合軍だ。この連合軍は、佐竹義重を中核に、蘆名盛重・石川昭光・白河義親・二階堂盛行・岩城常隆の武将で構成した総勢三万の軍団。
 数の上では勝ち目はないが、連合軍は一枚岩でもない。普段は所領などをめぐって争ったりしている。
 たとえば、連合軍の石川昭光公などは政宗の叔父で、白河義親公も縁戚であり、実は伊達家と内通していたとも……。彼らは強大な実力を持つ佐竹・蘆名らが呼びかけたため、やむなく参加しただけだったとも……。
 
 そんな崩壊に結びつく弱みをつくのに、この黒脛巾組を反伊達連合軍の陣中に忍び込ませたということのようなのだ。
 諸将の内通・裏切りなど、さまざまな流言飛語をながさせ、反間策を行ったのだとか。
 その事もあって、連合軍内部の将兵に混乱がおき、疑いをもった諸将は、己が身の危険を感じて撤退したという。
 これが、勝利間近の連合軍撤退に結びつくとのことだ。
 
 長々と振り返っているが、ここに「信夫郡鳥屋ノ城主」のかかわりを意識して「渡利地区の阿武隈川沿いの風景⑤」に整理した「渡しの解説」を読み直すと、面白みが増したように感じるということだ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/9147047/
by shingen1948 | 2019-04-07 10:34 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)