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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 04月 02日 ( 1 )

 前回まで、黒岩虚空蔵堂・満願寺散策とその帰り道に立ち寄ったことについて整理していた。散策を整理していて鹿島神社についても確認しておこうと思ったところだった。
 しかし、今回は予定を変えて「黒岩虚空蔵堂~満願寺<「黒岩虚空蔵の算額」探索余談>」でふれた福島の伊達氏ゆかりの満願寺という見え方について整理しておくことにした。

 実は、この福島の伊達氏ゆかりの満願寺という見え方にかかわる元資料でないのかなと思われるものを目にしたのだ。
 「伊達、信達二郡に伊達氏十六代の史跡を索ねて(仙臺 安部定橘)」という資料だ。
 その「五世」について次のように記される。
 「宗綱公は(或は宗経と為す、草書の似れるを以って誤る)小太郎と称す、官位生年等考ふる處なし。或は云ふ従五位下、蔵人に任とあり、政依公(四世)の第一子。母は真如婦人、文保元年二月七日薨(みまか)す、年五十四、追諡して金福寺殿浄方真西大居士と云ふ。(或は云ふ信夫郡澤又村金福寺に葬む)」

 その「六世」については、次のように記される。
 「基宗公は孫太郎と称す、誠志と号す。宗綱公の子にして母は慈源夫人、官位生薨(みまかし)考ふる處なし。(譜系に曰く、従五位下宮内少輔、蔵人弾正少弼に歴任す、系図一本に曰く建武二乙亥年八月十日薨(みまか)す、年六十三亦誤る、或は曰く信夫郡小倉村満願寺に葬むる)追諡して満願寺殿誠志堅貞大居士と云ふ(正統世次考)」

 「黒岩虚空蔵堂~満願寺②<「黒岩虚空蔵の算額」探索余談>」でふれた情報もカバーしている。
 ただ、先の整理では小倉寺村と満願寺のかかわりとみたが、ここでは「信夫郡小倉村」と満願寺のかかわりとみて確認すべきというふうに読み取れる。

 先にこの時代の信夫郡についてふれたのは、「散策と情報②~舟橋北遺跡」だ。
 https://kazenoshin.exblog.jp/9338214/
 
 その時代に想定される信夫郡の8つの郷(ごう)を再掲する。
 ○ 小倉郷(福島市南部、大森川以南で阿武隈川以西)、
 ○ 安岐郷(福島市中心部、大森川以北で松川以南で阿武隈川以西)、
 ○ 岑越(みねこし)郷(信夫山周辺、松川以北で摺上川以南で阿武隈川以西)、
 ○ 曰理(わたり)郷(福島市南部、阿武隈川以東の南部)が信夫郡として残る。
 ○ 伊達郷(福島盆地北部、摺上川以北で阿武隈川以西)、
 ○ 靜戸(しずりべ)郷(伊達市主要域、阿武隈川以東の北部)、
 ○ 鍬山(くわやま)郷(伊達市月舘町や伊達郡川俣町、伊達郡飯野町などの阿武隈高地域)、

 この時代の黒岩や黒岩満願寺付近が小倉郷なのか安岐郷なのかということだが、微妙なところだ。 具体的に現在地名との相関関係を記す資料では「大森、平田、松川、水原、荒井、土湯、金沢、関谷、浅川、下川崎など」とするようで、その「など」というところに黒岩や黒岩満願寺付近が含まれるのかどうかは分からない。一番近場で小倉郷とする資料は元伏拝付近までだ。
 ただ、現小倉寺は、渡利と共に「曰理(わたり)郷」となるはずだが、「福島市史」では、この小倉寺の地名は、小倉郷ゆかりの豪族の私寺とみている。つまり、この辺りまで小倉郷ゆかりの豪族の影響下にあったということもある。

 そうだと言い切れる資料ではないが、そうかもしれないと思わせる資料ではある。
 なお、「瑞鳳殿」の歴代墓所のページでは、この五世宗綱公と六世基宗公のお二人の享年と墓所は示されていない。
 https://www.zuihoden.com/document/grave/
by shingen1948 | 2019-04-02 12:32 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)