人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2019年 03月 13日 ( 1 )

 鳥谷野の渡しは、川俣―大森間の主要な道筋の要でもある。その渡し場があるのが仲之内集落ということだ。
 「福島の村絵図Ⅰ」の解説によると、この対岸の河渡点を抑える要衝点が鳥谷野館ということのようだ。この館については、戦国期天文11年(1542)~17年の伊達氏天文の乱の関係資料にも登場するのだとか。
 半沢氏の「歴史地図」では、この辺りに「館跡(慶長年中上杉家臣居館)」と記されるだけだが、「福島の村絵図Ⅰ」の解説では、永京寺がかつての鳥谷野館の敦内としている。

 今回の整理で、この永京寺辺りの散策で先の散策とつながるように感じた。
 ただ、今回はこちらには立ち寄っていないので、先にこの辺りを散策した時に撮った写真で整理しておく。

 これは2009年7月の散策時に撮った永京禅寺だ。
a0087378_11334364.jpg 「信達二郡村誌」によると、西京花園臨済宗妙心寺末派で、開山は育峰和尚とのこと。この方は天正中(1573~1593)の人とある。ただ、永享元年(1429)開山という別資料も見かける。

 門前に、「福島市重要文化財指定宝冠釈迦如来」の案内柱と「杉妻小学校発祥の地」の碑が建っているのが見える。
 「宝冠釈迦如来像」は、この寺の御本尊で、鎌倉の円覚寺本尊と同じ冠をかぶった御釈迦様とのことで、体内に宝徳5 年(1453)と記されているとのこと。
 「信達二郡村誌」には、「本尊観世音の像は西京清水の観音と同材にして同作なり 因て清水山と号すと云伝う」ともある。

 「杉妻小学校発祥の地」とするのは、明治6年(1873)にここ永京寺本堂が小倉寺村との共立学校鳥谷野小学校の仮教場となったこととのかかわりのようだ。
 ただ、今回の散歩の中心は黒岩村なのだが、こちらは「信達二郡村誌」に記される時代にあっては、伏拝村と合併して丹治行従宅を仮教場としたということのようだ。
 学校の沿革についての確認はしていないが、杉妻小学校は、これらが町村合併に伴い現在地に移ったものと想像する。
a0087378_11354521.jpg さて、「福島の村絵図Ⅰ」で、この永京寺がかつての鳥谷野館の敦内だとするとある。それで、ここに永京寺境内を南西方面から撮った写真を張る。
 絵図にある西側と北側の田が堀の名残だとする。
 現在はその田はないが、その面影が残っていると見えなくもない。
by shingen1948 | 2019-03-13 11:36 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)