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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2019年 03月 12日 ( 1 )

 帰り道を、宮ノ下から阿武隈川沿いに鳥谷野に向かう道筋とする。
 黒岩村の大きな集落は満願寺門前の上ノ町集落なそうだが、「福島の村絵図Ⅰ」の「年不詳の黒岩寺村絵図」で確認すると、その道筋と阿武隈川との間に本内・八郎内・房ノ内・戸ノ内集落が描かれている。
 その解説によると、この集落のいずれもが、中世の百姓屋敷の系譜を引くものだそうだ。天文22年の伊達晴宗釆地下賜録には「との内在家・八郎内在家、宮ノ下在家」が記されているとのことだ。
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 これは、宮ノ下からの道筋を北に進んで、黒岩字房ノ内から道を挟んだ黒岩字戸ノ内の集落を撮ったものだ。したがって、この左側に写るのが戸ノ内の集落だと思う。

 黒岩村の集落という観点の他に、この道筋自体についても確認したいことがある。
 それは、この道筋の先に、隣村の鳥谷野村の中心をなす仲之内集落に繋がっていたということだ。
 そこは、先に整理しことのある阿武隈川対岸の小倉村と連絡する渡し場がある集落だ。川俣街道との関りでは「鳥谷野渡し跡」で整理している。
 https://kazenoshin.exblog.jp/7314997/

 その対岸の渡利地区側の阿武隈川川筋を散策したかかわりの中で、「渡利地区の阿武隈川沿いの風景⑤」としても整理している。
 https://kazenoshin.exblog.jp/9147047/

 この渡し場がある仲之内集落が、この川俣―大森間の主要な道筋の要であるということだった。そこにこの道筋が、その仲之内集落を介して繋がるという事だ。
 なお、その仲之内集落も、その近くの集落も含めて、この黒岩村同様、中世在家らしいということだ。

 これまでの散策で整理しておくべきだったのが、この対岸の河渡点を抑える要衝点だ。それが鳥谷野館ということのようだ。
 「福島の村絵図Ⅰ」の解説によると、この仲之内集落の永京寺が、かつての鳥谷野館の敦内とのことだ。
 この鳥谷野館は、五十沢、大仏の城郭のように、阿武隈川段丘上に並ぶ中世城館の一つとのことだ。

 この地区の西側には奥州街道が通るので、主要な道筋の興味はそちらに引きずられてしまうが、こちらの整備は天正末から慶長時代以降だ。それ以前は、こちらの道筋が重要な機能を果たしていたということになるようなのだ。
 従って、この阿武隈川河岸段丘上の集落は、中世の時代にあっては、現時点で想像するよりも繁栄していたということが想像できるということになるようだ。
by shingen1948 | 2019-03-12 10:35 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)