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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2019年 02月 25日 ( 1 )

 ここが、黒岩虚空蔵堂・満願寺参道入口だ。旗立台と嘉永5年(1852)の常夜燈が目印だ。
a0087378_1034899.jpg 実際には満願寺の駐車場から来たのだが、伏拝口から進んできたことを仮定した意識で撮ってみている。
 「満願寺、虚空蔵菩薩旧参道」の案内柱でも確認できる。

 ここにその道筋を以下のように説明されるが、あらためて読んでみたのは家に戻ってからだが、それは案内されることは既知の事だと思っていたからだ。
 「満願寺正門下を経て、左虚空蔵堂、右阿武隈川岸を通り小原に至る」

 実際に分かっていたのは「満願寺正門下を経て、左虚空蔵堂、右阿武隈川岸」との部分までで、「阿武隈川岸を通り小原に至る」を意識してはいなかったことに気が付いた。
 「小原に至る」の小原集落は、「黒岩虚空蔵堂~満願寺③<『黒岩虚空蔵の算額』探索余談>」で確認した集落だ。
 この集落は、黒岩虚空蔵堂中興にもかかわる福島代官古川善兵衛重吉が創建し、自らも眠るという「無為山 康善寺」の前身である秀安寺跡地の所在地で、「信達一統志」がいう「黒巌の茂原というところ」が、この黒岩小原集落ということのようなのだ。
 この集落のもう一つの特色が、「ふくしま市景観100選」に紹介される「黒岩にある何百年もの間、乱開発を免れて、自然に囲まれた集落」ということだ。
 半沢氏の「歴史地図」で、「中門造り」とメモされるのが、秀安寺跡地の庭園とされる手前の民家の特色らしい。
 現在は、高地まで宅地開発されたことと車社会の時代になったことで、そちら側からの道筋で案内されるが、この道筋は徒歩道の時代の黒岩小原集落への道筋だったということでもあるのだろうか。

 この道筋が、石畳であることにも趣を感じるのだが、雑草でなかなか表現できない。これは、旧参道を下って振り返って撮った風景だが、なんとか石畳であることが分かるかな。
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by shingen1948 | 2019-02-25 10:06 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)