地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2018年 11月 06日 ( 1 )

 前回、明治24年4月(1891福島県福島市立子山目細内110 篠葉沢稲荷神社に奉納された算額(丹治重治他)に掲げられた方々を確認した。
 その整理の中で、名古屋で2015年に開催された「庶民の算術展」に出品されたとしたところだが、開催時期が違っていた。展覧会情報を確認すると2005年のようだ。訂正する。

 「和算『最上流宗統派の系譜』から⑬」でもふれたように、「最上流宗統派の系譜」としたのは「金谷川のあゆみ」の情報を元にしている。しかし、「金谷川のあゆみ」以外に「最上流宗統派」としてその系譜を表現する散歩資料に出会っていなかった。
 まずは、それがこの葉沢稲荷神社に奉納された算額で確認できたということがある。

 その題が、「最上流宗統四世 明齋 丹治重治撰」。
 ここで、最上流宗統四世明齋 丹治重治氏が確認できる。
 更に奉納者の方々の氏名の中に「信夫郡浅川 曠齋 尾形英悦」に角印と丸印が押されていることが確認できる。そして、その直ぐ後ろに「最上流五伝曠齋尾形英悦門人」とあって、「信夫郡浅川 長沢忠兵衛」が紹介されている。
 このことから、最上流宗統五伝が曠齋尾形英悦氏であることが読み取れる。更に、ここで最上流五伝曠齋尾形英悦門人信夫郡浅川長沢忠兵衛と紹介されるのは、「金谷川のあゆみ」の情報で最上流宗統六伝とされる方だ。

 次に気になるのは、「明齋丹治子通 信夫郡金沢 思齋丹治重満」と紹介される御子息。丹治重治氏が信夫郡金沢村在住である事から気になるのは「信夫郡金沢 丹治次郎蔵」だが、その関係性は曖昧。

 更に曖昧な想像を続けると、気になるのが「安達郡下川崎野地勘之助」氏と「安達郡沼袋 野地伊三郎」氏だ。
 というのは、明齋丹治重治氏は、幼少時には安達郡人の野地豊成氏の門人だったと碑文にある。その野地豊成氏が安達郡下川崎在住のはずだからだ。その方とのかかわりかなとの想像だが、こちらも曖昧。

 今回、奉納者名を丁寧に拾ってみている。これは明齋丹治重治碑の撰文者が田嶋寛氏であったこととかかわる。
 「和算『最上流宗統派の系譜』から~明斎先生(丹治庄作)碑④」でもふれたように、この方は幕末から明治にかけて八丁目宿の学校創設や文化人サロンに中心的にかかわった元二本松藩士だ。その人材バンクから八丁目宿小学校指導者が人選されているとすれば、そこに重なる方がいらっしゃるのではないかと思ったのだ。それで、手持ち資料と照らし合わせて眺めてみたのだが、結果的には空振りだった。
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by shingen1948 | 2018-11-06 16:54 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)