地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2018年 08月 03日 ( 1 )

池袋駅西口⑬

 新聞報道を読んだ時点では、捜査状況や遺体発見現場など、よく読み取れていなかった。

 「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」を確認する。
 捜索は、雑司が谷幹線の事故現場から下流と神田川、それに後楽ポンプ所とのことだ。また、遺体が発見されたのは、神田川と後楽ポンプ所。

 これは、それらの施設と現場との関係を表す地図だが、「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」からの転載だ。
 a0087378_12132664.png 雑司が谷幹線の赤線部分が、下水道事故が起きた工事現場だ。そこも含め、明治通りから護国寺まで東流している区間が「弦巻通り」と重なるようだ。

 護国寺から南下して神田川に注がれる区間の通りが「音羽通り」とのことだ。幹線がそこから暗渠化された神田川に合流する地点が「江戸川橋」ということのようだ。

 「毎日新聞(2008/8/6)」の記事によると、雑司が谷幹線では、普段は水深10㎝程度の汚水が流れていて、後楽ポンプ場を経て芝浦水再生センターに流れているのだとか。雨で水深が20㎝以上になると、その雨水は神田川に直接放流されていたとのことだ。

 散歩資料と照らし合わせると、護国寺から南下して神田川に合流する「音羽通り」には、水窪川というもう一つの川筋もかかわっているらしい。

 「音羽通り」の原風景は音羽の谷を埋め立てられてできた護国寺の参道ということであり、その参道の左右の崖沿いに二筋の川が流れ、その左側が弦巻川で、右側を水窪川が流れていたということのようだ。
 その二つの川筋は、それぞれに東西に流れている神田川に合流していたのだそうだが、暗渠化直前には、弦巻川筋は神田川の直前で水窪川筋に合流していたとのことだ。

 神田川川筋ももうちょっと複雑で、神田川から分水された神田上水が川筋の北側を流れていて、護国寺の参道以東は道路の下の暗渠となっているとのことだ。
 水窪川と弦巻川はその暗渠の「神田上水」の下を伏樋でくぐって神田川に合流しているとのことだ。
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by shingen1948 | 2018-08-03 12:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)