地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2018年 03月 02日 ( 1 )

 「曳尾堂」の閲覧を目的に半沢邸を訪れる方だが、半沢氏が誉に思う方々だったという側面もあるのではないのかなと思う。
 「熊阪台州氏(その2)⑱~『曵尾堂』②」でふれた小川琢治博士は、その訪問目的が調査であり、その時期は昭和初期ではある。それでも、半沢氏には誉に思う側面があったのではないのかなと想像する。

 小川琢治博士、我々年代なら、ノーベル賞を受賞された物理学者湯川秀樹氏の父親との認識かな。
 昭和4年(1929)の訪問なので、湯川秀樹氏のノーベル賞受賞は知られていない時期ではあるが、ご本人だって、京都大学に地理学講座を開設に伴い招かれた著名な地理学者、退職1年前だ。
 「科学系ノーベル賞日本人受賞者9人の偉業」からこの小川琢治氏が絡む湯川秀樹氏情報を拾う。

 湯川秀樹氏が育った小川家は、まるで図書館のように本だらけだったそうだが、その環境を作ったのが父親である小川琢治氏とのことだ。
 氏は多趣味な方で、何かに興味を持つとそれに関する本を集める癖があったのだそうだ
 博士が、物理学に興味を持ったのもその家の蔵書を読み漁ったからだそうだが、その分野にとどまらず博学ぶりはよく知られているとも。
 「熊阪台州氏(その2)⑱~『曵尾堂』②」では、その小川琢治博士の調査結果として、「經史集に渉っているので、學者の研鑚に利用される便宜は公立図書館より多い」との紹介情報にふれたのだ。
 つまり、その小川氏がいう「學者の研鑚に利用される便宜は公立図書館より多い「曵尾堂」の蔵書を閲覧目的とする方が、半沢邸訪問者ということだ。

 時代を遡り、俳諧師半沢二丘という文化人との観点で訪問者を想像すれば、漢文を素養とする方々に絞られる。
 「俳諧海内人名録」に入集しているような山形の俳人を想定すれば、藩士か僧侶かな?
 その中でも、かなり高い教養を備えた方ということだろうか。

 山形では抜けている熊阪氏の白雲館書庫「曵尾堂」文庫から引き継がれているという観点を加えれば、その熊阪氏の交友関係者も訪れただろうことが想像できる。

 これ等をイメージして、当時の豪農の意識の高さと半沢氏の経歴とその仕事を考慮すれば、閲覧に訪れた人に風呂や食事まで無料で提供し、遠方の人には夜も泊まらせ、望みの通りに読書をさせていることが、それほど奇特なこととは感じない。
 このエピソードは、「曵尾堂」文庫の質の高さを誇るものととらえたい。
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by shingen1948 | 2018-03-02 08:26 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)