地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2018年 02月 03日 ( 1 )

 「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」での釈文確認を続ける。
 前回は、熊坂覇陵氏の父である兒島定悠氏が伊達の熊阪氏となるまでの経緯について記されている部分を確認した。
 次に記されるのは、伊達の熊阪氏となってからの家族の動向だが、その中心は「片平氏に配して君を生めり」から「君に妻(めあわ)せ、以て己が嗣と為す」までの覇陵氏にかかわる事柄だ。

 片平氏(娟(えん))に配して、君を生めり。助利姉(藤田の秦平助に嫁していた)の子、同郡の秦豐重(1672~1738)、助利が女(養都(やつ))を養いて、子と為し、以って君に妻(めあわ)せ、以て己が嗣と為す。既にして豐重も、亦熊阪氏を冒す(豐重もいっしょに熊阪氏の籍に入るようにした)。

 熊坂家を嗣いだ覇陵氏の事績が記されるのは、ここからのようだ。釈文確認を続ける。

 君、家を承(う)け、農に服す。又、善く廢著(はいちゃく=貯えておいて物価の高いときに売る。「史記」貨殖列伝にあり。)。業を修して而して之を息(そく)す(利息をふやしていく)。産、日々益々殖(しょく)す。
 少(わか)くして、功名(立派な仕事と名声)に志有り。策(いい政策の進言)を以て東諸侯を于(かん)す(採用する東国諸大名を求めた)。厚禮もて之(諸大名)に遇せらる。遂に、橐(たく)を傾けて(袋つまりありたけの金を全部出して)給す(融通した)。尽く其の産を破る(その結果、もとも子もなくしてしまう)。家人、之を憂う。君曰く。
 富經業無く、貨當主無し(富をつくるのに一定のやり方はなく、また財貨は持ち主がいつもきまっているわけではない。「史記」貨殖列伝の語による)。千金を散じ千金を致す(つくりだす)、是れ我に在りと。
 乃ち復(ま)た産を治む。十年に及ぶ比(ころあい)、果して千金を致せり。鄰里、君を待ち(必要とし)て而して火を擧ぐる者(生計を営む「荘子」譲王編による)數十人。年飢うれば、産を推(お)し(産業を盛んにし)息(そく)を損(す)つ(利息をとらない)。貧しき者には爲に券を折る(借用書を反故にする)全活(ぜんかつ)する(くらしをたてる)所、甚だ多し。
 君、惡を疾(にく)むこと仇(きゅう=かたき)の若し。恒(つね)に言えらく。如(し)かず、郷人の善なる者には之に好しとせられ(いい者には、いいひとだといわれ)、其れ不善なる者には之に惡まれんには(悪い者には憎まれる、これにこしたことはない)。是れ我が志なり。吾は、郷原たること(村で君子らしくみせかける偽善者。「論語」陽貨篇による)を恥ずと。
 未だ強(きょう=四十歳)ならずして、秦氏を喪(そう)す(寛保3年<1743>11月養都死す。覇陵三十五歳)。遂に復(また)娶らず。旁ら妾媵(しょうよう=めかけ)を絶つ。曰く。
楊叔節(楊秉(へい)「蒙求」に「秉、性酒を飲まず、又早く夫人を喪(うしな)いて遂にまた娶らず」とある)は我が師なり」と。
 幼にして強記(もの覚えよい)、象棋(将棋)洞蕭(どうしょう=尺八)を能くす。長じて群書(多くの書籍)に渉(わた)り、好んで詩を爲(つく)る。中ごろ禪を喜(この)む。物先生(荻生徂徠)の書を読むに及んで、爽然(そうぜん=ぼんやりと失意のさま。「史記」屈原賈生伝賛による)として自失し(力をおとし)、平生の爲(つく)る所を醜(しゅう)として、尽く其の稿を焚(や)く。

 この後に、荻生徂徠の書に接して、爽然自失し、其の稿をすべて焚いた覇陵氏が晩年辿り着いた事が記される。それが、白雲館や高子二十鏡にかかわる事だ。
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by shingen1948 | 2018-02-03 10:58 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)