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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

2010年 09月 18日 ( 1 )

 説明会が終って、昨年の発掘調査があった中舘を見て帰ろうと思った。
平成22年 桑折西山城本丸跡 発掘調査 現地説明会⑨_a0087378_513723.jpg
 こちらからみて左手の方に枡形の虎口があったという事だった(中舘と木の生えている高台の間)。 また、舘を囲う手前の一段低い平場は、掘りを埋め立てられていたという事だった。更に、右手にも西に抜ける虎口があったということだった。


平成22年 桑折西山城本丸跡 発掘調査 現地説明会⑨_a0087378_5171811.jpg
 パンフレットでは、中舘の様子について、枡形の虎口と埋められた掘りの様子、そして、出土した備前焼の甕を写真で説明している。
 そこに、伊達家家紋「竹に雀」の説明を入れる。この紋は、上杉家から拝領した家紋が元になっていることを解説する。この西山城時代に上杉家との姻戚関係を結ぼうとしたこととかかわりを表そうとしたのか、天地人のブームを意図したのかは分からない。
 所々に立てられた幟にもこの紋が使われ、伊達家より家紋使用許可済の断わりが入る。今の時代には、家紋にも使用許可が必要のようで世知辛いとも思う。

 ここで、気になるのが、パンフレットの最後のページの結びとのかかわりだ。
 中舘や西舘は、伊達氏居城が廃城になった後、何らかの理由によって改修されている可能性が高い事が分かってきました。今後、伊達氏の居城時代の城がどのような姿であったのか、改修された時期がいつごろなのかを調べる予定です。

 これは、中舘北側の平場は、空堀を埋め立てて改修されたこととかかわると思われる表現だ。更には、枡形の虎口も伊達氏の城のつくり方と違うといわれているらしい。それで、素人としては勝手なもので、天地人の時代であってほしいと思う。そうすると、信夫の里の伊達氏と上杉氏の攻防が面白くなるかも……。

 このページで気になるのが、他の見どころとして紹介される西舘の石塁の解説。「調査の結果、城のものでない可能性が高まっています」という。
 この西舘の石塁は、西山城の紹介に結構登場している。多分、今でも多くのパンフレットに紹介されているはず。
 なお、ここでは、その他に中舘・西舘の間の空掘・大手門跡・城址碑が紹介されている。

平成22年 桑折西山城本丸跡 発掘調査 現地説明会⑨_a0087378_5235692.jpg
 この祠、大手門跡から中舘に向かう途中にある。
 これは、西山城との関係ではなく、自分とのかかわり。最初にこの西山城に入った時に、あちこち歩き回って、その帰りに見てホッとしたことを思い出したのだ。
 後ろの石碑を確かめてみたら山神様だった。
 どうでもいいか。
by shingen1948 | 2010-09-18 05:31 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(2)