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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2009年 11月 25日 ( 1 )

天神社と天神社旧地

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 ここらあたりが、天神町だ。 「ふくしまの城」によると、この天神町を越して上町になるあたりが城下町だったとのことだ。
 天神社の案内板によれば、この天神町が天神様の旧地とのことだ。

 現在の天神社に建つ社伝をもとにした石碑の案内によれば、伊達氏の先祖が勧請したと伝えられているようだ。
 現在地に移動したのは天正年間のようだが、石碑の案内では、天正4年伊達晴宗の代に旧地が狭くなって移動したと記す。それまでは、天神町に鎮座していたということか。
 寛永2年(1625)に、梁川城主になった上杉家臣須田秀満も社殿を改修したという話は、現在地に移動してからの出来事ということになるだろうか。

 現在の天神社は、この先の上町の塩野川ほとりに鎮座する。
 教育委員会の案内板では、享保16年(1731)、石碑では享保14年(1729)東照宮は、尾張徳川家の分家である梁川藩主松平通春が、天神社の相殿に合祀したと伝えられという。
 その後、大火により社殿も類焼したが、明治27年に再建されたのが、現在の社殿ということのようだ。
 天神社
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 天神社はもと天神町にあったものが、天正年間に現在地にうつされたと伝えられている。また享保16年(1731)には、梁川藩主松平通春が日光東照宮を分霊し天神社の境内にまつったと言われている。通春は後の第7代尾張藩主、徳川宗春である。天神社は、歴代藩主などの信仰をあつめた。特に松前藩の家老で画家でもあった蠣崎波響、画業精進と藩の複領を祈願したと言われる。
 梁川町教育委員会

 ※ 東照宮関係のホームページによると、この分霊にかかわる梁川藩は、天和3年(1683)尾張徳川家2代目光友の三男義昌が別家して3万石を領したのに始まるとする。
 通春は尾張家3代目綱誠の19男として生まれ、享保14年に梁川を継いだが、同16年に尾張家を継ぐことになる。
 なお、この通春とは、将軍吉宗の享保改革を批判したことで知られる尾張家7代目の宗春とのことで、この時に梁川藩は廃され、その後はこの梁川の地は天領となって陣屋が置かれたという。

石碑の説明案内
by shingen1948 | 2009-11-25 05:24 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)