地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築 21ー3

 監獄署の設置と福島の水道初めて物語がかかわるということを頭に置くと、散歩で確認したことのいくつかとつながることがある。
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 これは、渡利の阿武隈川沿いにみつけた「水道記念碑」だ。
 これは、福島町の悲願であった監獄新道を通る水道管の整備達成記念碑であることが、案内板で分かる。
 その建立場所が、後で整理するが新道「県庁―信夫山公園」線沿いの福島稲荷神社境内である。福島の水道初めて物語にふさわしい。
 
 案内板に書かれている内容は、「渡利地区の阿武隈川沿いの風景②」で整理しているが、ここに再掲する。
 <歴史> 水道記念碑
 この碑は、明治23年3月に福島稲荷神社境内に建立されたものを移築したもので、これまで木管だった水道を陶管に換える大工事完成の記念碑です。明治22年4月、曽根田村と腰の浜村の一部を合併して新発足した福島町は、早速、当面する課題に取り組みました。その一つが泉村(清水)から引いた水道の整備で、当時の金で陶管費1218円余・待箱費709円余などの巨費を計上して着手しました。
 碑文には、「町民欣喜せざる莫く慶賀。是に於て数百年の困乏変じて万世の洋溢る」と讃え、
 すゑ(陶)もの 樋をもち水を通はする
            いさをそ長く世に残りなむ
 ほか2首の歌を刻んでいます。
 撰文は欧遷田島寛、書は淡湖内池(三十郎)、歌は従五位穂積重嶺です。

 ディスカバー・マイカントリー
 福島信夫ライオンズクラブ

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 これは、清水公民館前の史跡案内板だ。
 ここにも「福島の水道初めて物語」が読み取れる。「旧刑務所上水水源地」を「旧監獄署上水水源地」と読み替え、そのプロットされている点を先に「貯水池」とした所と想定する。
 すると、「大清水大明神」と「大清水水源」が先に整理した水神と水源という事になる。


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 その位置関係から推定すると、旧上水水源地のプロット位置が、この池と思われる。ここは、先に「住民意識を考慮した都市化を感じながら」として整理した。この時には、福島水道初めて物語は意識していない。


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 この水道のラインから、3か所村の飲料水用に分配した位置やその後はまだ不明だ。
 そして、この森合の配水池がこの位置であることも、この物語の発展のような気はするが、まだ定かではない。この配水池の沿革の最初が分かれば解決する。


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 更に、もうひとつ。
 「監獄署の設置」は、生活の豊かさをもたらしたということが分かるのが、この「刑務所通り」という表示だ。現在の刑務所設置のための新道を昔はそう呼んでいた。ここに、福島の近代化の一つを運んできた建物という歴史を感じるのだが、最近見かけなくなった。
 
by shingen1948 | 2010-02-18 05:20 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)