地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築 ⑯

 「米沢藩年貢米蔵」が、解体保存されることが伝えられたのは、2009/2/22の新聞記事だった。それまで、これが解体されるというイメージがなかったので、携帯のカメラでしか記録していなかった。せめて自分で記録しておこうと思ったのだが、なかなかその機会がとれないでいた。
 訪ね直した時には、解体してしまった後だった。
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 残念に思って撮った写真を改めて見ていたら、煉瓦塀に囲われていることに気がついた。この蔵は、元々ここにあったのではなく、再活用だった。煉瓦塀が、それは明治時代の激動の中の出来事であったことを思わせてくれたのだ。


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 携帯電話のカメラで撮った写真を再度張り付ける。
 この蔵が、ここに移築されたのは、明治33年(1900)だ。
 もともと、この蔵は、木造2階建てで、述べ床面積は66.24平方㍍で「米沢藩年貢蔵」と呼ばれ、福島城の南で阿武隈川の河畔にあったらしい。
 明治14年(1881)の「甚平衛大火」でも、この蔵は焼失を免れている。明治20年(1887)の東北線が開通で、舟運が衰退して、この蔵もその役目を終えたのだった。
 本来のこの建物の価値は、江戸時代の阿武隈水運にかかわる建物だが、煉瓦塀は、明治という激変の中も生き延びたことを誇っていたという感じだ。

 本来、この蔵が使われていた時期は、築200から300年ということで、上杉鷹山が活躍した時期と重なる。新聞記事では、山形大学の横山名誉教授が「鷹山は、無駄なく確実に荷を運ぶため、自前の船を使うなど輸送ルートの管理には力を入れた。ゆかりの米倉だとすれば、山形県内にも現存するものはないので、大変貴重なものです」 と話していたという。


a0087378_6252962.jpg 舟運にかかわる絵図も、ここに張り付けておく。
 これは、本当は、渡利周辺の散策で、天神橋辺りの阿武隈川沿いの景色を確かめたかったものだ。

 散歩が、景色の変化に追いつかない。
by shingen1948 | 2010-02-07 06:28 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)