福島の建築 ⑮
2010年 02月 06日
「福島民友」の「波涛の向こうに」によると、1800年代後半からの本県海外渡航移民は、ハワイや北米大陸が中心だったが、その後、渡航先は南米のブラジルやコロンビア、ペルー、仏領マカテアにまで及んでいるとのことだ。
その理由の一つが、米国が日本人の移住を制限したり禁止する排日の動きが強まったため、海外出稼ぎ渡航を希望する人々の行き先が米国以外の国に変化したことがあげられるという。
この海外渡航移民した人々の名前を刻んだ「外国渡航記念燈」は、福島市荒井の八幡神社にある。
ここには、海外に渡航した多数の人々の名前を刻んだ焼き瓦やタイルがはめ込まれている。記された渡航先は、カリフォルニア州、ハワイ、オアフ島、カナダ、フィリッピン、マカテア島、ニューカレドニア、ブラジル、ペルー等々。
荒井からハワイに渡った佐藤伊六氏やその息子の虎次郎氏が中心となって建立されたものとのこと。地区の人々も費用を募る協力をして、860円が集まり、赤れんがなどの資材も地元の方々の協力で調達したという。
歴史を中心に見る方は、望郷をマイナスイメージでとらえるのが正統と思うかもしれない。
ここに建つ案内板には、土地を離れなければならなかった事情と、その移民の方々の浄財で建立されたことが、記されている。
しかし、今回の興味は、赤煉瓦製で、一風変わった建築物だということだ。ちょっと不謹慎かもしれない。
確かに、一番上が灯籠にはなっているが、これが煉瓦との組み合わせということに、笹木野村の山神神社と同じ匂いを感じてしまう。
もし、この煉瓦が地元産ということなら、この煉瓦作成者の心意気を動かした地元民というようなことも想像してしまう。煉瓦自体にも、故郷を思う心に応えようとする制作者の心が入っていることになる。
移民の方々の望郷の思いと地元に残る方との心の交流に、それを応援する煉瓦制作者というようなことを付加すると、より温かい気持ちになれる。
というのは、自分が知る限りでは、移民者の方々との交流話には悲壮感は感じていないのだ。冒険話での明るささえもある。
時代にほんろうされたのも史実なら、その中で、自分の人生として受け取って積極的に生きた人もいることも事実だということだ。
案内板は、歴史的な観点から説明されている。
海外渡航記念燈
明治から大正にかけて、荒川氾濫、凶作、それにさまざまの条件が重なって地主への土地集中がすすみ、土地を失った人々の海外移民が続いた。ここ荒井八幡の渡航記念燈は、海外移民の浄財で建立されたその歴史の記念塔である。
「波涛の向こうに」に掲載された福島東高の部誌執筆を担当していました。
いま手元の部誌を改めて見るとずいぶんやっつけ仕事だったなと反省しきりですが・・・
貴部誌、確認しようと図書館に行きましたが、その号が貸し出し中でした。
他の「奥の細道」の号は見れましたが、楽しませてもらいました。この論の対象にしていた細道設置者は、菅野氏・蜂谷氏・樫村氏と補助学生2名同行での検証作業だったようですよ。