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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築 ⑪

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 本当は、米沢街道を確かめながら散歩していたのだが、その途中で出会ったのが、この山神神社だ。どちらかというと、「煉瓦造り」という西洋的な材料と、「山神」という日本的な概念が一緒になっているという違和感があった。

 側に吾妻郷土史談会誌・福島市史より抜粋したという「山神神社由来記」の案内板が建っている。
 それによると、明治25年、ここにあった煉瓦工場の初代稲葉氏が発起人となって、12人の世話人と煉瓦職人と地区民の無病息災、山仕事の安全を祈念して鎮守山神神社を創建したという。
 当時、この辺りは赤松林で、幕末頃(慶応3年(1867))の野田地区の絵地図には、山神の地名があったのは、山の神様とかかわりがあったはずという事で創建されたということらしい。
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 それを、大正7年10月に移創し、旧神社を昭和26年に、遷宮したとのことだ。
 素焼きの燈籠が、これに当時工場で製作して稲葉半兵、上川宇三郎の銘記があって、当時をしのぶことができるものということだ。この燈籠は、高さ1.30mのおおきさとのこと。


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 「煉瓦造り」の「山神」は、明治期にこの地区に煉瓦工場があったことの誇りの象徴のようなのだ。
 案内板には、その煉瓦工場の概要が説明される。
 明治25年(1892)、加茂郡上河津村出身の稲葉常松氏他2名で、この地に初めて煉瓦土管の新事業を現橋本花園付近に創立されたとのことだ。当時は、一般的に土管場と称されていたという。
 その後、明治37年に山神の地内に業務拡張のために移転したという。
 工場は、二代稲葉半兵氏、三代辻村倉吉氏と続いたが、四代目の時、時代が変わり、事業不振となって、富山市大平産業㈱に工場を売却して福島工場として再発足した。吉久成業が工場長となって創業していたが、昭和41年に工場閉鎖になったという。
 この工場の由来については、岩谷観音境内の鐘楼北側に建つ福島八景記念碑「巌窟春嵐」の裏面に記載されているというが、今のところまだ見つけられないでいる。
 この地に立地されたのは、明治32年の福島米沢間の奥羽線開通にむけた敷設が始まった頃という。

 この山神、近代建築の材料としての煉瓦供給源である工場が、地元で行われていたという誇りだと分かると、違和感が消える。そして、煉瓦造りが気になってくる。
Commented by TUKA at 2010-01-29 22:55 x
建物シリーズ、楽しませて頂いております。
レンガの神社とは驚きました。
渡利浄水場建設の際にレンガを積んだ馬車が行列になったそうですが、
同じ工場で焼かれたのかも知れませんね。

さて、こちらで情報を頂いた上保原の道路元標、見てきました。
そこから桑折に向かったのですが、途中で木造擬様式の建物を発見。
どうやら旧伏黒郵便局かと推定。
だいぶ痛んでいるので、そのうち人知れず・・・かも。
Commented by shingen1948 at 2010-01-31 12:18
情報ありがとうございます。
行ってみます。

浄水場も大量に煉瓦が使われたんですね。地元の方の熱のようなものを感じたのですが、近代建築の大切な材料をつくりだすという誇りのようなものなのだったんだなと改めて思いました。


Commented by TUKA at 2010-01-31 22:13 x
擬様式>擬洋式でした・・・。

「福島市水道60年史」に、
浄水場のレンガは笹木野の辻村煉瓦屋で焼かれた、とありました。
どうやら間違いないようですね。
板谷峠に眠る奥羽本線のレンガ製廃隧道群も松川橋梁もここで焼かれたんですね。
そんな「地元感」が堪りませんね。感慨深いです。
Commented by shingen1948 at 2010-02-01 19:58
間違いなく地元で資材を供給していたんですね。

大きな活動や変化の資材が地元で供給できるということは、地元で完結できるというよさですよね。
 
by shingen1948 | 2010-01-29 05:19 | ◎ 福島の建築 | Comments(4)