人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

上岡遺跡土偶③

 昨年12月15日から2月21日まで、東京国立博物館で土偶展が開かれていて、国内の64土偶が展示される。多分、その中の一つとしてこの上岡遺跡土偶も展示されていると思う。この中の目玉の国宝の三点が、東京国立博物館の特別展のページに紹介されている。

 この上岡遺跡土偶は、マホロンの「ふくしまの文化財」に、上岡遺跡の代表的な遺物として紹介されている。これを比べてみても、見劣りしないと思うのはひいき目か。

 確認していく中で分かったのが、この土偶が発掘された昭和27年の調査は、正式にはマホロンでは認めていないようだということだ。
 検索画面の調査歴を開いても、この調査は記録されていない。
 上岡遺跡は、高速道路までの広い範囲とし、その調査歴は、昭和47年(1972)の県教委の調査・平成10年(1998)の市の試堀調査を経て、平成11年(1981)の調査が記録さる。
 1972年の県教委の調査は、高速道路建設に伴う調査らしい。この調査で、土師器や須恵器・陶器などの遺物が検出されたとし、1998年の市の試堀調査では、他に縄文土器が記録される。そして、1981年の調査で、縄文土器と土偶が記録されている。
a0087378_5414975.jpg
 左手の枠が、清水の水源跡と想定すると、この幻の発掘調査跡は、奥に見える果樹園辺りと想像される。
 この幻の調査を探ると、福島市史資料業書に足跡がみえる。
 この土偶の他に、深甕や器などの遺物と共に、2軒の住居跡が発掘されていることが分かる。遺物と共に手書きの発掘状況図と住居跡の写真が記録されている。
 昭和42年発行の「福島のあゆみ」では、福島の縄文時代の中心的な遺跡として紹介する。その中に、この竪穴住居跡の写真が使われている。
 東湯野の上岡出掘り出された縄文時代の住居のあとは、直径3mほどのだ円形で、中ごろに40㎝四方の石組の炉があります。1mおき位に建てられた丸太の堀穴は、直径が15㎝ぐらいもあります。 ここからはたくさんの縄文土器と一緒に土偶も掘り出されています。この土偶は、こしをおろしているすがたがたいへんめずらしく、外国でも有名になっています。

 更に、この土偶の見つかった辺りで7か所の炉の跡が見つかっていることを根拠に、この遺跡を集落跡として紹介している。
 暮らしぶりにもふれ、遺物として土垂がたくさん出土しているので、摺上川や阿武隈川にこの土垂をつけた網で漁をしていたと想像されると紹介する。これらの遺物は、昭和53年発行の図説「福島市史」で見ることができる。

 結びは、この集落跡の他に、岡島の宮畑、茂庭の梨平、松川の矢細工にもあり、荒井もその可能性があるとする。
 この遺跡は、岡島の宮畑遺跡の発掘調査で、影が薄くなっているが、それまで福島市の中心的な縄文遺跡として紹介されていたことがうかがえる。
by shingen1948 | 2010-01-15 05:44 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)