「坂の上の雲」④
2010年 01月 11日
読み手が書かれていることを理解するには、対象物が、読み手にもある程度共有されていなければならない。それを無視して語るから、こちらが理解できないところもあるようだ。それなら、そこは無視すればいいと分かると、すっと入るようになってきた。
ラジオ深夜便で、子規の「墨汁一滴」についての放送があるらしいという情報があった。夜は弱い。家人に録音を頼んで、それを、朝再生して聞いてみた。
家人は、たった10分間の放送だったことに不満らしいが、聞いてみると素敵なプレゼントを頂いたような気分になった。読んでいる随筆を理解するために必要なことを、教えていただいたという感じだ。
それは、子規の状態であり、硝子戸を通した景色の感動だ。
子規の状態は、想像していた以上によくなさそうだ。
病床の天井から一本の帯が下っていて、体を動かしたいときは、それを頼りにしていたということのようだ。背中や腰には、穴が開いていて、そこから膿が出ている状態らしい。
長い文章を書くのに体力が耐えられないので、一度筆に含ませた墨がなくなる程度の分量にしたらしいということだ。それが、「墨汁一滴」という題名とかかわるらしい。
そんな中でも、枕元には地球儀があるという状況設定がいい。
もう一つのガラス越しの景色だが、これは豊かさゆえに貧しくなったこちら側の感性だ。
当時、ガラスは高級品であるということだ。
今の感覚でいえば、単なる弟子でしかない虚子が子規のためにはめてくれたらしいことにも感じるものがある。それにも増して、ガラスを挟んだ外の景色を観ることの感動というものを知ったことが、収穫だ。
子規の妹が、動かなっていく体に合わせて、庭の設計を変えていったということは知っていた。その最後の景色が、子規が寝ている状態でも見えるヘチマ棚だということに感心もしていた。
そこに、それがガラス越しの景色ということの感度が加わってくるらしい。
「たった10分の短い放送だったが、いいプレゼントを頂いた気分だ。
温かいぬくもりと光は、豊かさの中で自分が失った感性だ。これを想像で補いながら、随筆を読み進める。
次回の放送は、夏目漱石らしい。多分、硝子戸の何とかという随筆があったはずだと思うので、その事ではないかなと勝手に思う。家人に次の録音も頼むが、まだ引き受けてもらえていない。