「坂の上の雲」③
2010年 01月 10日
読み飽きると、解説を先に見たり、子規の年譜でこの随筆が書かれている時期を確かめたりしている。
解説では、強いられた病苦の中に信じられない活力で時代を先導する執筆と画譜画帳の類を観て楽しむ審美眼と美術論が、執筆する活動を支えているということに触れる。
そして、自らも写生し、『果物帖』・『草花帖』の画集を作り、その苦労談が随筆を光らせることを論じている。
「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲ファンサイト」で、そのあたりとのかかわりを子規の年譜から拾う。
6月27日 写生画をはじめる。
6月28日 『果物帖』を描く
8月 1日 『草花帖』を描く
8月 モルヒネを用いる
8月20日 渡辺南岳の草花絵巻に執心
9月 8日 足の甲に水腫ができる
9月10日 蕪村句集輪講会を開く
9月18日 絶筆糸瓜三句を記す(午前11時頃)
ここから、先に記した昏睡、そして、翌日永眠と続く。
こちらに素養が無いので、それが審美眼なのかどうかは分からない。ただ、確かに描写について、あつく評論していることは伝わる。
生き方とのかかわりで読んでいると、それよりも感心して立ちどまるのは、例えば、5/28の16話。苦痛について表現しているあたりだ。
豪傑が死に際に家来を叱りつけることについて、言い訳するものをみつける。それを、所詮苦しい時の周りへの八つ当たりでしかないと考察するのだが、それは、自分の振る舞いが荒れる原因を納得するためだということに凄さを感じる。
自分の八つ当たりを心苦しく思っていたらしいのだが、その考察によって自分が許せるようになって嬉しくなっているのだ。素敵でもあり、凄いとも思える。