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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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慈徳寺「家老の梅」(林昌院木戸口跡)

 関心があって出かけても、記事にしなかった訳はいろいろ。
 西根堰の迂回は、確かめようとしたことが別にあって、そこに行く途中に確かめたというタイミングのズレだった。
 慈徳寺「家老の梅」は、情報を得て、実際に出かけるまでに時間があいて、そのままになっていたということだ。

 慈徳寺「家老の梅」の看板を建てたということは、地方紙の記事で知った。
 また、慈徳寺さんのホームページで、伊達輝宗公の法要後に、林昌院跡地で、家老の遠藤元信氏など、殉死した19名を弔う為に植えられた「梅の樹」の由来を記した看板を建てたこと、伊達藩志会が関わったとの情報を得た。
 何故今なのかなと思って、地方紙をめくったら、「河北新報」で関連しそうな記事を見つけた。  仙台で、家老の遠藤氏の文書が見つかったという記事だ。(2009/9/23)
 見出しは、「伊達家重臣遠藤基信あて書状50点・戦国時代の貴重資料・差出人に徳川や北条の名・当時の外交史力関係解明も」。
 記事の概要は、次のようなことだった。
 伊達家重臣遠藤基信へ宛てた書状の数々が白石市内の民家で見つかった。専門家は、当時の外交史に迫る貴重な歴史的な資料と見ていると伝えた。
 21日と22日には、白石市教委が資料整理を委託した宮城歴史資料保全ネットワークが、地元の研究家も含めてすべての資料を一枚一枚写真撮影するイベントが行われ、述べ70名が参加した。

 遠藤家の紹介は、片倉小十郎景綱とのかかわりという仙台を中心とした新聞記事らしく次のような紹介。
 「発見されたのは、栗原郡に約1300石を拝領した遠藤家文書で、白石市内に住む子孫が長持ちや茶箱に保管していたもの。」
 「遠藤家は、仙台藩の奉行職を代々務めた。遠藤家の初代基信は伊達輝宗に仕え片倉小十郎景綱を政宗の守り役に推挙した。」

 こんな出来事が重なって、慈徳寺でのイベントに結集したのだろうと想像した。
 実際に出かけてみたのは、12月になってからだった。

 「家老の梅」由来
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 「(伊達)政宗追欠 あぶくま川平石の渡にて 追付 義継と輝宗を一刀打ち 政宗にげて 信夫佐原寺にて輝宗の死骸をほうむりけり」
「追いはら(腹)の侍十九人有之 御家良の墓に梅を植えけり」
佐原村根元記

 天正13年(1585)10月8日(旧暦)、二本松城主・畠山義継は輝宗を拉致。駆けつけた政宗は義継と父・輝宗を諸共に討った。ご遺骸は佐原の寿徳寺にて(現慈徳寺)荼毘。二週間後の10月12日(輝宗27忌の日)家老・遠藤基信割腹、殉死。伊達家は林昌院木戸口(現在地)に基信を偲び、供養のために紅梅を植えた。この見事な樹こそが、400年の時空を超えた紅梅である。
 平成21年9月27日
 輝宗公450年忌供養前年
 慈徳寺幻住25世 祖峰一之 謹書

by shingen1948 | 2010-01-07 05:28 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)