地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西根神社


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 昨年西根神社にお参りしたのは、足慣らしをかねて西根堰を訪ねた時だが、今年は、家族で新年を迎えてお参りに来た。


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 昨年確かめたこの神社にある西根堰関係遺跡について、知ったかぶりして家族に説明する。(写真は昨年撮影したもの)

 左側の碑は、昭和2年建立の「寛永の副碑」で、次の「寛永の碑」の翻刻碑だ。
 「寛永の碑」は、寛永10年(1633)、上堰完成の翌年に、古河善兵衛が自ら撰文し、建立した碑で、かつて取水口に建てられていたものという。

 その隣が、寛延の碑。
 寛延4年(1751)に建立された古河善兵衛頌徳碑だ。福島康善寺僧の撰文で、かつて穴原部落(旧地)の路傍に建てられていたという。


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 摺上大権現碑も昨年の写真使用。
 裏面には次の銘がある。
 下堰(1618)
 上杉景勝公御代
 元和四午年開削
 石粟将監、須田普左衛門、島彦右衛門、鈴木清兵衛、奉行 平林蔵人佐正恒、佐藤新右衛門、青木金右衛門、青目甚之輔

 上堰(1624)
 上杉景勝公御代
 寛永元子年開削
 由緒穴原碑銘在依而姓名
 文政元寅 天十二日
 (1818)
 説明していて、その経緯について何かあったなとは思いだすが、忘れている。
 昨年整理したことを確かめる。

 寛永の碑などの石碑が西根神社に移動する経緯について、福島民報(大正15年8月24日)が「穴原上堰から珍しい古碑」の見出しで報じているらしいこと。

 穴原上堰に埋まっていた碑を掘り上げたら、西根神社の祭神古河善兵衛の碑だった。この碑を、西根神社に移し、別に該古碑の縁起を刻むことになったということ。
 穴原屋敷人々はこの碑に、供物を捧げ、尊信し供養していたが、大火の時、焼け落ちた巨木が倒れたため碑が二つに折れたと、畠一三郎氏の父の記録で明らかになったとも伝えているということ。
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 ここは、三河国刈谷藩湯野陣屋跡でもある。鳥居のところには、三河国刈谷藩湯野陣屋跡の碑が建っている。


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 高畑神社のうそ鳥は、悪いことはみんなうそにしてくれるらしい。
 
 この高畑神社と西根神社の写真は、今年撮ったもの。
Commented by TUKA at 2010-03-28 02:48 x
「伊達市市制施行記念 郷土の昔今」という本にこれらの碑に関する寄稿文がありました。

寛永の碑は大正15年に農家の土留め石になっていたのを発見。
その時には既に2つに折れていたとのこと。

3つに折れている正徳の碑は大正15年に境内の石碑を整理した際、
なんと摺上大権現碑の台石になっているのが発見されたとのこと。

当時の民報の記事とは全く異なっている点が興味深いです。
Commented by shingen1948 at 2010-03-28 10:21
 情報ありがとうございます。
 新聞取材を受けた方が、恰好が悪い部分を省略したのかも知れませんね。頂いた情報から、石碑それ自体は無機質な物ですが、そこに人間臭さを感じて楽しくなりました。正徳の碑の情報は、初めてです。
 伊達の情報というのに感じるものがあります。
 この辺りは飯坂からの視点になりがちでしたが、元々が伊達郡で桑折と通じると感じはじめていたところです。
by shingen1948 | 2010-01-05 05:52 | ★ 季節便り | Comments(2)