地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宮脇遺跡現地説明会⑥

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 おおよそイメージがつかめた里の霊山寺の高台から、現在の霊山寺を眺める。赤屋根の向こうに見えるのが、霊山寺だ。これは、この里の霊山寺という視点に立てば阿弥陀堂ということになろうか。

 この里の霊山寺阿弥陀堂を現在本堂とする霊山寺で、この里の霊山寺とつながるニュースを幾つか目にした。
 その一つが、この里の霊山寺御本尊「阿弥陀如来像」が、昨年千葉県香取市の善雄寺に安置されていることが発見されたのだが、その実物大の写真を制作して、本堂に掲げたということだ。(「福島民友」2009/8/27)
 仏像は、高さ176㎝の座像で、胎内墨書銘によると、頭部は「伊達郡霊鷲山」より出現の慈覚大師の御作」とあり、平安時代に霊山山頂に霊山寺を開山した慈覚大師円仁とのかかわりを示している。
 胴部は江戸期の宝永年間(1704~10)に香取郡佐原村の伊能氏が胴体部分を完成させ寄進したことが示されている。

 報道では、当初の霊山寺は14世紀の南北朝時代に焼失したため、仏像がなぜ霊山から千葉に運ばれたかは不明としている。
 しかし、大きな声では言えない地元での推測はあるようだ。
 山の霊山寺の多くの遺物は、伊達氏によって今回調査が行われている宮脇遺跡に移された。その後の支配者は蒲生氏郷だ。氏は、若松などを整備するのが大きな仕事だ。この地から多くの遺物等持ち運んだのではないか。その一環で、事は起きたのではないか。
 そんな想像もあるようだ。
 ある地域では、功労者として奉られる賢者が、ある地域ではマイナスのイメージを持つ。光の当て方によって違った見え方があるというのが、散歩の楽しさだ。

 更に、発掘調査の報道の後の情報だが、寺の法要に合わせて、慈覚大師と阿弥陀如来についての講話会が開かれたというニュースも見た。地元の歴史が、生活に根付いているという感じがする。
 今の霊山寺に、今回もそっと立ち寄ってみたいと思った。





阿弥陀如来像の里帰りを伝える地元紙
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by shingen1948 | 2009-12-22 05:33 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)